妹からの最後のメール

公開日: 兄弟姉妹 | 悲しい話

病室(フリー写真)

妹からの最後のメールを見て、命の尊さ、居なくなって残された者の悲しみがどれほど苦痛かを実感します。

白血病に冒され、親、兄弟でも骨髄移植は不適合でドナーも見つからず、12年間苦しむだけで短い生涯を終えました。14才でした。

妹が2才半の時に微熱が続き、病院に行った時には「白血病」と診断。

その日から母は毎日、病院と家を往復する日々が続き、大型連休で家族揃ってレジャーに行く日なんてありませんでした。

妹の面会が、我が家の大型連休の消化日課でした。

「妹が居なければ遊びに行けたのに!!」

当時は妹に憎しみさえ抱いたほどです。

両親が妹ばかり世話し、愛情をいっぱい注いでいる姿に嫉妬したんでしょうね。

その妹が亡くなって2年。両親は抜け殻が取れたような静けさです。私もですが…。

1999年の12月中旬、妹が突然

「携帯電話が欲しい」

と言い出しました。

私がメールばかりしていたので欲しくなったんでしょうね。もちろん大急ぎで買いに行きました。

そしてイブの夜に携帯電話を渡し、一緒にメールの送信方法も教えてやりました。

私が家に帰る頃には午前0時を過ぎ、クリスマスを迎えた寒い夜になっていました。

寝ようと思ったら妹からのメールです。

『さっきはイブだったけど、今日はクリスマスだよ。

迷惑ばかり掛けてごめんね。おにいちゃん。

ありがとう』

その時、母が息を切らして階段を上がって来て、

「病院に行くから支度しなさい」

さっき別れたばかりなのに、また行くの? 何で? と思いました。

病院に行くと、さっきまで元気だった妹が、顔に白いクロスを掛けられて亡くなっていました。

後で看護婦さんに聞いて判ったことなのですが、携帯電話を強く握り締めて、離すのに大変だったと…。

それを聞いて涙が沢山溢れて来ました。

妹の携帯電話は解約しましたが、2年経った現在でも、遺影の横にそっと置いてあります。

妹は、私にだけはきちんとお別れして逝きました。

天国でも携帯電話が使えると良いなぁ…。

関連記事

老犬(フリー写真)

苦渋の決断

22歳になるオスの老犬が来ました。 彼は殆ど寝たきりで、飼い主が寝返りを打たせているので、床ずれが幾つも出来ていました。 意識はしっかりしているのですが、ご飯も飼い主が食べ…

阪神・淡路大震災(フリー写真)

色褪せたミニ四駆

小学4年生の時の1月15日、連休最初の日だったかな。 いつものメンバー5人で、俺の住んでいたマンションで遊んでいた。 当時はミニ四駆を廊下で走らせ、騒いでは管理人さんによく…

夕日(フリー写真)

自衛隊の方への感謝

被災した時、俺はまだ中学生でした。 家は全壊しましたが、たまたま通りに近い部屋で寝ていたので腕の骨折だけで済み、自力で脱出することが出来ました。 奥の部屋で寝ていたオカンと…

双子の姉妹(フリー写真:サムネイル)

ずっと笑顔で

私には双子の妹がいます。名前はあやか。 私たちはそっくりすぎるほどよく似ていて、両親もたまに間違えるほどです。 でも性格は全く違って、あやかは昔からとても活発で明るい性格…

バー(フリー写真)

大好きな姉

20歳を迎えたその日、姉が雰囲気の良いショットバーに連れて行ってくれた。 初めてのバーに圧倒されている俺を見て、姉は 「緊張してんの? 何か子供の頃のアンタみたい」 …

世界平和大観音像

生かされた命

祖父がかつて満州に渡っていたことは、家族の誰もが知っていた。けれど、終戦後にシベリア行きが決まり、仲間とともに逃亡を図ったことまでは、私たちは知らなかった。 話によれば、祖父は…

日の丸の祈り

戦火を止めた日本の歌声

インドの砂漠地帯で、私は傭兵としてパキスタン軍と対峙していた。 敵味方の区別もつかぬほどの荒涼とした景色の中、銃声が飛び交い、朝も昼もなく砲弾が夜空を裂いていた。 そんな…

教室(フリー写真)

虐めから守ってくれた兄

中学生の頃、学校で虐めに遭っていた。 教室に入る勇気が無く、いつも保険室に通っていた。 虐めの事は家族にも言っていない。 ただ私の我儘で保険室に通っているだけ。そんな…

赤ちゃんと母(フリー写真)

切ない勘違い

私は他の人よりちょっと多くの体験をしてきたと思います。 ※ 高校生の時、青信号で自転車で横断中、左折して来たトラックに真正面から撥ねられました。 自転車ごと跳ばされ…

コスモス

未来への手紙

家内を亡くしました。 お腹に第二子を宿した彼女が乗ったタクシーは、病院へ向かう途中、居眠り運転のトラックと激突し、彼女は即死でした。 警察からの連絡を聞いた時、酷い冗談だ…