妻からの初メール

妻の携帯には、送信済みが一通しかない。

買い替えを勧めても、妻は首を横に振る。

「これ、まだ動くもの」

充電器のコードは何度も継いであって、テープが黒く硬くなっている。

その一通が届いたのは、十九年前の、六月のことだった。

私は農業機械の営業をしている。

信濃川沿いの、田んぼしかない町で、田植機とコンバインを売って歩く仕事だ。

春と秋は家に帰れない。

泊まりの多い仕事だ、と妻には言ってあった。

それは本当だったし、同時に、都合のいい嘘の入れ物でもあった。

妻とは見合いだった。

隣の集落の米農家の三女で、当時二十四。

見合いの席で、妻はほとんど喋らなかった。

帰り際、私が「田んぼ、何町歩あるんですか」と聞いたら、初めて顔を上げて、

「一町二反です」

と、はっきり答えた。

笑うと目が糸になる人だ、と思ったのを覚えている。

見合いの帰り、義父になる人が、私を田んぼの畦まで連れて行った。

六月の田は、水の面が空の色をそのまま持っていた。

「うちの三番目は、機械が苦手だ」

義父はそう言って、煙草に火をつけた。

「そのかわり、手でやることは、何年でも続ける」

当時の私は、その言葉を、褒め言葉として聞き流した。

意味がわかるまでに、二十年かかった。

結婚してからも、妻は無口だった。

喋らない代わりに、よく動いた。

朝は四時に起きて、実家の育苗ハウスを手伝ってから、うちの朝飯を作った。

「あんた、味噌汁、しょっぱいのと薄いの、どっちがいい」

「どっちでもいい」

「そう」

それで会話が終わる。

そういう夫婦だった。

妻の一日は、うちの台所より先に、実家の育苗ハウスから始まった。

四月の朝、ハウスの中は湯気のような温度になる。

妻はそこで苗箱を並べ、水をやり、うちに戻って米を研いだ。

苗箱は一枚三キロある。

それを一日に二百枚運ぶ日もあると、義父から聞いた。

妻の手は、指の関節のところがいつも荒れていた。

冬でもハンドクリームを塗らない。

「塗ると、苗箱が滑るから」

そう言って、妻は寝る前に手を湯につけるだけだった。

私はその手を、一度もちゃんと見たことがなかった。

三年目の秋、県外の展示会で、ある女性と知り合った。

取引先の事務をしている人で、話がよく通った。

月に二度、出張の帰りに寄るようになった。

それが四年続いた。

私はずるく立ち回った。

レシートを分け、電話の履歴を消し、車の走行距離まで気にした。

妻は何も言わなかった。

深夜に帰っても、台所の電気だけがついていて、鍋の火が弱く残っていた。

「おかえりなさい」

それだけ言って、妻は味噌汁を温め直した。

その声を聞くたびに、私は自分の靴下を脱ぐ手が少し遅くなった。

妻は機械というものを、生き物のように扱った。

炊飯器の蓋を閉めるとき、必ず両手を使う。

電話は受話器を両手で持ち、耳から離して大きな声で喋る。

「そんなに離したら、聞こえないべ」

「近いと、耳が痛くなるの」

ビデオデッキの録画は、最後まで覚えなかった。

私が設定してやると、妻は本当に嬉しそうに、「あんた、ほんとに機械が好きだねえ」と言った。

好きなのではなく、仕事だ、と私は言った。

妻は「同じことだねえ」と笑った。

四年目の一月、妻の誕生日を忘れた。

思い出したのは三日後で、私は駅前で花を買って帰った。

妻は花瓶を出しながら、「あら」とだけ言った。

怒られたほうがましだった。

その花は、二週間、台所の窓辺にあった。

枯れても、妻はしばらく捨てなかった。

泊まりの前の晩、妻は必ず私の鞄に握り飯を入れた。

「駅で買うと高いから」

塩だけの、大きな握り飯を二つ。

私はその握り飯を、何度か、別の人の部屋で食べた。

あの味を思い出すたびに、いまでも腹の底が冷える。

別れを告げられたのは、四年目の春だ。

