生かされた命

公開日: 悲しい話 | 戦時中の話

世界平和大観音像

祖父がかつて満州に渡っていたことは、家族の誰もが知っていた。けれど、終戦後にシベリア行きが決まり、仲間とともに逃亡を図ったことまでは、私たちは知らなかった。

話によれば、祖父は2、3日間、何人かの戦友とともに身を潜めて逃げていたという。しかし、人数が多いと目立ってしまうと判断し、彼らは別々に行動することにした。

その後、祖父は一人きりで一週間近くをさまよい続け、ようやく一隻の帰国船にこっそり乗り込むことに成功し、日本の土を踏むことができた。

その逃亡中、現地の中国の人々に匿ってもらい、ご飯を分けてもらったことが何度もあったそうだ。だからこそ、祖父は「中国には足を向けて寝られない」と、いつも静かに語っていた。

祖父は、戦争の話をめったにしない人だった。

その祖父がある日、突然話し始めたのは、一通の手紙がきっかけだった。あの逃亡中に別れ別れになった戦友から届いた、長い年月を越えての便りだった。

相手は、ずっと祖父が生きていることを信じてくれていた。そして、長い時間をかけて祖父の消息を探し続けてくれていたという。

その手紙を読みながら、普段は感情をあまり表に出さない祖父が、静かに、けれどはっきりと声をあげて泣いた。膝をつき、手紙を抱きしめながら、何度も何度もこぼした言葉は――

「やっと……戦争が終わった」

その姿を、私は一生忘れないと思う。

その頃から、祖母が私と二人きりになると、ぽろぽろと涙をこぼすようになった。私が成人してからのことで、最初はその理由が分からず戸惑っていた。

ある日、思い切って理由を聞いてみた。

すると祖母は、静かに語り始めた。

「あなたがね、戦争で亡くなった私の母に、よく似ているのよ」

私は初めて、祖母の戦争体験を聞いた。

あの頃、祖母はまだ7歳。弟を連れて、身重の母親とともに逃げていた。しかし母は、満足な食事も取れず、衰弱して病に倒れた。

そして、最後に祖母の手を握りながらこう言ったという。

「お母さんの代わりに、弟を守ってね」

そのまま、防空壕の中で息を引き取った。

残された祖母は、幼い弟を背負って県の北部から南へとひたすら歩いた。空襲を避け、米軍から逃れながら、道端で力尽きそうになりながら。

ある夜、力尽きて道に倒れていた時、ジープに乗った米兵に見つかった。殺されるかもしれないと思ったその瞬間――兵士たちは祖母たちにご飯をくれ、お菓子を分け与え、お風呂にまで入れてくれたという。

「本当に嬉しかったの。あの人たちには、もう一度会ってお礼が言いたいのよ」

そう語る祖母の目は、涙で潤んでいた。

祖父が中国の人々に助けられ、祖母がアメリカ兵に命を救われたこと。二人とも、決して語らなかった記憶の奥底に、人の優しさと命の重みがあった。

私が今ここにこうして生きていられるのは、祖父と祖母が、あの時代を懸命に生き抜いてくれたからに他ならない。

だからこそ、私はこれからも胸を張って生きていこうと思う。

生かされた命を、大切に守りながら。

関連記事

タクシーの車内(フリー写真)

覚えていてくれたんですね

仕事帰りに乗ったタクシーの運転手さんから聞いた話です。 ※ ある夜、駅のロータリーでいつものように客待ちをしていると、血相を変えたサラリーマン風の男性が 「○○病院…

黒猫

小さな黒猫の命

小学校の帰り道、裏門の近くで小さな黒猫の赤ちゃんを見つけた。 目は膿でふさがれ、ほとんど開いていない。 痩せ細った体を震わせながら、かすれた声で鳴いていた。 見捨て…

眠る猫(フリー写真)

愛猫と過ごした日々

俺は18歳なのだけど、今年で18年目になる飼い猫が居る。つまり俺と同い年だ。 どんなに記憶を遡ってもそいつが居る。 本当に兄弟のように一緒に育った。 布団の中に入って…

手を繋ぐ夫婦(フリー写真)

最愛の妻が遺したもの

先日、小学5年生の娘が何か書いているのを見つけた。 それは妻への手紙だったよ。 「ちょっと貸して」 と言って内容を見た。 まだまだ汚い字だったけど、妻への想いが…

学校(フリー背景素材)

たくちゃん

その人は一個上の先輩で、同級生や後輩からも『たくちゃん』と呼ばれていた。 初めて話したのは小学校の運動会の時。 俺の小学校は、全学年ごちゃ混ぜで行われる。俺は青組みだった。…

浜辺で手を繋ぐカップル(フリー写真)

彼女の面影

彼女が痴呆になりました。 以前から物忘れが激しかったが、ある日の夜中に突然、昼ご飯と言って料理を始めた。 更に、私は貴方の妹なのと言ったりするので、これは変だと思い病院へ行…

戦闘機

戦時の影

私が今、介護福祉士として働いているところに、とある老人がいる。彼は普段から明るく、食事もよく食べ、周囲を和ませる存在だ。 先日、妹が修学旅行で鹿児島に行く話をしたとき、彼が珍し…

カップル

届かなかった「ごめんね」

あの日、私たちは些細なことで言い争っていた。 本当はすぐにでも仲直りできると、心のどこかでは思っていた。 でも、彼女は険しい表情のまま、何も言わずに仕事へと向かっていった…

妊婦さんのお腹(フリー写真)

母子手帳

今年の6月に母が亡くなった。火事だった。 同居していた父親は外出していて、弟は無事に逃げる事が出来たのだけど、母親は煙に巻かれて既に駄目だった。 自分は違う地方に住んでいた…

女性の後姿(フリー写真)

宝物ボックス

俺が中学2年生の時だった。 幼馴染で結構前から恋心も抱いていた、Kという女子が居た。 でもKは、俺の数倍格好良い男子と付き合っていた。俺が敵う相手ではなかった。 彼女…