母が黙って食べ続けたパン
二年前に母を亡くしたパン職人の私は、母が毎年春に三時間かけて店へ通い、食べ続けたパンのことを知りました。母の友人の千代さんが語る「世界一」の言葉と、紺色の貝ボタ…
胸が締め付けられるような、あの感覚。泣けるほど悲しいわけではないのに、なぜか心のどこかに引っかかって残る話があります。後悔、別れ、言えなかった言葉。切なさの中にこそ、人が生きる美しさがある——そんな短編をまとめました。
二年前に母を亡くしたパン職人の私は、母が毎年春に三時間かけて店へ通い、食べ続けたパンのことを知りました。母の友人の千代さんが語る「世界一」の言葉と、紺色の貝ボタ…
妻を喪って三年、納戸にしまった漁師着の袖口のほつれが消えていました。誰が繕ったのか。妻が遺した裁縫箱の二重底に眠る五十年前の手紙が、無口な元漁師と隣家の若い妻、…
十一年口をきかなかった弟が、兄の魚拓帳をめくると、毎年の余白に「静夫、来ず」と書かれていた。十一年分の四文字は、責める言葉ではなく招く言葉だったと知るまでの、道…
能登の縁側に、横浜から見知らぬ封筒が届いた。差出人は、十五の夏に桜のしおりを手渡した少年の娘だった。世界中の港の本に一枚ずつ挟まれた和紙と、朱色の組紐の結び目。…
妻が遺した桑の木の針箱の、指先ほどの抽斗から空色の手帳が出てきた。四十九日の翌週のことだ。和裁を生業にしていた妻が、最後の半年に寸法帳も開かずに裁っていた紺鼠の…
七年前に喧嘩別れした幼馴染が先月他界した。遺品として届いた二十四年前の使い切りカメラを現像すると、最後の五枚に、病床の自撮りと、冬の海と、私への謝罪のメッセージ…
十五年前、大阪の雨の夜に私のタクシーに残された、ひかりと書かれた小さな貯金箱。ずっと返せずにいた忘れ物が、思いがけない再会で持ち主の娘のもとへ帰っていく。静かに…
陶芸家の俺は10年前の元恋人を忘れられず、もらった花束を干し花にしてずっと工房に置いていた。ある秋、その彼女が客として現れ——切なくも温かい再会の物語。…
東京で和菓子職人を営む誠は、母の家の整理中に古いアルミのお弁当箱を見つけた。錆びた蓋の裏には、六年分の日付と一言が並んでいた——口下手な母が語らなかった愛の形。…
十年前に告白できなかった初恋の人と、出張先の城下町で再会した。祖父のリハビリに付き添う彼女が手にしていたのは、蔵から出してきた古い番傘だった。泣ける恋愛の感動短…
上司に「向いてない」と言われた夜、私は東京を出た。七年ぶりの函館、漁師の兄の背中を追って乗った夜明けの船。兄は何も聞かなかった。ただ「戻らなくていいんじゃないか…
毎朝四時に台所へ置かれる母の弁当箱。東京の外れの古い団地で母とふたり暮らしをする配達員が、風邪で弁当箱が消えた朝に二十四年分の重さへ気づき、焦げた玉子焼きと湯呑…
図書館司書の桜は、亡くなった元彼の部屋で古いカセットテープを見つけた。「桜へ」と書かれたテープは10本。毎年誕生日の前夜に録音された、届かなかった声だった。…
押し入れから出てきた古い地図には、赤ペンで七つの丸印がついていた。それはすべて、私と関係のある場所だった。母は毎年、私の誕生日に一人でその道を歩いていたという。…
3年ぶりに帰省した孫が、祖母の指に50年間輝き続ける銀の指輪を見つけた。祖父が5年かけて贈った指輪に込められた無口な愛情と、老いていく祖母の姿に、失われた時間の…