甲子園に連れていく約束

公開日: ちょっと切ない話 | 恋愛

高校野球のボール

十年前、彼女が亡くなった。

当時、俺たちは高校三年生。同じ高校に通い、同じ野球部に所属していた。

俺たちは近所に住む幼馴染だった。俺は、野球好きの両親に育てられたこともあって、物心ついた頃から自然と野球に親しんでいた。

だからいつも一緒にいた彼女も、気がつけば野球をするようになっていた。

小学校に入ると、地元の少年野球チームに入団し、本格的に練習が始まった。

すると、彼女はあっという間に俺よりも上手くなっていった。

チームには女の子は彼女だけだったが、誰もそれを特別視せず、彼女も仲間として当たり前にプレーしていた。

ポジションはピッチャー。堂々たるエースだった。

中学に上がってからも、彼女は野球を続け、もちろん公式戦にも出場した。

それでも彼女は、髪を背中まで伸ばし、毎日丁寧に結んでいた。肌が日焼けしすぎないように日焼け止めも欠かさなかった。

だから俺はいつもからかい半分で尋ねていた。

「そこまでして野球やりたいのか?」

すると彼女は照れくさそうに笑いながら、こう答えていた。

「それだけ野球が好きなんだよ。野球を教えてくれたのは○○(俺)の両親だし、感謝してるの」

そして、時折、少し泣きそうな顔でこう続けるのだった。

「女の子が試合に出られるのは中学までだから、今のうちにたくさん楽しんでおきたいの」

俺たちはいつしか自然と付き合うようになった。

彼女は高校に入ったら野球は辞めると言っていた。

成績が似たり寄ったりだった俺たちは、同じ高校を目指すことにした。

学力はそこそこでも、野球に力を入れている高校を選んだ。

そして受験が近づく頃、彼女は「やっぱり野球を続けたい」と言い出した。

「試合に出られなくてもいい。練習だけでもいい。野球が大好きだから」と。

無事に合格した俺たちは、春休みにその高校の練習に参加するようになった。

彼女は、監督に何度も頭を下げ、熱意を伝えていた。

彼女の実力は地元で評判だったが、それでも女子という理由で監督は悩んでいた。

だが、毎日のように足を運び続ける彼女の姿に、やがて監督も心を動かされた。

彼女は正式に野球部員として認められた。

入学後の練習は、予想以上に厳しかった。

けれど彼女は、一日たりとも練習を休むことなく、歯を食いしばって頑張っていた。

「甲子園に行きたい」

彼女の夢は、ただひたすらその一心だった。

だが、あまりに突然の別れが訪れた。

高校三年の夏。あの決戦の季節。

彼女は練習に向かう途中で事故に遭い、そのまま意識が戻ることなく、息を引き取った。

その知らせを聞いた瞬間、グラウンドにいた全員が言葉を失った。

選手も、マネージャーも、監督も。誰もが彼女の死を信じられなかった。

みんな、彼女のことが大好きだった。

俺は、生まれて初めて、声を上げて泣いた。

葬儀が終わった後、彼女の母親から一通の手紙を手渡された。

「○○くんに渡すようにって、あの子が用意していたの」

封を見て、俺はすぐに分かった。

彼女が、俺の誕生日に渡すつもりで用意していたものだった。

俺の誕生日は、その一週間後だった。

だから俺は、それを誕生日まで開けなかった。

そして、誕生日の朝。静かな部屋で、そっと封を開いた。

――○○へ

○○、お誕生日おめでとう。

またひとつ歳を取ったね。

私、本当に○○に感謝してるよ。いつもありがとう。

私は行きたくても甲子園には行けないから、○○が私を連れて行ってね。

約束だよ。

高校で野球を続けて、本当によかった。

練習はきついけど、きっといつか報われるって信じてる。

大げさかもしれないけど、私、人生で野球に出会えて本当によかった。

野球、大好きだから。

でも、それ以上に、○○に出会えたことが、私にとっては何よりの幸せだったよ。

大好きだよ。

○○、これからも一緒に頑張ろうね!!!

――××より

涙が止まらなかった。

俺は、彼女に彼氏らしいことなんて何一つしてあげられなかった。

野球が忙しくて、練習に追われて、気持ちをちゃんと伝えることさえできなかった。

だけど――

その夏、俺は甲子園に行った。

ベンチの中、彼女がずっとそばにいるような気がした。

まるで、笑いながら俺の背中を押してくれているようだった。

俺はいまでも、彼女を愛している。

この手紙は、俺にとって宝物だ。

…よく読むと、俺しか泣けない話かもしれないけど。

泣きながら書いたから、文章がぐちゃぐちゃで、ごめんな。

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