
うみちゃんの手紙は、今も私の手帳の、いちばん後ろに挟んである。
十五年のあいだに、手帳は何冊も替わった。
そのたびに、封筒だけを、新しい手帳へ移してきた。
封筒の角は、もう丸くなっていて、鉛筆の字は少し薄くなった。
それでも、最後の一行だけは、今も濃いままだ。
2011年4月のはじめ、私は宮城の沿岸の町にいた。
四国の駐屯地から派遣された、災害派遣部隊の三曹だった。
三十二歳で、娘が生まれて、まだ四か月だった。
海沿いの小さな町は、港も、商店街も、町の形そのものを失っていた。
重油と潮と泥の混じった匂いが、朝から晩まで、鼻の奥に残った。
到着した最初の朝、港の防波堤に、漁協の時計が倒れていた。
針は、三時四十分の少し手前で止まっていた。
誰かが、その時計を起こして、瓦礫の上にまっすぐ立てていた。
直す人がいないのに、直されたままの時計を、私は毎朝見てから現場へ入った。
宿営地は、高台の中学校の校庭で、天幕の列の向こうに、海が見えた。
海は、何もなかったように、静かに青かった。
その静けさが、いちばんこたえた。
最初の一週間は、誰も、作業中に口をきかなかった。
スコップの音と、重機の音と、カモメの声だけが、現場の音だった。
二週目に入って、班長が、昼の握り飯のときに一つだけ冗談を言った。
笑ったのは二人で、それでも、その日の午後は少し掘るのが早かった。
人は、笑わないと、掘れないのだと知った。
夜、天幕に戻ると、長靴を脱ぐ前に眠ってしまう隊員がいた。
私は、その長靴を脱がせて、泥を落として、入口に並べた。
翌朝には、誰かが、私の長靴の泥も落としてくれていた。
私たちの任務は、行方の分からない人を探すことだった。
毎朝四時に起きて、泥の中に長靴を沈め、日が落ちるまで掘った。
見つけても、見つからなくても、同じ重さが肩に残った。
班長は、三陸の漁師の家に生まれた人で、海の匂いの変化で天気を当てた。
その班長が、三週間目に入って、初めて作業中に手を止めて空を見た。
「疲れてきたな」
誰に言うでもなく、そう言った。
疲れは、もう、誰の顔にも出ていた。
その日の夕方、私は給水車の帰りに、避難所の前の道を歩いていた。
一台の軽自動車が、瓦礫をよけながら、路肩に止まった。
後部座席の扉が開いて、小さな女の子が降りてきた。
赤い長靴に、大人用の青いヤッケを羽織っていた。
袖が長すぎて、手が見えなかった。
女の子は、一度だけ車のほうを振り返り、それから、まっすぐ私へ駆けてきた。
長靴が、泥の水たまりを、ばしゃばしゃと鳴らした。
私の前で止まると、袖の中から、小さな封筒を差し出した。
「じえいたいさんに、おてがみ」
それだけ言って、名前も名乗らずに、車へ走って戻っていった。
ヤッケの胸に、かすれた名札が縫いつけてあった。
読めたのは、最初の一文字だけだった。
運転席の女性が、私に向かって、深く、長く頭を下げた。
車は、坂の上の仮設の灯りへ向かって、ゆっくりと消えていった。
うみちゃんの手紙
封筒には、まだ拙い字で、丁寧に書かれた手紙が入っていた。
鉛筆の線が、ところどころ強く押しつけられて、紙の裏まで凹んでいた。
じえいたいさんへ。
げん気ですか。
つなみのせいで、わたしのおともだちが、みんないなくなってしまいました。
でも、じえいたいさんががんばってくれているので、わたしもがんばります。
日本をたすけてください。
いつもおうえんしています。
じえいたいさんありがとう。
うみより。
私は、その場で動けなくなった。
泥で汚れた手袋を外して、もう一度、最初から読んだ。
「おともだちが、みんな」という一行で、目の奥が熱くなった。
その頃、私たちは海沿いの小学校の周りを、毎日探していた。
校舎の裏の山の斜面を、泥の中を、川の河口を。
