愛しき娘へ残す手紙

公開日: 悲しい話 | 戦時中の話

戦闘機

素子、
素子は私の顔をよく見て、にこにこと笑ひましたよ。

私の腕の中で安心したやうに眠りもしたし、また一緒にお風呂にも入りました。

お前が大きくなって、私のことが知りとうなった時は、お前のお母様である住代伯母様に、どうか私のことをようお聞きなさい。

私の写真帳も、お前の為に家に残してあります。きっと伯母様が見せて下さいます。

「素子」といふお名前は、私がつけました。

素直な心をもち、やさしゅうて、思ひやりの深い人に育って欲しいと願ひ、お父様が考へたのです。

私は、お前が大きくなって、立派な花嫁さんとなり、仕合せになられるのを見届けたうございます。

けれど、若しも私がその前に逝ってしまひ、お前が私を見知らぬまゝ育ってしまふことがあっても、どうか決して悲しんではなりません。

お前が大きくなり、父に会いたいと思ふやうになったら、どうか九段の御社へ参りなさい。

そして、心の底から深く念ずれば、必ずお父様のお顔が、お前の心の中に浮かんでまいります。

父は、お前を「幸福者」と思ひます。

なぜなら、お前は生まれながらにして、父に生き写しでありましたし、他の方々も皆、「素子ちゃんを見ると、眞久さんに会うているやうな気がする」と、よく申されておりました。

また、お前の伯父様、伯母様は、お前を唯一つの希望とされて、心からお前を大切にして下さいます。

お母様も亦、ご自分の全生涯をかけて、ただただ素子の幸福をのみ念じて、生き抜いて下さるのです。

ですから、たとへ父に万一のことがあっても、決して「親なし児」などと思うてはなりません。

父は、常にお前の身辺を護って居ります。

やさしゅうて、人に可愛がられる人になって下さい。

お前が大きくなって、父のことを想ひ始めたその時に、この便りを、どうか読んで貰ひなさい。

昭和十九年 ○月吉日
父より 植村素子へ

追伸

素子が生まれた時に、おもちゃにして遊んでおられたあの小さな人形は、父が頂戴して、自分の飛行機にお守りとして携えております。

ですから、素子はいつも、父と一緒に空を飛んでいたのですよ。

素子が知らずにいると困りますから、どうかこれを教へて差し上げます。

関連記事

チワワ

脳梗塞で亡くなったチワワ

今から3年程前の事です。 飼っていたチワワ(以下、まーちゃん)が脳梗塞で亡くなりました。 14歳でした。 まーちゃんは亡くなる前日まで元気で、死因が脳梗塞と聞いた時…

洗濯バサミ

そのままの部屋

4年前、会社の友人が交通事故で奥さんと4歳の長男を失いました。飲酒運転の車が彼らを轢いたのです。ニュースでも大きく取り上げられるほどの痛ましい出来事でした。加害者家族も辛い日々を過ご…

和室(フリー写真)

お父さん頑張ろうね

俺の会社の友人は、4年前に交通事故で奥さんと当時4歳の長男を亡くした。 飲酒運転の車が歩行中の二人を轢き殺すというショッキングな内容で、ワイドショーなどでも取り上げられたほど凄惨…

病室

足りない時間

私は医師として、人の死に接する機会が少なくありません。しかし、ある日の診察が、私の心を特別に痛めつけました。 少し前、一人の若者に余命宣告をすることになりました。 「誠に…

桜

失われた春

あれは今から1年半前、大学3年になったばかりの春のことでした。 大学の授業が終わり、帰り支度をしているときに、携帯電話が鳴りました。 着信画面に映ったのは、彼の親友からの…

女の子の後ろ姿

再生の誓い

私が結婚したのは、20歳の若さでした。新妻は僕より一つ年上で、21歳。学生同士の、あふれる希望を抱えた結婚でした。 私たちは、質素ながらも幸せに満ちた日々を過ごしていましたが、…

阪神淡路大震災(フリー写真)

大切な親友との約束

小学4年生の時、俺はマンションで友達と遊んでいた。 ミニ四駆が流行っていた頃だ。 いつも騒いでいた俺たちは、管理人さんに怒られたものだ。 俺は改造が下手で遅れがちだ…

終戦時の東京(フリー写真)

少女に伝えること

第二次大戦が終わり、私は多くの日本の兵士が帰国して来る復員の事務に就いていました。 ある暑い日の出来事でした。私は、毎日毎日訪ねて来る留守家族の人々に、貴方の息子さんは、ご主人は…

ポメラニアン(フリー写真)

愛の形

私はあるペットクリニックに勤めています。 そこで起こった悲しい出来事をお話します。 ※ 40代くらいの男性がポメラニアンを連れてよく来ていました。 その人が購…

住宅街

最後のアイスクリーム

中学3年生の頃、母が亡くなった。 今でも、あれは俺が殺したも同然だと思っている。 ※ あの日、俺は楽しみに取っておいたアイスクリームを探していた。 学校から帰…