人生
1960年に私は生まれて、今まで生きてきた。
いたずらっ子だった小学生時代。
落ちこぼれだった中学生時代。
レスリングに出会い、スポーツが何たるかを学んだ高校時代。
そして、負けることの悔しさを知り、何とか入学した大学。
ここで人生の師と出会い、パワーリフティングという競技と出会う。
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22歳の時に妹を自殺で亡くすという、最悪の地獄を見る事となる。
何が死に追いやったかは、36年経った今も判らない。
この事が終生、私のトラウマとなる。
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卒業し、就職し、サラリーマンとパワーリフティング競技生活の二束の草鞋を履き、25歳の時、この競技の日本記録を2度更新する。亡き妹の供養が出来たのでは!
27歳の時、団体戦チーム日本一に輝く。
少年が男に為る為の全てを教えてくれたのが、前出の師なのです。
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31歳の時、ある女性と出会い結婚をする。
そして、パワーリフティングを退く事となる。
師との別れ……決して良い別れ方でなかった。
その年に転職する事となる。
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38歳の時に、師の死を知らされた。結婚式にも出てもらえず、わだかまりを残したままの死別であった。
39歳の時に親父を白血病にて亡くすこ事なる。
その時、初めて親父の生まれ育ちを語られた。
父の父(祖父)は若くして結核で亡くなり、祖母は後妻に入る。親父はそのままの姓を残され、祖母は後妻として新しい姓となった。
この事が「終生孤独だった」と死の一ヶ月前に知らされた。
父は、死までの間に仕事の引き継ぎをし(ある企業の役員をしていた)、遺言を書き、遺産の相続を済ませた。
自分で戒名を選び、葬式の段取りも会社の社長と取り交わし、喪主を俺に指名した。実に見事な男の死に様であった。
実は、妹の死は、親父と御袋が悪いと思い込んで(今でも)以来、御袋とは折り合いが38年悪いのも事実。しかしこの時、父を許した。
転職した会社が社名変更・親会社との合併で6回も社名が変わった。実に大変で、煩雑であったが顧客様は付いて来てくれた。感謝しています。
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40歳の時に、養子縁組をする事となる。私たち夫婦は子供がどうしてもできず。
初めは養育里親として、後に特別養子縁組を得て、息子として育てている。
ゴミまみれのアパートで捨てられていた息子、3人居た末っ子だった。
長男はダウン症で、今も養護施設に暮らしている。
二男は、ある家庭に養子として引き取られ、今もこの家庭とは付き合いがあり、いつの日か兄弟である事を告げなければならない。
長男の事も気になる。今後どう支援して行くべきか考えなければならない。
息子には幼稚園卒園時に真実告知をし、私達は生みの親ではないが、お前はかけがえのない息子である事を告げた。
そして暫く経った時、息子から
「貰ってくれて有難う」
と言われた時、私は号泣したのを覚えている。
大人たちのエゴがこうさせた事実をしっかと受け止めた。
そして、自覚を持った賢明な大人として生きる覚悟を得た。
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今年で52歳になる私。色々な事があった人生。たった一つだけ誇れることがある。それは、出会う人々に恵まれた事である。
会う人、会う人が私を助け、知恵を授け、共に戦ってくれた多くの人々。
お礼を申し上げたい。
「有難うございます」
そして、私はいつもこう考えいています。
「今日・只今見る景色より、来年の今月・今夜はもっと素晴らしい景色が見たい、だから努力したいんだ」
と自分に言い聞かせています。
ジェットコースターの様な人生ですが、人の経験できないことを経験した強みが私の財産なのです。
さあ、明日も素晴らしい日が来ることを祈って!
投稿者: makoto