道に咲く愛

ひとりの女性の人生が、いま世界中の人々の心を揺さぶっています。
その名は楼小英(ロウ・シャオイン)。現在88歳の彼女は、腎不全を患い病床にありますが、これまでの人生で築き上げた功績は、何ものにも代え難い愛に満ちたものでした。
中国・浙江省金華市に暮らす彼女は、ゴミを拾い、それをリサイクルして細々と生計を立ててきました。
しかし、彼女が拾い続けてきたのは、ゴミだけではありません。
実に40年もの歳月をかけて、彼女は道端やゴミ箱の中に捨てられていた35人もの子どもたちを拾い上げ、救い、育ててきたのです。
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楼さんの夫は17年前に他界し、その後も彼女はひとりで子どもたちの世話を続けてきました。
35人の子どもたちのうち、4人は自宅で育て、残りは友人や親戚に預けて面倒を見てもらいました。
彼女が最後に出会った子どもは、現在7歳になる張麒麟(ちょう・きりん)くん。楼さんが82歳の時、ゴミ箱の中で見つけた赤ん坊でした。
「私はもう年老いていましたが、その赤ちゃんを見捨てて死なせることなどできませんでした。苦しそうに泣くその子を見て、何もせずに立ち去ることなんて、できなかったのです」
彼女はその子を小さな家に連れて帰り、献身的に看病しました。
今では麒麟くんは健康に育ち、やんちゃで笑顔の絶えない男の子に成長しています。
楼さんは言います。
「麒麟は、私たち家族全員にとって特別な存在です。『麒麟』という名前は、中国語で『貴重で大切なもの』という意味を持っています」
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彼女の活動は1972年、小さな女の子を道端で見つけたことから始まりました。
ごみの中に埋もれていたその子を助けなければ、きっと命を落としていたでしょう。
彼女はその子を育てる中で、「子どもを世話することが、私の本当に好きなことだ」と気づいたと語っています。
「もし私たちに、ゴミを集める力があるのなら、人の命を再生する力もあるはずです。子どもたちはみんな、大切な命。どうしてあんなにか弱い赤ん坊を道に捨てることができるのでしょうか。私には理解できません」
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実の娘である張彩英さん(現在49歳)とともに、血の繋がらない子どもたちも我が子のように育ててきた楼さん。
養女のひとり、張晶晶さん(33歳)は、インタビューでこう語っています。
「母は、夜中にゴミを拾いに出かけていました。私たちが眠ったあと、真夜中の街へと向かい、明け方に戻って来るのです。私たちには、ろくな食事も無く、大根やサツマイモが日常でした。それでも、母は必ず私たちに先にお腹いっぱい食べさせてくれて、自分は最後に残り物を食べるのです」
「アメが12個あれば、3人の子どもに4個ずつ。どんなときも、平等に。母は実の子にも養子にも、まったく同じように接してくれました。贔屓なんて一度もありませんでした」
「母のような人が病気になるなんて、誰も思っていなかった。私たちは今でも、母はきっと100歳まで生きてくれると信じています。もし本当に母がいなくなってしまったら、『お母さん』と呼べる人が、この世からいなくなってしまうんです」
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彼女の行動は、地域社会にも大きな影響を与えました。
地元の人々は言います。
「彼女は、捨てられた子どもたちに何もせず見て見ぬふりをする政府や社会に、恥を教えてくれた。お金も地位もない彼女が、ただその愛だけで、命を救い続けたのです」
今もなお、中国各地では道端に子どもが捨てられる事件が後を絶ちません。
先日、鞍山市では、喉を切られビニール袋に入れられた女児がゴミ箱の中で発見され、奇跡的に命を取り留めたという報道がありました。
これは、中国の一人っ子政策と「男児優先」の文化が生んだ悲劇のひとつだと考えられています。
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楼さんは現在、腎不全によって入院生活を送っており、話すことも、自由に動くこともできない状態です。
しかし、そんな彼女が今、病床で語る最後の願いはこうです。
「私の命はもう長くありません。けれども、麒麟が学校へ通えるようになれば、それが私の人生での最後の願いです」
過去、数人の子どもを中学まで進学させた経験はあったものの、多くの子どもたちは学校に通うことができませんでした。
そのことが、彼女の心にずっと残っていたのです。
その想いに応えようと、インターネット上で募金活動が始まり、多くの人々が支援に動きました。
そしてついに、公的機関も動き出します。
麒麟くんには戸籍が無く、学校への入学が認められていませんでしたが、楼さんのニュースが中国全土で話題となったことで、地元当局が戸籍問題を解決するよう取り組み、小学校への入学が正式に認められたのです。
この出来事に、小学校の校長先生はこう語りました。
「これは楼さんの人生最後の願い。私たちはその願いを叶えるために、できる限りの支援をしていきます」
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40年という長い歳月をかけて、誰にも顧みられなかった子どもたちの命を、無償の愛で拾い上げた楼小英さん。
お金も、名誉も、見返りも求めることなく、ただ子どもたちの幸せを願い続けたその人生は、まぎれもなく“本物の豊かさ”に満ちた人生でした。
彼女が注いだ深い愛が、ひとりでも多くの人の心に届き、そして二度と道に命が捨てられることのない社会が訪れることを、心から願わずにはいられません。