親猫

公開日: ちょっと切ない話 | ペット |

猫の親子(フリー写真)

家の裏に同じ猫が、よく通っていた。

痩せていたので、残飯を少し置いてあげた。

私自身、あまり動物が好きではない。

以前は子供のためにウサギを家で飼ったが、そのせいで主人のアレルギーがひどくなったこともあり、家でペットは飼えないと思っていた。

それにウサギが亡くなった後は辛かったから、もう二度とペットは飼わないつもりでした。

だけど、一度餌をあげるとまたやって来て、その都度何かしらあげていた。

ある日、お腹が大きくなっているのに気が付いた。メス猫なんだ。

一週間しているうちに、お腹が元の大きさに戻っていた。と思っているうちに、隣の柵の方から赤ちゃん猫が泣く声がして。

親猫は、裏に来てこちらがあげる物を食べたら、すぐ赤ちゃんの所へ戻って行っていました。

それから暫くして、裏に赤ちゃんを連れてやって来ました。

いつも来る親猫は、黒と白色が混ざった猫できりっとした顔でしたが、赤ちゃんは黒色が主で白も所々あり、かわいい顔の猫でした。網戸越しに、赤ちゃんを見ました。

親猫(私たちは『クロ』と呼ぶようになりました)はまたすぐ子猫を連れて、隣に帰りました。

その翌日クロが来て、今までと違う悲しい鳴き声で泣き続けました。

何かあったのだっと思い隣の柵を除いたところ、子猫が横たわっていました。動かないのを見て、亡くなったのだと気付きました。

ようやく、クロの鳴く意味が解りました。私は、餌をあげるしか、励ますことができなかった。

次の日にはもう普通のクロに戻っていました。

それから一ヶ月ぐらい経った頃、7月の初旬。

クロのお腹がまた、大きくなっていた。あれー、また子供ができたみたい。

私が、家族に言ったのだけど、あまり信じてもらえなかった。

7月12日、この日クロは我が家に入りたがった。もしかして、うちで産む気なのかと思ったが、やはり家には入れなかった。

以前と違う所で産んだのだが、今回は場所が判らない。

暫くして赤ちゃんの泣き声がしたから、やはり近くで産んでいるのだろう。

何日か後の夜中に凄い雨が降りました。大丈夫だったかなあと思っていました。

次の日の昼間、クロがやって来て、またあの時みたいな泣き方をし始めました。

「クロ、もしかして、赤ちゃんいなくなったん?」

クロは、泣き続けました。

私は続けて、

「クロ、泣いてる場合じゃないよ。探しに行き」

通じないかもしれないけど、ついそう言っていました。

すると、クロは餌も食べず歩き出したのです。

その夕方、赤ちゃんの猫の鳴き声が聞こえたので、やれやれ見つかったんだとほっとしました。

今回はすくすくと育つようにと思っていたら、またもや子猫を連れて来た。

今度は二匹。茶色の縞模様の子とグレーの子。縞模様は、キリっとした顔立ち。

グレーは、かわいい顔の猫でした。

二匹は、裏でじゃれて遊んでいました。いつの間にかクロの姿がありませんでした。

ええっ、もしかして…。クロは、赤ちゃんを置いて行きました。

すぐスーパーに子猫専用のフードを買いに行きました。裏に置いてある棚に、寝床を作り。

子猫は、すぐ慣れました。

一ヶ月が経った頃、ふらっとクロが現れました。私たち家族は、思わず「クロ」と呼んでいました。

私はすぐクロの餌を用意して、置きました。しかしクロは見向きもせず、子供たちを見ました。

子供たちはすっかり忘れたみたいで、二匹で寄り添って怖がっていました。

クロはそのまま玄関の方へ行きました。ちょうど主人が車から降りて来ました。

主人も久々のクロを見て「クロ」と言うと、クロは主人の所へ行きました。

かわいがっていた主人はクロを撫でてやっていると、クロはすっと歩き出し、家の門を出て何歩か歩き、振り返って頭を下げたのです。

私も主人も一緒に見ていたので、私は思わず

「今、頭下げたよね」

と言いました。

クロの姿は、消えました。その後、クロは一度も現れませんでした。

今でもクロのことは、時々会話に出てきます。

子猫のことは、また続きを書きますね。

投稿者: 匿名希望

関連記事

朝焼け(フリー写真)

天国の祖父へ

大正生まれの祖父は、妻である祖母が認知症になってもたった一人で介護をし、祖母が亡くなって暫くは一人で暮らしていた。 私が12歳の時に、祖父は我が家で同居することになった。 …

白猫(フリー写真)

猫の導き

小学生の頃、親戚の家に遊びに行ったら、痩せてガリガリの子猫が庭にいた。 両親にせがんで家に連れて帰り、その猫を飼う事になった。思い切り可愛がった。 猫は太って元気になり、…

女性(フリー写真)

見守ってる

昨日、恋人が死んだ。 病気で苦しんだ末、死んだ。 通夜が終わり、病院に置いて来た荷物を改めて取りに行ったら、その荷物の中に俺宛の手紙が入っていた。 そこには、 …

バー(フリー写真)

大好きな姉

20歳を迎えたその日、姉が雰囲気の良いショットバーに連れて行ってくれた。 初めてのバーに圧倒されている俺を見て、姉は 「緊張してんの? 何か子供の頃のアンタみたい」 …

祖母の手(フリー写真)

おばあちゃんの深い愛

幼い頃から両親が共働きで、俺の面倒を見てくれたばあちゃん。 俺は癇癪持ちだったからめちゃくちゃ怒られたけど(笑)。 あまりにも怒らせると、トイレに閉じ込められたりもした。…

ハンバーグ(フリー写真)

お母さんの弁当

俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。 なので料理は基本的に父が作っていた。 でも遠足などで弁当が必要な時は、母さんが頑張って作ってくれていた。 ※ 小学六年生の…

手紙(フリー写真)

連絡帳の約束

俺が小学五年生の時、寝たきりで滅多に学校に来なかった女の子と同じクラスになったんだ。 その子は偶に学校に来たと思ったらすぐに早退してしまうし、最初はあいつだけズルイなあ…なんて思…

スケッチブック(フリー写真)

手作りのアルバム

うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんて無かった。 だから写真の代わりに、母さんが色鉛筆で俺の絵を描いてアルバムにしていた。 絵は決して上手ではない。 た…

オフィス(フリー写真)

秘密のお守り

初めて彼女に会ったのは、内定式の時。同期だった。 聡明を絵に書いたような人。学生時代に書いた論文か何かが賞を獲ったこともあるらしく、期待の新人ということだった。 ただ、ちょ…

母と娘

余命3ヶ月の母の“最後のおむすび”

僕がかつて看取った患者さんに、スキルス胃がんを患っていた一人の女性がいました。 余命3ヶ月と診断され、彼女はある病院の緩和ケア病棟に入院してきました。 ※ ある日の…