
初めて彼女に会ったのは、内定式のときだった。
同期として顔を合わせた。
聡明を絵に描いたような人だった。
学生時代に書いた論文か何かが賞を獲ったらしく、期待の新人として注目されていた。
ただ、少し性格がきつめで、どこか変わった雰囲気をまとっていた。
やることすべてが完璧で、自分のことをほとんど話さない。
その様子から、「宇宙人ではないか」と、密かに噂されていた。
美人と言えば美人だった。
けれど、服装やおしゃれにはまったく頓着しない。
お高くとまっているというより、むしろ男嫌いのように見えた。
近寄る男は誰もいなかった。
おいらも、正直、最初はどこか苦手だった。
※
そんな彼女と、偶然にも同じ部署に配属された。
それまで出会ったどんな女性とも違った。
だからこそ、からかって反応を楽しむようになった。
初めは本当に嫌がっていた彼女も──
半年も経つと、少しずつ慣れてきたのか、それともおいらが結婚して安心したのか──
少しだけ相手をしてくれるようになった。
やがて、ほんの少しだけ仲良しになった。
愚痴を言い合うこともあったが、彼女は相変わらず、自分のことをほとんど話さなかった。
休日に何をしているのか、家族のことは? 誕生日はいつ?
そんな簡単なことすら、何年も分からなかった。
※
ある日、試験の申し込み書類の書き方を尋ねたら、
彼女は自分の書類を持ってきて、見せてくれた。
そこに、生年月日が記されていた。
──その日が、彼女の誕生日だった。
驚きつつ、軽い気持ちで声をかけた。
「今日はデートかな?」
そう言いながら、昼休みに食べたチョコエッグに入っていた小さなカメを、
「誕生日プレゼント」として渡した。
すると、彼女は子供のように顔を輝かせて喜んだ。
「爬虫類、大好きなの」
──その無邪気な笑顔を見て、改めて「変わった子だな」と思った。
※
彼女は、ものすごく頑張り屋だった。
もともと才能があったうえに、努力も惜しまなかった。
どんどん出世していった。
それでも、ほとんど遊ぶこともせず、仕事が終わると真っ直ぐ家に帰る生活だった。
からかうように尋ねたことがある。
「そんなにお金貯めて、どうすんのー?」
「もしかして、お父さんの借金でも返してるの?」
彼女は微笑みもしなかった。
そんな彼女のことを、おいらはいつの間にか、心から好きになっていた。
でも、おいらには家庭があった。
子供もいた。
だから、その気持ちは胸の奥にしまい込んだ。
せめて彼女の傍にいたくて、愚痴の聞き役になり、
遅くなった夜はタクシー代わりに送ったりもした。
けれど、プライベートな関係には絶対に踏み込まなかった。
噂にならないよう、気を配り続けた。
同僚たちは笑って「お前は彼女のぽちだな」と言った。
それでもいいと思えた。
彼女のぽちでいられることが、嬉しかった。
※
そんな関係が、しばらく続いた。
彼女は相変わらず独身だった。
彼氏がいるのか、恋人がいるのか──
それさえ、分からなかった。
ただ、いつも彼女のバッグには小さなお守りがついていた。
何度か尋ねたが、彼女は「秘密のお守り」とだけ言って、笑ってごまかした。
ある日、仕事のトラブルで落ち込んでいた彼女が、
そのお守りをぎゅっと握りしめているのを見た。
もしかしたら、遠くにいる恋人からもらったものなのかもしれない。
──そんな想像をした。
※
その日、海外出張から帰国し、成田で携帯の電源を入れた瞬間──
同僚からの電話が鳴った。
彼女が、亡くなったと知らされた。
交通事故だった。
意識はあったらしい。
でも、内臓の出血が進み、急変したという。
耳の奥が、キーンと鳴った。
全身から力が抜け、現実感が遠のいていった。
※
葬儀には、職場の仲間たちと共に参加した。
そこで、初めて彼女の本当の姿を知った。
母子家庭だったこと。
病気がちな母親と、施設にいる姉を支えていたこと。
誰にも頼らず、たった一人で家族を守ってきたこと。
泣きたくても、涙も出なかった。
ただ、申し訳なさと、自分の無知が胸をえぐった。
※
葬儀のあと、彼女の母親に呼び止められた。
「渡したいものがある」
そう言われ、彼女の実家に向かった。
道すがら、母親は静かに話してくれた。
彼女がどれほど家族を思い、努力してきたか。
男嫌いになった理由。
そして、おいらのことを、どれほど大切に思っていたか。
涙が止まらなかった。
※
彼女の部屋に通された。
驚くほど質素な部屋だった。
女性の部屋とは思えないほど、モノがなかった。
ただ、ぎっしりと詰まった専門書とノートがあった。
机の隅に──
一緒に無理やり撮った、あのプリクラが貼られていた。
それを見た瞬間、大人になって初めて、声をあげて泣いた。
※
帰り際、彼女が亡くなったとき身に着けていたネックレスと、
いつも持ち歩いていたお守りを形見として渡された。
ネックレスは、就職祝いに母親が贈ったものだという。
お守りについては、どうやって手に入れたのか、母親も知らなかった。
本当は受け取る資格なんてないと思った。
でも、彼女が大切にしていたことを思い出し、
胸に抱きしめるようにして受け取った。
お守りの中を開けてみたい気持ちはあったが──
それは、彼女だけの秘密だと思って、そっとしておいた。
※
その後、転職し、ようやく落ち着いた一年後。
彼女がいつもしていたように、おいらもお守りを鞄に下げていた。
ある日、職場の後輩が、ふと声をかけてきた。
「これ、前から気になってたんですけど、何が入ってるんですか?」
止める間もなく、彼女はお守りを開いてしまった。
中から転がり出たのは──
あの日、誕生日に渡したチョコエッグのカメだった。
「何これ~?」
彼女は大笑いした。
でも──
おいらは、ただその場に立ち尽くし、涙が止まらなかった。
何もかもが、堰を切ったように溢れ出して。
彼女のくれた、小さなカメ。
それはきっと、彼女が心から大切にしてくれていた──
たったひとつの、かけがえのない「ありがとう」だったのだ。