強面上司の不器用な優しさ

いつからだろうか、自分でも理由が分からないほど、仕事への意欲を失ってしまっていた。
会社を休み始め、気付けば数日が経っていた。
そんなある日の夜、玄関のチャイムが鳴った。
ドアを開けると、そこには強面で苦手な上司が立っていた。
ああ、ついに最後通告を告げられる時が来たのか――。
俺は重たい気持ちで身構えたが、上司は俺を静かに、自分の行きつけらしいショットバーへ連れて行った。
※
バーの静かなカウンター席に並んで座り、やがて上司が口を開いた。
「お前、最近会社に出て来ないから、心配してたんだぞ」
その一言を聞いた瞬間、胸の奥が締めつけられた。
俺は戸惑いながらも、自分の気持ちを正直に打ち明けた。
理由は分からないが、何もやる気が起きず、このまま辞めようかとも悩んでいることを。
そんな弱音を吐いた俺に、強面の上司は意外なほど穏やかな声で話し始めた。
※
「なぁ、人間ってのはさ、自分が思ってる以上にギリギリのバランスで生きてるもんなんだよ」
上司はグラスをゆっくり傾けながら、静かに言葉を紡いだ。
「頑張って走れば走るほど、気付かないうちにバランスを崩していく。視界が狭くなって、周りが見えなくなることもある」
「ちょっと運が悪かったり、ちょっとだけ考えが足りなかったりするだけで、あっという間に倒れちまうんだ」
上司の声は静かで優しかった。
「身体の痛みや疲労なら分かりやすいけど、心の痛みや疲れは自分でもなかなか気付けないもんだ。ましてや、他人のことなら尚更だ」
「お前は今、少し心が疲れてるだけなんだよ。だから、焦るな。ゆっくり休め」
そう言って、俺の肩を軽く叩いた。
「いつかお前が回復した時には、痛みを知った分だけ強くなれる。それは必ず、人に優しくできる力になるんだ」
「痛みを知った者こそが、次に傷ついた人を癒せる薬になるんだよ」
そして上司は、はにかむように小さく笑って続けた。
「だからな、今は無理せず休め。いいからな?」
「その代わり、いつか俺が疲れ果てた時には、ちゃんと助けろよ(笑)」
※
上司のその言葉が、心の底に静かに染み込んでいった。
目頭が熱くなり、俺は言葉を返すことが出来なかった。
強面で不器用な上司の温かい優しさに触れ、その夜初めて涙が溢れた。
俺はもう少しだけ、この職場で頑張ってみようと思った。