おばあちゃんが注いだ愛情

おばあちゃんが注いだ愛情

経糸(たていと)が切れると、機(はた)は止まる。

その日、私の受け持ちの織機は、朝から四度止まった。

四度とも、同じ場所ではない。

糸というのは、弱いところから切れるとはかぎらない。

いちばん張っているところが、いちばん先に切れる。

桐生の、のこぎり屋根の工場だ。

北向きの窓から入る光は一年じゅう同じ色で、そのおかげで糸の色が狂わない。

私はそこで整経(せいけい)をしている。

何千本の経糸を、一本の乱れもなく巻き取っていく仕事だ。

切れた糸は、指先だけで継ぐ。

機結び、という結び方がある。

小さくて、硬くて、筬(おさ)の目を素通りする。

この工場に入って十二年、それだけは目をつぶってもできるようになった。

工場のなかは、いつも音が満ちている。

杼(ひ)が左右に走る音、筬が打ち込まれる音。

綿埃が光の筋のなかを漂って、鼻の奥がいつも乾いている。

冬は、北窓のガラスが内側から白く曇る。

その曇りを手のひらで拭いて外を見ると、赤城おろしで屋根のトタンが鳴っていた。

音のなかにいると、ものを考えずにすむ。

だから私は、この仕事が好きだった。

そのくせ私は、自分の息子のことになると、何ひとつ手が動かなかった。

※

息子の恭平は三つになっても、ほとんど言葉が出なかった。

一歳半の健診で引っかかり、それから市の保健センターの母子教室に通っている。

月に二度、水曜の午前。

私はその日だけ、工場を早く上がらせてもらっていた。

工場長は何も言わずに判を押してくれたが、若い子たちの手前、私はいつも小走りで更衣室に向かった。

作業着の袖に、綿埃がついたままバスに乗る。

座席に座ると、膝の上で埃が光った。

それを払いながら、保健センターに着くまでの二十分、私はいつも同じ姿勢で座っていた。

教室では、輪になって手遊びをする。

恭平はいつも輪の外にいて、床のタイルの継ぎ目を指でなぞっていた。

三歳児健診の日、保健師さんに「絵を指さしてね」と言われて、恭平は動かなかった。

犬も、りんごも、電車も、指さなかった。

その代わり、机の角の木目を、爪の先で三十分なぞっていた。

帰りのバスで、私は膝の上のかばんの持ち手を、ずっと握っていた。

持ち手の縫い目が、指の腹に食い込んだ。

母子教室で一緒だった真希さんが、あとでこう言った。

「うちの子なんて、しゃべりすぎて困るのよ」

「うらやましいって思ったでしょ。今」

私が黙っていたら、真希さんは笑って、菓子パンを半分くれた。

「思っていいよ。私も毎日思っとる」

先生は「その子のペースがありますからね」と言ってくださる。

いい先生だと思う。

それでも私は、家に帰る自転車のなかで、いつも同じことを考えていた。

どこで切れたんだろう、と。

私のどこかに切れた糸があって、それがこの子に渡ったんじゃないか、と。

職業病のような考え方だと、自分でも思う。

夫にそれを言ったら、「そういう言い方はやめとけ」と怒られた。

怒ってくれたことが、少しありがたかった。

夫は自動車部品の工場で働いている。

風呂上がりに扇風機の前で、缶ビールを一本だけ飲むのが決まりだった。

「言葉がおせえのは、聞いとる時間が長いってことだろ」

「そんな理屈ある?」

「知らん。今つくった」

そういう人だ。

その晩、恭平は寝返りを打って、私の腕に額を押しつけて寝た。

額だけが、やけに熱かった。

※

その日の母子教室の最中に、二人の男の子とおばあさんが、部屋に迷い込んできた。

「すみません。里親会の集まりの部屋は、こちらでしょうか」

私はさっきトイレに行ったときに、階段の貼り紙を見ていた。

「それでしたら、上の階の相談室ですよ」

「あら、ご親切に。ありがとうございます」

教室の先生が「どうぞ、通ってください」と道をあけると、上の子が律儀に立ち止まって頭を下げた。

下の子は、その動きを見てから、半拍遅れて同じように下げた。

真似というより、確認をしているような下げ方だった。

