隅っこの守護者

犬

家で可愛がっていた犬が亡くなって、もう何年経っただろう。当時はまだ子育て中で、二人の小さい子供たちと忙しい日々を送っていました。ある日、夫が「番犬にもなるし子供たちにもいい」と突然犬を飼う提案をしました。私たちは海外に住んでおり、小さな子供もいたため、正直私にとっては大変なことでした。

そんな私は躊躇していましたが、「これ以上の負担は難しい」と感じていたものの、とりあえず子犬を見に行くことに同意しました。

訪れたのは多くの子犬が戯れる場所でした。遊んでいる子犬、眠そうにあくびをする子犬など、個性豊かな子犬たちが目を楽しませてくれました。しかし、部屋の隅でじっとしている一匹の子犬が私の目に留まりました。

「あの犬は?」と尋ねると、ブリーダーは「あの子は母犬にも見放され、なかなか新しい家族が見つからないんだ。もし連れて行ってくれるなら、特別に安くするよ」と教えてくれました。

その言葉を聞いた瞬間、他の子犬には目もくれず、「この犬を連れて帰ります!」と心に決めました。そうして、その犬は我が家の大切な一員となりました。

初めは母親犬に虐げられて育ったせいか、その犬は人間にも臆病で、いつも部屋の隅に隠れていました。しかし、共に過ごす日々が増えるにつれて、徐々に子供たちと遊ぶ姿が見られるようになりました。

しかし、幸せな日々も長くは続きませんでした。その犬もやがて病気を患い、治る見込みのない状態になってしまいました。多くの飼い主が選ぶ安楽死ではなく、私たちは最期まで共に過ごすことを選びました。

最後の日々は、できる限りのことをしてあげました。一緒に食事をし、同じベッドで眠りました。痛みを感じさせないようにし、できるだけ快適に過ごさせてあげました。そして、静かに眠るようにこの世を去りました。

この犬は私たちにとって、ただのペットではありませんでした。どんなに安価で家に来たとしても、その存在は私たち家族にとってかけがえのないものでした。

天国へ行った犬の写真を見ながら、いつの日か再び会えることを願っています。そして、再会した時には、どれだけ愛していたかを改めて伝えたいと思います。

関連記事

浅草

母の秘密の願い

都会の喧騒とは異なる田舎の空気。 私はその中で母の日常を想像していた。彼女はいつも家のことに追われ、人混みの多い場所に足を運ぶことはなかった。私が東京に単身赴任してからも、母は…

学校の机(フリー写真)

君が居なかったら

僕は小さい頃に両親に捨てられ、色々な所を転々として生きてきました。 小さい頃には「施設の子」とか「いつも同じ服を着た乞食」などと言われました。 偶に同級生の子と遊んでいて、…

手を繋ぐカップル(フリー素材)

可愛い彼女がいた

俺には可愛い彼女がいた。 性格は素直でスタイルも良かったが、周囲からは 「え、あの女と付き合ってるの? お幸せに(笑)」 と、よく馬鹿にされた。 彼女は頭が非常…

結婚式

父娘の絆

土曜日の太陽が、一人娘の結婚式を温かく照らしていた。 私が彼女たち母娘と出会ったのは、私が25歳の時でした。妻は33歳、娘は13歳というスタートでした。 事実、彼女は私の…

マグカップ(フリー写真)

友情の形

友人が亡くなった。 入院の話は聞いていたが、会えばいつも元気一杯だったので、見舞いは控えていた。 棺に眠る友人を見ても、闘病で小さくなった亡骸に実感が湧かなかった。 …

カップル(フリー写真)

彼女に振られた理由

付き合って3年の彼女に唐突に振られた。 「他に好きな男が出来たんだー、じゃーねー」 就職して2年、そろそろ結婚とかも真剣に考えてたっつーのに、目の前が真っ暗になった。 …

カップル

傷跡を越えて

私は生まれながらに足に大きな痣があり、それが自分自身でもとても嫌いでした。その上、小学生の時に不注意で熱湯をひっくり返し、両足に深刻な火傷を負いました。痕は治療を重ねましたが、完全に…

あじさい

雨の日の再会

もう二十年前のことです。私が小さい頃、両親は離婚し、私は施設で育ちました。その後、三歳の時に今の親に引き取られ、その家庭で育ちました。私はその親を本当の親と思っていましたが、中学二年…

朝焼け(フリー写真)

天国の祖父へ

大正生まれの祖父は、妻である祖母が認知症になってもたった一人で介護をし、祖母が亡くなって暫くは一人で暮らしていた。 私が12歳の時に、祖父は我が家で同居することになった。 …

初期の携帯電話(フリー写真)

母と携帯電話

15年前の話です。 今でもそうだが人付き合いの苦手な俺は、会社を辞め一人で仕事を始めた。 車に工具を積み、出張で電気製品の修理や取り付けをする仕事だ。 当時はまだ携帯…