あの子は、その学校の子なのだと、私は思った。
「うみちゃんか」
声に出して、名前を呼んでみた。
海の近くの町らしい、いい名前だと思った。
宿営地へ戻って、私は班の仲間に手紙を見せた。
誰も、何も言わなかった。
ただ、一人ずつ、順番に読んだ。
いちばん若い隊員は、読み終わると、天幕の外へ出ていった。
しばらく戻ってこなかった。
最後に読んだ班長が、手紙を封筒に戻して、私に返した。
「明日も、行くぞ」
それだけだった。
消灯の後、天幕の隅で、小さな灯りが点いていた。
若い隊員が、懐中電灯を口にくわえて、手紙の複写を読んでいた。
私に気づくと、灯りを消して、「すみません」と言った。
「いいよ。俺も、さっき読んだ」
彼は、しばらく黙ってから、小さな声で言った。
「自分、ここに来てから、初めて、何のために掘ってるのか分かりました」
私は、何も答えられなかった。
答える代わりに、彼の分の毛布を、足元へ引き上げた。
班長には、さきちゃんと同じ年頃の息子がいた。
班長はそのことを、派遣中、一度も口にしなかった。
ただ、翌朝の点呼のとき、いつもより長く、海のほうを見ていた。
その夜、私は衛星電話の順番を待って、家内に電話をかけた。
娘の泣き声が、受話器の向こうで聞こえた。
「手紙をもらったんだ。小さい子から」
家内は、それ以上は聞かなかった。
「無理しないでね」とだけ、言った。
無理をしないという言葉が、あの場所でどういう意味を持つのか、私には分からなかった。
ただ、娘の泣き声を聞いているうちに、「うみより」の字が、娘がいつか書く字に重なった。
うみちゃんの手紙は、翌日、指揮所へ届けられた。
旅団長は、全身の血が逆流するようだった、と後に話した。
「絶対に、全員を見つける」
そう言って、指揮所の全員の前で、手紙を読み上げたという。
読み上げの途中で、声が止まった、とも聞いた。
止まった場所は、「おともだちが、みんな」の行だったそうだ。
私が止まった場所と、同じだった。
読む人が違っても、同じ行で、同じように息が詰まる。
そういう手紙だった。
手紙は複写されて、各部隊へ配られた。
北から来た部隊の指揮所でも、ボードの真ん中に、その複写が貼られた。
ある隊員は、複写を手帳に挟んで、現場へ出るたびに読んでから泥に入った。
私は、原本をもらい受けた。
最初に受け取ったのが私だから、という理由だった。
手帳に挟んで、胸ポケットに入れた。
泥の中へ入るときも、必ず、そこにあった。
雪の日のランドセル
四月の半ば、雪が降った。
泥の上に、薄く白いものが積もって、すぐに溶けた。
その日、私は海沿いの小学校の、体育館の裏を担当していた。
重機が入れない場所は、人の手で、少しずつ掘るしかなかった。
スコップの先に、固いものが当たった。
ランドセルが一つ、泥の中から出てきた。
赤い色が、泥の下から、ゆっくりと現れた。
私は、それを抱えて、しばらく立っていた。
中の教科書は、ページが固まって、開かなかった。
名前の欄は、泥で読めなかった。
うみちゃんの友だちのものだろうか。
それとも。
その先を考えないように、私はランドセルを集積所へ運んだ。
集積所には、ランドセルが、色ごとに並んでいた。
赤、黒、茶色、薄い桃色。
並べたのは、避難所の婦人たちだった。
「色で分けておけば、親御さんが探しやすいから」
婦人の一人が、泥を拭いながら、私にそう言った。
婦人は、泥のついた名札を、歯ブラシで一つずつ洗っていた。
「読めるようになるまで、洗うの。それが私らの仕事」
その人も、まだ、孫を探している最中だった。
赤いランドセルの列は、他の色より長かった。
私はその列の前で、手帳の封筒を、上着の上から押さえた。
避難所では、毎日、誰かが誰かを探していた。