おばあさんは、深く頭を下げた。

七十を少し過ぎたくらい。背は低く、髪をきれいに撫でつけた人だった。

上の子が小学校の低学年、下の子は恭平と同じくらいだろうか。

おばあさんは両手で、二人の手をしっかり握っていた。

握り方が、少し変わっていた。

手をつなぐというより、袖ごと包むような握り方だった。

あとで考えれば、あれは、離れないための握り方だったのだと思う。

そのとき、下の子の袖口の糸がほつれているのに気がついた。

言おうかどうか迷っているうちに、おばあさんのほうが先に気づいた。

そして、その場でしゃがみもせず、片手だけで、袖口の糸を継いだ。

おばあさんは、男の子の袖口のほつれた糸を、見もせずに指先だけで結んだ。

一瞬だった。

結び目は、袖の裏に隠れて見えなくなった。

私は、その手つきから目を離せなかった。

この土地では、機屋の年寄りなら誰でもできる結び方だ。

けれど、袖口のほつれをそれで継ぐ人を、私は見たことがなかった。

洋服の糸は、経糸よりずっと太い。

太い糸をあの小ささで結ぶには、指の腹が覚えていないと無理だ。

つまりこの人は、若いころ、細い糸で何万回もそれをやった人だった。

※

三人が出ていったあと、私は先生に恭平を預けて、廊下を追いかけた。

相談室は、廊下の突き当たりを右に曲がった、引っ込んだところにある。

初めての人には、まず見つからない。

案内したほうがいいと思ったのだ。

階段の踊り場のあたりで、三人に追いついた。

追いついたけれど、声はかけられなかった。

前から、こんな会話が聞こえてきたからだ。

下の子が、私のほうを指さして言った。

「さっきのが、おかあさん?」

上の子が答えた。

「うん、あんな感じ」

「でも、ぼくらのおかあさんは、おばあちゃんだから」

「きみとぼくが違うところで生まれても、きょうだいなのといっしょ」

「ほんとのおかあさんじゃなくても、おばあちゃんがおかあさんだから」

下の子は、少し考えてから言った。

「うん。きれいなおかあさんたちより、おばあちゃんがいちばんやさしいね、きっと」

おばあさんは、何も言わなかった。

ただ、右を向いて上の子に、左を向いて下の子に、交互に微笑んでいた。

その笑い方が、あんまり静かだったので、私は階段の途中で足を止めてしまった。

笑っている、というより、ただそこにいる、という顔だった。

言い返しもしない。訂正もしない。

子どもが自分で言葉にしたことを、そのまま置いておく人の顔だった。

私は、輪の外の恭平に、そういう顔をしたことがあっただろうか。

踊り場の窓から、下の駐輪場が見えた。

私の自転車のかごに、教室で使うタオルが入ったままだった。

※

結局、相談室の場所は伝えた。

「奥まっていて分かりづらいんです。ここを右です」

「まあ、助かりました」

そこで別れればよかったのに、私は訊いてしまった。

「あの、さっきの結び方」

「はい?」

「袖口の。あれ、機結びですよね」

おばあさんは、目を丸くした。

それから、私の手を見た。

整経の仕事をしていると、右の親指の腹に、糸の走った筋が残る。

「あなた、機屋(はたや)さんかね」

「はい。相生(あいおい)の、のこぎり屋根の」

「そう」

その「そう」の言い方が、少し長かった。

返事というより、何かをしまい直したような間だった。

おばあさんはうなずいて、それだけ言った。

男の子たちが「はやくー」と手を引っぱるので、話はそこまでだった。

※

それから半年ほど経った秋、私はその人ともう一度会った。

工場の見学会だった。

年に一度、地域の人に開放して、古い力織機を動かして見せる。

その列のなかに、あのおばあさんがいた。

今度は一人だった。

「お孫さんは」

「学校ですよ。運動会の練習だって」

その言い方が、あまりにも普通のおばあちゃんだったので、私は少し笑ってしまった。

見学のあと、休憩所でお茶を出した。

その年は、いちばん古い力織機を一台だけ動かした。

ベルトが回りはじめると、床が震える。

