ナオと歩いた家族の時間

公開日: ちょっと切ない話 | ペット |

柴犬

昔、我が家では一匹の犬を飼っていた。

名前はナオ。

ナオは、ご近所の家で生まれた子犬だった。

その子犬を、うちの妹が、誰にも相談せずに勝手に連れて帰ってきたのが始まりだった。

当時、妹は中学生。

俺は高校を卒業して働き始めたばかり。

父はタクシーの運転手で、母は飲み屋でホステスとして働いていた。

生活に余裕などなかった俺たちは、突然やってきたナオの存在を“余計な厄介者”としてしか見ていなかった。

「こんな家で犬なんて飼えるわけがない」

そうやって口々に否定し、妹の行動を責めた。

それでも妹は、一人でナオの面倒を見続けた。

学校から帰ると、真っ先にナオの世話。

家族と距離のあった彼女にとって、ナオは心の拠りどころだったのだと思う。

そんな日々が、一年続いた。

ある寒い冬の夜のことだった。

免許を取ったばかりの俺が、初めて買った車で帰ってくると、ナオが尻尾を振りながら駆け寄ってきた。

「クゥン、クゥン」

車の横にぴたりと身を寄せて、ナオは小さく鳴いていた。

もう子犬ではなかった。

毛並みも良く、見違えるほど立派な柴犬に育っていた。

ふと見上げると、二階の窓から妹が顔を覗かせていた。

どこか申し訳なさそうな表情で、俺の様子を見つめている。

やがて妹は、静かに階段を下りてきた。

そして、ぽつりと呟いた。

「お兄ちゃん…ナオ、寒そうで…かわいそう…」

その日、親父も母も仕事で家にはいなかった。

俺は何か心を動かされるものを感じて、ベニヤ板を集めて小さな犬小屋を作ってやった。

すると、妹がどこからか汽船の毛布を持ってきて、小屋の中に丁寧に敷いた。

ナオは、まるで嬉しそうに笑っているかのように小屋に入り、妹はその背中を優しくブラシで撫でていた。

その姿を見て、俺はようやく気づいた。

妹とナオの間には、言葉にできない深い絆があったのだと。

その日を境に、我が家は少しずつ変わっていった。

あんなに犬嫌いだった親父も、いつしかナオを可愛がるようになり、休日には散歩に連れて行くようになった。

母は出勤前にナオのご飯を用意する係。

散歩はその時その時で、手の空いている誰かが担当する。

そんなふうに自然と役割が分担され、ナオはいつしか家族の中心にいた。

やがて親父の抱えていた借金も返済が終わり、家の中はますます明るくなった。

とはいえ、日々は平穏ばかりではなかった。

夫婦げんかもした。

兄妹げんかもした。

妹の受験も、俺の転職も、母の涙も――

そのすべてに、ナオは何も言わずそばにいてくれた。

ナオがいるだけで、俺たちは笑顔になれた。

やがて妹は結婚し、遠くの街に嫁いでいった。

ナオはその日、寂しそうに空に向かって遠吠えをした。

数年後、父がこの世を去ったときも、ナオは同じように空を見上げ、寂しげに吠えた。

母も再婚して街に出ていったとき、ナオはまた一人、静かに遠吠えをした。

気づけば、家に残ったのは俺とナオだけだった。

まさか俺がナオとこんなにも仲良くなるとは思ってもいなかった。

ナオが最初に家に来たとき、あんなに嫌がっていたのにな。

今となっては、自分でも信じられない。

なあ、ナオ。

あれから十七年が経った。

去年の夏、ナオは静かに息を引き取った。

もう立ち上がることも、吠えることもなく、穏やかな顔で眠るように逝った。

今、俺は仏壇にナオと親父の位牌を並べている。

家族がバラバラになりそうだったあの時代、ナオがいてくれたから、俺たちは一つになれた。

ありがとう、ナオ。

俺たちの家族になってくれて、本当にありがとう。

関連記事

親子の手(フリー写真)

親父の思い出

ある日、おふくろから一本の電話があった。 「お父さんが…死んでたって…」 死んだじゃなくて、死んでた? 親父とおふくろは俺が小さい頃に離婚していて、まともに会話すらし…

タクシーの後部座席(フリー写真)

母の気持ち

実家に帰省して、また帰る時の事。 俺は母子家庭で仕送りを貰っている癖に、冗談めかしに帰りのタクシー代と電車賃を頂戴と母にせがんだ。 すると母は、 「何言ってんの!うち…

父の手(フリー写真)

受け継がれた情熱

俺の親父は消防士だった。 いつ何があってもおかしくない仕事だから、よく母に 「俺に何かあっても、お前らが苦労しないようにはしてる」 と言っていたのを憶えている。 ※…

白猫(フリー写真)

白猫のミーコ

私が生まれる前から、私の家にはミーコという猫が居た。 白くて、ふわふわで、温かかった。 私はミーコが大好きだった。 ミーコもそんな私に懐いてくれた。 ※ 父が入院…

お味噌汁(フリー写真)

これで仲直りしよう

昨日の朝、女房と喧嘩した。と言うか酷いことをした。 原因は、夜更かしして寝不足だった俺の寝起き悪さのせいだった。 「仕事行くの嫌だよな」 と呟く俺。 そこで女房…

赤ちゃん

とおしゃん

今日、息子が俺の事を「とおしゃん」と呼んだ。 成長が遅れ気味かもしれないと言われていた子で、言葉も覚えるのも遅かったから、あまりの嬉しさに涙が出た。 「嫁か息子か選べ」 …

赤ちゃんの手を握る母(フリー写真)

お母さんありがとう

昨日、午前4時22分に母が亡くなった。 風邪ひとつ引かない元気な母だった。 僕が幼稚園に入る頃には、もう父は居なかった。 借金を作って逃げたらしい。 母は早朝4…

丸まるキジトラ猫(フリー写真)

猫のたま

病弱な母がとても猫好きで、母が寝ているベッドの足元にはいつも猫が丸まっていた。 小さな頃は、母の側で寝られる猫が羨ましくて、私も猫を押し退けては母の足元で丸まっていた。 『…

手を繋ぐ恋人(フリー写真)

握り返してくれた手

今から6年前の話です。 僕がまだ十代で、携帯電話も普及しておらずポケベル全盛期の時代の事です。 僕はその頃、高校を出て働いていたのですが、二つ年上の女性と付き合っていました…

炊き込みご飯(フリー写真)

母の炊き込みご飯

俺は小学生の頃、母の作った炊き込みご飯が大好物だった。 特にそれを口に出して伝えた事は無かったけど、母はちゃんと解っていて、誕生日や何かの記念日には、我が家の夕食は必ず炊き込みご…