パラオの別れ

公開日: 友情 | 悲しい話 | 戦時中の話

夕焼け

南洋のパラオ共和国には、小さな島が幾つも点在している。

戦争中、これらの島々には日本軍が進駐していた。その中の一つの島に駐留していた海軍陸戦隊は、学徒出身の隊長の元、地元住民との間で摩擦を避け、互いに尊重し合いながら生活していた。

陸戦隊は住民に対して公正で、作業に人を使う際には必ず代価を支払い、善き隣人として振る舞っていた。特に、音楽を愛する兵士たちによる唱歌の演奏は、島の人々に愛され、彼らもやがて『ふるさと』や『さくら』などの日本の曲を歌えるようになった。

しかし、戦況は次第に日本に不利になり、米軍の襲来が避けられない状況になっていった。島の若者たちは、日本軍と共に戦いたいと志願し、隊長を訪ねた。しかし隊長は怒り、彼らにパラオ本島へ去るよう命じた。島の人々は失望し、悲しんだ。

島を去る日、桟橋に集まった住民たちを、日本兵たちが見送りに来た。彼らは『ウサギ追いしかの山』を歌い、帽子を振りながら別れを告げた。その中には、あの隊長の姿もあった。彼の笑顔と共に、住民たちは隊長の過去の言葉が、実は彼らを救うためのものだったと理解した。

二週間後、米軍が周辺地域に殺到し、224名の日本軍は全滅した。島を去った住民たちは、彼らの勇気と優しさを永遠に心に刻んだ。

関連記事

サッカーボール(フリー写真)

先輩の声

高校の頃はあまり気の合う仲間が居なかった。 俺が勝手に避けていただけなのかもしれないが、友達も殆ど居らず、居場所などどこにも無かった。 そんな人間でも大学には入れるんだね。…

手を繋ぐ友人同士(フリー写真)

メロンカップの盃

小学6年生の時の事。 親友と一緒に先生の資料整理の手伝いをしていた時、親友が 「あっ」 と小さく叫んだのでそちらを見たら、名簿の私の名前の後ろに『養女』と書いてあった…

チワワ

脳梗塞で亡くなったチワワ

今から3年程前の事です。 飼っていたチワワ(以下、まーちゃん)が脳梗塞で亡くなりました。 14歳でした。 まーちゃんは亡くなる前日まで元気で、死因が脳梗塞と聞いた時…

桜

後悔のないように

私は幼馴染との突然の別れを経験しました。幼い頃から一緒だった私たちは、保育園での最初の出会いからすぐに親友になりました。私たちのグループには、おままごとが大好きな女の子と、外で遊ぶの…

瓦礫

災害の中での希望と絶望

東日本大震災が発生した。 辺りは想像を絶する光景に変わっていた。鳥居のように積み重なった車、田んぼに浮かぶ漁船。一階部分は瓦礫で隙間なく埋め尽くされ、道路さえまともに走れない状…

手のひら(フリー写真)

出会い

昔、美術館でバイトをしていた。 その日の仕事は、地元の公募展の受け付け作業。 一緒に審査員の先生も一人同席してくれる。 その時に同席してくれたのは、優しいおじいちゃん…

虹(フリー写真)

人生

1960年に私は生まれて、今まで生きてきた。 いたずらっ子だった小学生時代。 落ちこぼれだった中学生時代。 レスリングに出会い、スポーツが何たるかを学んだ高校時代。 …

マグカップ(フリー写真)

友情の形

友人が亡くなった。 入院の話は聞いていたが、会えばいつも元気一杯だったので、見舞いは控えていた。 棺に眠る友人を見ても、闘病で小さくなった亡骸に実感が湧かなかった。 …

カレーライス(フリー写真)

クロベーの笑顔

俺が小学生の頃の話。 同じクラスに黒田平一(仮名)、通称クロベーというやつが居たんだ。 クロベーの家は母子家庭で、母親とクロベーと弟の3人暮らしだった。 クロベーの一…

戦後

少女の小さな勇気

第二次大戦が終わり、私は復員した日本の兵士の家族たちへの通知業務に就いていました。暑い日の出来事です。毎日、痩せ衰えた留守家族たちに彼らの愛する人々の死を伝える、とても苦しい仕事でし…