子どもたちは耳をふさいで後ずさりし、年寄りは黙って前に出た。

おばあさんは、前に出たほうだった。

機の音がやんだあと、その人はしばらく動かなかった。

おばあさんは、壁に掛けてある古い写真を眺めていた。

昭和三十年代の、女工さんたちが並んだ写真だ。

「このころは、まだ寄宿舎がありましたでしょう」

「あったそうです。私は写真でしか知りませんけど」

「ありましたよ」

おばあさんは、写真の右端を指さした。

「二階の、いちばん端の部屋にね」

それから、湯呑みを両手で包んで、こう言った。

「私は、あそこで育ったんです」

※

詳しいことは訊かなかった。

訊けば、この人が長いあいだ誰にも言わずにきたことを、私が引き出すことになる。

ただ、おばあさんのほうが、続きを話した。

話したというより、湯呑みに向かって置いていくような話し方だった。

戦争のあとに親を亡くした子を、工場が何人か引き取っていた時期があると、私も年寄りから聞いたことがある。

おばあさんは、そのうちの一人だった。

「引き取ってくれたのは、糸繰(いとくり)のおばさんでね」

「その人が、私に機結びを教えてくれたんです」

「泣いとる暇があったら手を動かせって、そればっかり」

おばあさんは笑った。

「私、ずいぶん恨みましたよ。冷たい人だと思って」

「怒鳴るんですよ、あの人。手が止まると、すぐ」

「機のそばは音がうるさいから、みんな怒鳴るんですけどね」

「私だけ、怒鳴られとると思っとった」

「一度、逃げたんです。夜に、駅まで」

「切符を買う金がなくて、朝までベンチにおりました」

「戻ったら、あの人、何も言わんとね」

「私の袖の、ほつれたところだけ結んだんです」

「でもね」

湯呑みを置いて、指で机の上に、小さな輪を描いた。

「切れた糸はね、結んだところが、いちばん丈夫になるんです」

「あの人は、それを教えとったんですよ」

「三十年経って、やっとわかりました」

その糸繰のおばさんは、ヨシさんという人だったそうだ。

寄宿舎の二階の端の部屋で、冬の朝は、湯たんぽを一つだけ分け合った。

「先に足を入れさせてくれるんです。自分は手だけ」

「それが、優しさだと気づいたのも、ずっとあとです」

おばあさんは、写真のほうをもう一度見た。

「この写真にはね、写っとらんのですよ、あの人」

「撮るときは、いつも隅で機を見とったから」

私は、湯呑みを持つ手を止めた。

湯呑みの底が、机に触れる音だけがした。

休憩所の窓の外で、のこぎり屋根の影が長くなっていた。

階段の踊り場で聞いた、上の子の言葉が戻ってきた。

きみとぼくが違うところで生まれても、きょうだいなのといっしょ。

あの子が言ったことと、この人が今言ったことは、同じことだった。

この人は、教わったとおりの結び方を、そのまま二人に渡している。

だから、あの結び目は見えなかったのだ。

機結びは、裏に隠れる。

※

「あの子らの袖、よくほつれるんですよ」

おばあさんは、少し困ったように言った。

「上の子が、下の子の手を引っぱるもんでね」

「引っぱられるほうも、離さんのです」

上の子は、悠介くんというらしい。

下の子は、まだ言葉が少ないのだと、おばあさんは言った。

「うちに来た日、三日、口をきかんでね」

「四日目に、悠介が勝手にしゃべりだしたんです。この子の分まで」

「そしたら次の日、下の子が言いました。ぼくのぶんは、ぼくが言う、って」

私は、そこで初めて笑った。

この半年で、いちばん軽い笑い方だったと思う。

「だから両方ほつれる」

そう言って、また笑った。

私は、恭平の話をした。

言葉が出ないこと。輪の外にいること。

自転車を漕ぎながら、どこで切れたんだろうと考えてしまうこと。

言うつもりはなかったのに、口が勝手に動いた。

おばあさんは、最後まで黙って聞いていた。

それから、私の右の親指を、そっと指さした。

「その指でね」

「切れたところを探しなさんな」

「結ぶところを探しなさい」

その言葉を、私は自転車のかごに入れて持って帰った。