新しく好きな人ができた、と彼女は言った。

独り身の人にそう言われて、責める資格が私にあるはずもない。

「良かったな」

そう言って、私は先に店を出た。

駐車場で、しばらく車のキーを回せなかった。

四年というのは、思っていたより長い時間だった。

胸の真ん中に、丸く抜けた穴が残った。

その穴を埋めるために、私は妻に優しくした。

白々しいほどに優しくした。

早く帰り、土産を買い、昔の話をした。

見合いの日の話をしたら、妻は湯呑みを持ったまま、

「あんた、あのとき、田んぼの広さしか聞かんかったね」

と言って、目を糸にした。

結婚してから、久しく見ていない笑い方だった。

六月の初め、私は妻に携帯電話を買ってきた。

折り畳みの、いちばん簡単なやつだ。

表向きの理由は、田んぼに出ているときに連絡がつかないと困る、というものだった。

本当の理由は、違う。

四年間ずっと鳴っていた着信音が、ある日から一度も鳴らなくなった。

その静けさに、私は耐えられなかった。

妻を、その代わりにしようとしたのだ。

我ながら、汚い動機だと思う。

携帯を渡した日、妻は箱の蓋を開けるのに時間をかけた。

「これ、上、どっち」

「どっちでもいいって」

「わからんもの、こわい」

取り出してからも、しばらく両手で持って、裏返して見ていた。

説明書を、声に出して読んでいた。

「でんげんぼたんを、ながおしします」

読み上げる声が、ひどく丁寧だった。

私は台所で麦茶を飲みながら、その声を背中で聞いていた。

メールの打ち方を教えた夜のことは、よく覚えている。

妻は指の腹でボタンを押すので、なかなか反応しなかった。

「押してるのに、出ないよ」

「爪の先で押すんだって」

「爪、短いもの」

確かに、妻の爪は深く切ってあった。

苗箱を運ぶから、伸ばせないのだと後で知った。

変換もうまくいかなかった。

「かき」と打つと牡蠣になり、妻は本気で困った顔をした。

「うちの柿は、海のじゃないんだけど」

絵文字を教えたら、妻はそれを「顔の絵」と呼んだ。

「顔の絵は、いい。恥ずかしい」

改行の仕方も教えたが、妻は途中で首を振った。

「そこは、もういい。覚えきらん」

それから十日、妻からのメールは来なかった。

私は待った。

待っている自分に呆れながら、それでも一日に何度も画面を開いた。

三日目には、少し苛立った。

あれだけ教えたのに、なぜ一通も寄越さないのか、と。

いま思えば、その苛立ちこそが、私の四年間そのものだった。

欲しいときに欲しいものが来ないと、腹を立てる。

そういう人間になっていた。

携帯を教えた夜から、妻は寝るのが遅くなった。

私が布団に入ってしばらくすると、台所の電気がつく音がする。

何をしているのかと一度聞いた。

「明日の下ごしらえ」

それだけだった。

鉛筆が紙をこする音を、私は水の音だと思っていた。

耳を澄ませなかったのは、私が、自分のことしか考えていなかったからだ。

六月十四日の、昼前だった。

私は柏尾の農協の駐車場で、コンバインの見積書を書いていた。

助手席に置いた携帯が鳴った。

知らない番号ではなかった。

妻からの、初めてのメールだった。

何気なく開いた。

「はしめて めえるします せんが ひけない もつと ちやんと ならておけは よかた でも いまは すこく しあわせて おもう」

見積書の上に、ペンを落とした。

線が引けない、というのは、改行のことだ。

あの夜、妻が「そこは、もういい」と言った、あの改行のことだ。

だから一行に、全部つなげて書いてある。

濁点も、小さい文字も、ところどころ抜け落ちている。

それでも、最後まで打ってある。

駐車場の車の中で、私は声を出さずにいるのが精一杯だった。

しばらくして、後輩が車の窓を叩いた。

「先輩、見積書、雨に濡れたんすか」

