震災の中で命を救った勇気の声

公開日: 震災に関する話

東日本大震災

宮城県南三陸町の大震災時、防災無線を通じて住民の避難を呼び掛け、多くの命を救った遠藤未希さんの勇敢な行動が、音声記録として残されていたことが判明しました。

亡くなった未希さんの呼び掛けは、緊急の状況下でも冷静に、そして的確に住民に伝えられていました。

NHKが入手した音声は、約30分にわたり、防災対策庁舎から発信された防災無線を記録しています。

震災直後から放送が始まり、サイレンの後、未希さんは

「震度6弱の地震を観測しました。津波が予想されますので、高台へ避難してください」

と住民に呼びかけました。

この時、大津波警報はまだ発令されていませんでしたが、南三陸町は独自に津波への警戒を開始していました。

周囲の人々の声も収録され、津波の高さや避難の緊急性を伝える際、未希さんは「最大6メートル」という情報を元に、迅速な避難を促していました。

「海面に変化が見られます」という未希さんの臨機応変な対応や、津波襲来時の緊迫した表現変更も記録されています。

しかし、津波の高さについては、当初「最大6メートル」とされ、最後の4回の放送では「10メートル」と伝えられました。

当時、未希さんや同僚たちは、防災対策庁舎の高さが津波を防ぐと信じていました。

この音声は、未希さんが放送を続ける中で、周囲の人々による「上へあがっぺ、未希ちゃん」という制止の言葉で終わっています。

呼び掛けは合計62回、そのうち18回は男性職員が担当しましたが、三浦毅さんは今も行方不明です。

初めてこの音声を聞いた未希さんの母、遠藤美恵子さんは、

「本当に頑張ったんだと解りました。未希に守られて、本当にご苦労さまと言うしかないです」

と語り、娘の勇気ある行動を称えました。

関連記事

夕日(フリー写真)

自衛隊の方への感謝

被災した時、俺はまだ中学生でした。 家は全壊しましたが、たまたま通りに近い部屋で寝ていたので腕の骨折だけで済み、自力で脱出することが出来ました。 奥の部屋で寝ていたオカンと…

震災(フリー写真)

少女からの手紙

石井三曹に封筒を渡した少女は、名前も告げずに走り去って行った。 少女は、母親と思しき女性の運転する車でやって来て、偶然近くを歩いていた石井三曹に手紙一通を渡したのである。 …

瓦礫

わずか1.5メートルの後悔

私と倫子は、二十一歳の若さで愛の意地を張り合ってしまった。その日、些細なことから生まれた言い争いは、私のわがままから始まっていた。 普段は隣り合わせの安らぎで眠るはずが、その夜…

チューリップ(フリー写真)

立派なお義母さん

結婚当初は姑と上手く噛み合わず、会うと気疲れしていた。 意地悪されたりはしなかったけど、気さくでよく大声で笑う実母に比べ、足を悪くするまでずっと看護士として働いていた姑は喜怒哀楽…

カップル(フリー写真)

震災で亡くした彼女

俺の彼女は可愛くて、スタイルが良くて、性格も良くて、正に完璧だった。 高校に入る前に一目惚れした。 彼女も俺に一目惚れしたらしく、向こうから告白してくれたので、喜んで付き合…

津波で折れ曲がったベランダ

愛に気づくまで

普通とは少し異なる家庭で育った。 幼い頃から、常に我慢を強いられてきたと思っていた。 普通であるべきだと考えていた。 兄は軽度の知的障害を抱え、母はADHDだった。…

阪神・淡路大震災(フリー写真)

色褪せたミニ四駆

小学4年生の時の1月15日、連休最初の日だったかな。 いつものメンバー5人で、俺の住んでいたマンションで遊んでいた。 当時はミニ四駆を廊下で走らせ、騒いでは管理人さんによく…

クリスマスプレゼント(フリー写真)

サンタさんから頼まれた

※編注: このお話は、東日本大震災発生から5日後の3月16日に2ちゃんねるに書き込まれました。 ※ 当方、宮城県民。 朝からスーパーに並んでいたのだが、私の前に母親と泣きべそ…

瓦礫

再建の約束

太陽の光がほんのりと残骸の上を照らしていた。災害により変わり果てた風景の中、一つの臨時の避難所が静かな緊張感を持っていた。 「若者の代表として、一つだけ言いたいことがあります……

震災(フリー写真)

救助活動

東日本大震災。 辺りは酷い有り様だった。 鳥居の様に積み重なった車、田んぼに浮く漁船。 一階部分は瓦礫で隙間無く埋め尽くされ、道路さえまともに走れない。 明るく…