掲示板の紙は、日ごとに増えて、重なり、めくれていた。
私は、休憩のたびに、紙の名前を目で追った。
「うみ」という名前を、探していた。
見つからないことが、救いなのか、そうでないのか、分からなかった。
掲示板の隅に、クレヨンで描かれた紙が、一枚だけ混じっていた。
赤いランドセルの絵の下に、「うみちゃん、さがしてます」とあった。
書いた人の名前は、なかった。
ある日、掲示板の前で、老人に声をかけられた。
「自衛隊さん、孫の学校、まだ探してくれとるか」
「はい。毎日です」
老人は、頷いて、それから掲示板の一枚を指でなぞった。
「頼みます」
その二文字が、どんな訓練よりも、私の背筋を伸ばした。
老人は、ポケットから飴を一つ出して、私の手に握らせた。
「泥の中は、口が寂しいべ」
私は、その飴を、作業中ずっと、舐めずに頬に入れていた。
甘さが、泥の匂いの中で、唯一の味だった。
溶けきった頃、日が暮れた。
後にたった1.5メートルの後悔という話を読んだとき、あの老人の指を思い出した。
四月の終わりが近づいた頃、あの軽自動車を、もう一度見た。
避難所の駐車場に、止まっていた。
後部座席に、青いヤッケが畳んで置いてあった。
運転席の女性は、私に気づくと、窓を開けて会釈した。
「先日は、ありがとうございました。部隊の皆で、読ませてもらいました」
「あの子、ずっと、渡しに行きたいって言ってたんです」
女性は、それ以上は話さなかった。
ハンドルを握る手の甲に、泥を落としたあとの、細かい傷がいくつもあった。
この人も、毎日、どこかを掘っているのだと思った。
後部座席に、女の子の姿はなかった。
「今日は、仮設の集会所で、絵を描いています」
「絵、ですか」
「手紙の、続きだそうです」
私は、その言葉の意味を、そのときは深く考えなかった。
ただ、仮設の集会所の窓に、画用紙を広げた小さな背中が見えた。
黄色いカーディガンを着て、クレヨンを両手で握っていた。
隣には、誰も座っていなかった。
二人分の椅子が、並べてあった。
体育館の長い列
震災から四十九日を迎えた、四月二十八日。
内陸の小学校の体育館で、海沿いの小学校の子どもたちの、合同の慰霊祭が行われた。
私たちは、作業着のまま、後ろの壁際に並んだ。
泥を落としたつもりでも、長靴の縁には、乾いた泥が残っていた。
体育館は、底冷えがして、線香の煙が、低いところに溜まっていた。
校長が、一人ずつ、子どもたちの名前を読み上げた。
読み上げるたびに、どこかの席で、椅子が小さく軋んだ。
名前は、長く続いた。
私は、その中に「うみ」という音を、探していた。
名前が読まれているあいだ、頭を上げていられなかった。
最後の名前が読まれたあと、体育館は、しばらく誰も動かなかった。
窓の外で、カモメが一度だけ鳴いた。
祭壇には、幼い笑顔が、何列にも並んでいた。
その端に、まだ見つかっていない子どもたちの写真が、添えられていた。
私は、その中に、うみちゃんの顔を探した。
どれがそうなのか、分からなかった。
分からないことが、たまらなかった。
長い列が、祭壇の前に続いていた。
列の中に、赤い長靴が見えた。
女の子は、母親の手を握って、順番を待っていた。
今日は、ヤッケを着ていなかった。
自分のサイズの、黄色いカーディガンだった。
祭壇の前に来ると、女の子は、一枚の紙を取り出した。
折り目のついた、画用紙だった。
母親が、それを祭壇の端に、そっと置いた。
私の位置からでも、大きな字が読めた。
「うみちゃんへ。じえいたいさんに、おてがみ、わたしたよ」
うみちゃんへ、と書いてあった。
うみちゃんが、うみちゃんに手紙を書くはずがない。
私は、壁に背中をつけたまま、その画用紙を見ていた。
画用紙の端には、赤いランドセルが二つ、並んで描いてあった。