助手席の書類の右下が、丸く波打っていた。

私は「エアコンの水だ」と言って、書き直した。

書き直した見積書は、その日のうちに契約になった。

仕事だけは、いつも通りできる自分が、いちばん嫌だった。

その晩、家に帰ると、妻は玄関の電気を消し忘れていた。

「メール、来たわ」

「届いた?」

「届いた」

「よかった」

妻はそれだけ言って、台所へ戻った。

手が濡れたまま、前掛けで拭いていた。

私は靴を脱ぎながら、その背中を見ていた。

何か言おうとして、何も言えなかった。

妻は台所のカレンダーを、月が替わっても捨てずに、たたんで茶箪笥の引き出しにしまっていた。

紙が惜しいのだろうと、私はずっと思っていた。

実際、妻は包装紙も紐も、何ひとつ捨てない人だった。

その引き出しを開けたのは、メールの翌週だ。

判子を探していて、いちばん下の段まで手を入れた。

カレンダーの束が出てきた。

厚みがあった。

何気なく一枚めくって、裏を見た。

カレンダーの裏には、五十音が、九枚分、書き写してあった。

鉛筆で、大きく、あ行から順に、何度も。

文字の並びの横に、小さな数字が振ってある。

携帯のボタンの番号だ。

「あ」の隣に1、「か」の隣に2、そうやって、五十音の全部に番号が振ってあった。

覚えられないから、書いて、指の場所を先に頭に入れようとしたのだ。

三枚目からは、単語の練習になっていた。

「ごはん」「たんぼ」「あめ」「かえり」。

六枚目には、日付が入っていた。

六月三日。

私が携帯を買ってきた、次の日だ。

つまり妻は、私が教えた夜から、毎日これを書いていた。

十日間、一度も送らずに、練習だけを続けていた。

九枚目の紙の隅には、「きようも おかえりなさい」と、鉛筆で何度も書いてあった。

何度も、何度も。

薄くなった線の上を、また鉛筆でなぞった跡がある。

けれど、その言葉は、結局あの一通には書かれなかった。

代わりに妻が選んだのは、「いまは すこく しあわせて おもう」だった。

私はカレンダーを持ったまま、畳に座り込んだ。

紙の下のほうには、消しゴムで消しきれなかった跡がいくつも残っていた。

消したのは、たぶん、うまく書けなかった文字だ。

うまく書けない文字を、この人は誰にも見せずに消していた。

私が家にいない夜に、台所の電気の下で、ひとりで。

その十日間、私が考えていたのは、鳴らない着信音のことだけだった。

四年のあいだ、私が線を引いていたのは、家のこちらとあちらだった。

妻が引けないと言った線は、たった一本の改行だ。

その年の暮れ、農協の職員に、思いがけないことを言われた。

「奥さん、六月に窓口へ来られましたよ」

「うちの、が」

「携帯のメールの打ち方を教えてくださいって。三日続けて」

職員は笑っていた。

「もう覚えられました、って最後に言って帰られました」

私はその場で、返す言葉を持てなかった。

妻は、家で九枚の紙を書き、家を出て、窓口で三日教わっていた。

たった一通のために。

カレンダーのことを、私は妻に言えなかった。

言えば、妻は恥ずかしがって、あの九枚を捨ててしまう気がした。

代わりに、盆に妻の実家へ行ったとき、義母に遠回りに聞いた。

義母は縁側で豆をむきながら、あっさりと言った。

「あの子は、字を書くのが、ずっと恥ずかしかったんよ」

妻は三女で、中学を出てすぐ家の田んぼに入った。

上の二人は町の高校へ行き、妻だけが残った。

「行きたい言うたことは、一度もなかったねえ」

義母は豆の筋を取りながら続けた。

「そのかわり、あの子、家の帳面だけは自分でつけたがったのよ。字がへたでも」

私は縁側の柱に背を預けて、庭を見ていた。

「もつと ちやんと ならておけは よかた」

あの一行は、改行の練習の話ではなかったのだ。

三十年前に置いてきたものの話だった。

