愛と犠牲

コスモス

数年前、私が中学2年生のときに、私たち兄弟の両親は交通事故で亡くなりました。私たちは三兄弟で、私は真ん中の子、4歳上の兄と5歳下の妹がいます。

事故後、私は母方の親戚に、妹は父方の親戚に引き取られ、兄は母方の祖父母と暮らしていました。

あれから一年が経ち、久しぶりに兄から連絡がありました。彼は高校を卒業して、私たち三兄弟で再び一緒に暮らそうと提案してきました。兄は本来なら一流大学に進むはずでしたが、進学を諦めていたのです。

「大学はどうしたんだ?」と尋ねると、兄は笑って、「全滅だった。そこは触れないでくれ」と答えました。

私が中学3年生、妹が小学3年生だったため、当然、親戚はこの提案に反対しました。しかし、私たちは再び兄弟で一緒に暮らすことを望んでいたので、親戚を説得し、ついに許可を得ることができました。

その後、私たちは兄弟三人で一緒に住むことが叶いました。兄は私たちのために昼夜問わず働き、私たちが貧乏だと感じさせないように努力し続けました。兄は常に私たちを第一に考え、私たちに小遣いまでくれていました。

しかし、幸せな時間は長くは続きませんでした。兄は先月、交通事故で亡くなってしまいました。

兄の葬式では、私も妹も慟哭しました。葬式が終わり、人々が帰った後、叔母が夕飯を持って来てくれたとき、兄についての衝撃の事実を知りました。

両親が亡くなった後、兄は親戚に頭を下げて私たちの面倒を見るよう頼み、自分のバイト代を毎月送って、私たちの小遣いにしてほしいと頼んでいたのです。そして、私たちと一緒に住むために、京都大学の進学を諦めて就職していたのでした。

兄の犠牲と愛情の深さを知り、私は泣き崩れました。兄がいつも私たちのために尽くしてくれたこと、自分の夢を犠牲にしてまで私たちを支えてくれたことに、心から感謝しました。

兄は私たちに最強最高の存在であり、彼のようになれるように頑張ります。妹のことも大切にし、兄の愛を受け継いで生きていきます。

ありがとう、兄さん。あなたの愛と犠牲は決して忘れません。

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