
本人から聞いたのか、共通の友人から聞いたのか──その記憶は曖昧だけれど。
「物心がつく前に母親を亡くし、父親に育てられた子だ」と、その話はいつの間にか耳に入っていた。
※
結婚式のあとに聞いた話だ。
映画か小説のワンシーンのように、彼女の母親は余命を悟ったあと、小さな娘のためにビデオメッセージを残していたという。
とはいえ、何百本も録ったわけではない。
絵本を読み聞かせるビデオや、小学校を卒業するまでの誕生日メッセージ、それくらいの数だったそうだ。
そして、その中には一本──
「娘が結婚したら一緒に見て」
と、父親に託されていたビデオがあったという。
※
父親にとっては、思い出すことすら辛かったのだろう。
普段はビデオを見たがらなかったという。
それでも、「今日は娘の門出の日だから」と、祝福してくれる人たちとなら──と、結婚式の場で再生することが決まった。
新婦にとっても、父親にとっても、そのビデオを見るのは初めてのことだった。
※
司会者からその簡単な説明があったものの、会場はまだ賑やかで、旧友との会話や酒が入り、耳に入ってはいたが気に留めていなかった。
ビデオが始まったのは、そんな時だった。
画面に映ったのは、自分たちと同じくらいの年齢の、笑顔の美しい女性。
「○○ちゃん、おめでとー!」
そう言って、クラッカーをパーンと鳴らした。
「○○ちゃんは何歳で結婚したのかな? きっとママに似た、素敵な女性になってるんだろうね」
まるで、どこにでもあるホームビデオのように、穏やかで、愛情のこもった言葉が続いていく。
笑顔で語りかけるその様子に、会場は笑いがこぼれ、温かい雰囲気に包まれていた。
※
5分ほど経った頃。
女性はふと、言葉を探すように視線を落とした。
そろそろ終わりかな、と思ったその時──
「あと……」
小さく息を継いで、言葉が続いた。
「最後に、○○君(新婦の父親)。○○ちゃんを立派にお嫁に出してくれて、ありがとう」
その声は、娘に向けたものとは少し違い、深い優しさを湛えた表情へと変わった。
「○○君のことを、愛してます」
「たとえ、お腹が出てきても、頭がちょっと寂しくなっても、私は○○君を愛してます」
「いつかおじいちゃんになっても、ずっと愛してます」
そう言って少し俯いたあと、照れくさそうに笑って画面の向こうから手を伸ばす仕草を見せ──
ビデオは、静かに終わった。
※
それまで穏やかだった会場が、一瞬で静まり返った。
空気が変わったのだ。
涙を堪えようとしていた人たちが、次々と目を潤ませる。
そんな中──
堪えきれなかったのだろう。
新婦の父が、テーブルに突っ伏して、手で口を押さえながら嗚咽を漏らした。
新婦も泣きながら駆け寄り、父親を抱きしめて大声で泣いた。
気がつけば、会場中が泣いていた。
女性客はほとんどが泣き出し、男性客は黙って目を拭っていた。
子供が大きな声で泣き出し、まるで葬式のクライマックスのような、カオスで、でも温かい光景が広がっていた。
※
さすがにこれはマズいと感じたのか、司会者が何とか場を戻そうと、明るく声を響かせた。
「本当に素敵なメッセージでしたね! 引き続き、お料理をお楽しみください!」
場はしばらく沈んでいたが、時間とともに少しずつ笑顔が戻り、会場はようやく元の祝福ムードに戻った。
※
そのあと、新婦の父による挨拶が始まった。
ガテン系で明るく、普段は涙など見せない人だったのだろう。
さっきの涙をなかったことにするように、やたらとハイテンションなスピーチを披露した。
そして最後には、満面の笑みでこう叫んだ。
「私も○○(新婦の母)を愛してまーす!」
プロレス好きにはお馴染みの“棚橋パフォーマンス”で、ちょっと会場をざわつかせつつも──誰もが、その不器用な愛情表現に、胸を打たれていた。
※
最後まで拍手が鳴り止まず、新婦よりも幸せそうに笑う父親の顔が、とても印象的だった。
この結婚式は、きっと一生忘れられない。
そして、母の残した愛情のメッセージは、確かにこの日、皆の心に届いていた。
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