あの日から十九年が経った。

妻はいまも、田んぼの帳面を自分でつけている。

数字だけは、驚くほど正確だ。

米の等級も、肥料の袋数も、一度も間違えたことがない。

妻はいまも、メールを打つのが遅い。

返事は三十分かかることもあるし、来ないこともある。

けれど、必ず何か送ってくる。

「あめ ふりそう」

「ゆふはん なにか いる」

濁点は、いまだにときどき抜ける。

私はそのまま読む。

直してやったことは、一度もない。

一昨年、妻が腰を痛めて、二週間入院した。

病室で、妻は私の携帯を借りて、実家の母にメールを打とうとした。

点滴の管が邪魔で、指が思うように動かない。

「あんた、打って」

「なんて」

「げんきです、って」

私はその通りに打った。

妻は画面を見て、「ちがう」と言った。

「なにが」

「わたしの字じゃない」

結局、妻は三十分かけて、自分で四文字だけ打った。

「けんきてす」

送信した後、妻は満足そうに枕に頭を戻した。

私はその夜、病院の駐車場で、久しぶりに声を出した。

別れた人を、町で一度だけ見かけた。

三年ほど経ったころ、隣の市のスーパーの駐車場で、子どもを抱いていた。

私は車から降りずに、そのまま出口へ向かった。

何も思わなかった、と言えば嘘になる。

けれど、あのとき私の頭に浮かんだのは、家の台所の、弱い火のことだった。

先週、妻と二人で田んぼの水を見に行った。

畦に立って、妻は水口の板を指で押さえながら言った。

「あんた、ここの水、去年より早いね」

「そうか」

「そうだよ。うちの田んぼだもの」

帰りの車で、妻は窓の外を見ていた。

信号で止まったとき、妻の膝の上の手が、少し日に焼けているのが見えた。

その手を握るのに、私は十九年かかった。

去年、妻の財布から、小さく折りたたんだ紙が落ちた。

開くと、色の変わったカレンダーの裏だった。

五十音と、ボタンの番号。

十九年、持ち歩いていたことになる。

「まだ覚えられんの」と聞いたら、妻は少し笑った。

「覚えたよ。お守り」

私はその紙を、そっと畳んで返した。

財布に戻す妻の指を、今度はちゃんと見た。

子どもは、できなかった。

妻は一度もそのことを口にしない。

正月は二人で、妻の実家に顔を出して、あとは炬燵にいる。

妻はみかんの皮を、いつも同じ形に剥く。

四つに割って、白い筋を丁寧に取ってから、私の膝に置く。

筋を取るのが上手だね、と言ったら、妻は「あんた、筋が嫌いだから」と答えた。

私は、そんなことを言った覚えがない。

言った覚えのないことを、この人は二十三年、憶えている。

いま妻は、メールを打つとき老眼鏡を上げて、画面を腕いっぱいに遠ざける。

「近いと、見えんの」

「離しても見えんべ」

「離すと、字の形でわかるの」

字の形でわかる、というのが、どういうことか私にはわからない。

ただ、九枚の紙を思い出すたびに、たぶんそういうことなのだろうと思う。

あの人は、言葉を、形として憶えた人だ。

去年の秋、収穫のあとに、私は初めて妻に礼を言った。

言葉にしてしまうと、ひどく短かった。

「長いこと、ありがとうな」

妻は籾を計る手を止めずに、こう答えた。

「なに、急に」

それきり、何も言わなかった。

けれど、その晩の味噌汁は、いつもより少ししょっぱかった。

妻の携帯の送信済みは、いまも一通のままだ。

消してしまうと二度と打てないから、と妻は言う。

本当は、私が消させないのだ。

あの一行を、私は月に一度は開く。

線の引けない、たった一行を。

この人を大切にする、という言葉を、私は口に出したことがない。

だから毎晩、玄関で靴を脱ぐ前に、心の中でその一行を読み直している。

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