君のための手話

待ち合わせ場所で彼女を待っていると、ふと目に留まったのは、大学生くらいの若いカップルだった。
男の子が女の子の正面に立ち、何かを必死に伝えるように、両手を忙しなく動かしている。
――手話だった。
その男の子は、ようやく手話を覚えたこと。
覚えるのがとても大変だったこと。
そして、女の子を驚かせたくて、ずっと内緒にしていたことを伝えていた。
女の子は、彼がそんなふうに勉強していたことを知らなかったらしく、本当に驚いた様子で、何度も目を見開いた。
でもすぐに、その驚きは大きな笑顔へと変わった。
嬉しくて仕方がないのだろう。
彼の手を握りしめると、二度、三度と、嬉しそうにその場で跳ねるように飛び跳ねた。
その光景を、俺はほんの少し離れた場所から、ただ静かに見ていた。
悪趣味な盗み見だと分かってはいた。
けれど、その時の俺には、どうしても目をそらせなかった。
手話を覚えたばかりの自分にとって、それはまるで、見知らぬ外国の街角で突然耳にした日本語に、思わず反応してしまうような気持ちだった。
申し訳なさを感じながらも、目の前の光景にどうしようもなく心が惹かれた。
きっと、俺はにやけていたに違いない。
遠くから見たら、ちょっと怪しい人だったかもしれない。
でも、それは本当に心が温かくなるような、微笑ましい風景だった。
※
服の裾が軽く引っ張られる感覚に振り返ると、そこには彼女が立っていた。
いつの間にか到着していたらしく、俺の様子を見ていたらしい。
「何を見てたの?」
「そんな嬉しそうな顔して」
「もっと早く私に気づきなさいよ」
と、彼女は頬をぷくっと膨らませながら、ものすごい勢いで手話を繰り出してきた。
俺はすぐに手話で「ごめんなさい」と伝えた。
それから、少し昔のことを思い出していただけだと続けた。
彼女は、何のことかと首を傾げた。
知りたそうな顔をして、じっと俺を見つめてくる。
でも、俺は照れくさくなって、笑ってごまかした。
本当はこう伝えたかった。
――今、目の前にいる君を驚かせたくて、必死に手話を勉強していた頃のことを思い出していたんだ。
でも、それはあまりにも照れくさくて、言葉にできなかった。
だから俺は、ただ彼女の手を取って、笑ってみせた。
きっと、あの時の気持ちは、今も変わっていない。
君のために伝えたいことが、まだたくさんあるんだ。