そういう感じだった。

重くもなく、軽くもなく、ただ置かれていた。

家に着いて、恭平の靴下の穴を繕った。

穴は、機結びでは繕えない。

それでも私は、その晩、糸を何度も結び直した。

※

恭平は、五つになる少し前に、まとまった言葉を話しはじめた。

最初の一文は、忘れもしない。

「かあさん、いとが、きれた」

家の裁縫箱をひっくり返して、木綿糸を切ってしまったのだった。

私は叱るより先に、その場で継いで見せた。

親指と人差し指だけで、小さく、硬く。

恭平は顔を近づけて、しばらくじっと見ていた。

「けした」

「消したんじゃないよ。裏に隠れたの」

その子はもう一度、糸をくるくる回して、結び目を探していた。

「ないよ」

「あるよ。ここ」

私が指で押さえると、恭平は目を近づけて、ようやく「ある」と言った。

それから、その一点を、爪の先で何度もなぞった。

いつもの、机の角をなぞる指だった。

その指がその日だけ、なぞる場所を自分で選んでいた。

探して、見つからなくて、笑った。

その笑い方が、あの踊り場のおばあさんに、少しだけ似ていた。

※

恭平が六つの年に、娘が生まれた。

名前は小春(こはる)にした。

生まれてしばらく、恭平はその子に近づかなかった。

遠くから見て、また床の継ぎ目をなぞっていた。

ある日、洗濯物をたたんでいたら、恭平が小春の小さな靴下を持ってきた。

「これ、きれてる」

親指の付け根のところが、薄くなっていた。

切れてはいなかった。

「よく気づいたねえ」

「けす?」

「うん。消しとこうか」

私が繕っているあいだ、恭平はずっと横に座っていた。

それから、小春の手を握った。

握るというより、袖ごと包むような握り方だった。

※

あの人の名前を、私は結局訊いていない。

訊けばよかったと、何度も思う。

思うたびに、あの人が名前を名乗らなかった理由を、勝手に考えてしまう。

たぶん、名乗る必要のない人だったのだ。

あの二人にとって、名前は「おかあさん」で足りていた。

里親会の集まりは、今も月に一度、あの相談室でやっているらしい。

私は工場で、若い子に整経を教える立場になった。

ときどき、保健センターの前を自転車で通る。

三階の相談室の窓が開いていると、子どもの声が落ちてくる。

止まって見上げたことは、まだ一度もない。

それでも、ペダルは必ず一度遅くなる。

教えるのは、結局のところ機結びだけだ。

糸は必ず切れる。

張れば切れる。緩めれば毛羽が立つ。

強い糸を選んだところで、切れないわけではない。

切れる場所が変わるだけだ。

切れない糸で織った布は、この世に一枚もない。

だから、継ぎ方だけを教える。

継いだところが見えないように、裏へ隠す。

「なんで隠すんですか」と、去年入った子に訊かれた。

私は、あの人の言い方をそのまま借りた。

「表から見えたら、結んだことが自慢になるでしょう」

「自慢じゃないのよ。ただ、続いとるだけ」

その子は「わかったような、わからんような」と言って、手を動かしはじめた。

それでいい。

私も、わかるまでに十二年かかった。

そう教えながら、私はいつも、あの日の袖口を思い出している。

恭平は今年、小学校に上がった。

朝、玄関で靴を履かせながら、私はいつも袖口を見る。

恭平の袖は、今日もほつれている。

妹の手を、離さないからだ。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

最後まで読んでくださって、ありがとうございます

この話が少しでも心に残ったなら、それだけで書いた甲斐がありました。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

¥240 の一度きりのお支払いで応援いただけます。
お礼として、以後ずっと広告を非表示にいたします(継続課金はありません)。

くわしく見る →

メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。