片方には、大きなリボン。
もう片方には、何も描かれていなかった。
何かの印なのだろうと、私はそのとき思っただけだった。
隣の班長が、黙って、私の肩を一度だけ叩いた。
その日の午後も、私たちは泥の中にいた。
四十九日が過ぎても、捜索は終わらなかった。
見つかるまで、探す。
それが手紙への返事だと、班の全員が思っていた。
五月の連休が明けて、私たちの部隊は、四国へ戻ることになった。
交代の部隊に、現場の地図と、ランドセルの集積所の場所を引き継いだ。
引き継ぎの三曹は、私より若く、指揮所のボードの複写を見て、何の手紙かと聞いた。
私は、青いヤッケの女の子の話を、最初から話した。
話し終わると、彼は複写を、自分の手帳に書き写した。
「貼ったままに、しておきます」
「頼む。見つかるまで、そこに」
彼は、敬礼の代わりに、手帳を胸ポケットに入れて見せた。
うみちゃんの手紙の複写は、指揮所のボードに、そのまま残した。
最後の朝、私は避難所に寄った。
体育館の入口で、あの母親が、布団を干していた。
「今日、帰ります。別の部隊が、続けます」
母親は、布団を叩く手を止めて、私に頭を下げた。
「あの子に、お礼を言わせたいんですが、今は集会所で」
「いえ。こちらが、お礼を言いたいんです」
私は、胸ポケットの手帳を取り出して、封筒を見せた。
「うみちゃんに、宝物にしますと、伝えてください」
母親の表情が、一瞬、止まった。
名札の最初の一文字
母親は、ゆっくりと、首を横に振った。
「あの子は、さき、と言います」
私は、名札の最初の一文字を思い出した。
あのかすれた字は、「さ」だった。
「うみは、さきの、いちばんの友だちでした」
母親は、干した布団の向こうの海を見ながら、話してくれた。
二人は、同じ保育園からの友だちで、ランドセルも、同じ赤を選んだ。
三月の、あの日、さきは熱を出して学校を休んでいた。
うみは、学校にいた。
まだ、見つかっていない。
「さきは、あれから、自分の名前を書かなくなりました」
「うみとふたりで、自衛隊さんに手紙を書こうねって、春休みに約束していたんだそうです」
「うみの分も書く、って。だから、うみより、って」
祭壇に置かれた画用紙の、二つのランドセルを思い出した。
リボンのついていないほうが、うみちゃんのものだった。
「さきは、自分のには、リボンをつけてもらったんです。うみは、つけない、って言って」
「違うほうがいいって。間違えないように、って」
うみちゃんの手紙は、うみちゃんからではなかった。
うみちゃんの代わりに、書かれていた。
私は、胸ポケットの手帳を、上から押さえた。
封筒の角が、指に当たった。
長すぎる袖の中から、封筒を差し出した小さな手を、思い出した。
あの袖は、たぶん、父親のものだった。
父親のことを、私は聞かなかった。
聞かなくても、母親の目が、答えていた。
「探します。見つかるまで、次の部隊も、その次も」
言えるのかどうか分からない約束を、私はした。
母親は、何も言わずに、もう一度、深く頭を下げた。
車列が避難所の前を出るとき、集会所の窓に、黄色いカーディガンが見えた。
さきちゃんは、窓に両手をつけて、車列を見ていた。
手を振る代わりに、口を大きく動かしていた。
「あ、り、が、と、う」
私は、窓ガラスの向こうの、その口の形を、今も覚えている。
四国へ戻った夜、娘を抱くと、泥の匂いがまだ腕に残っている気がした。
娘は、構わずに、私の胸に顔を押しつけて眠った。
その胸ポケットには、まだ、封筒が入っていた。
その春、妻は震災の朝に姑が見せた強さの話を聞いて、黙って娘を抱き直した。
手帳は、あれから何冊も替わった。
封筒は、そのたびに、いちばん後ろへ移した。
「うみより」の四文字だけが、今も濃いままだ。