最後の日記
小学校の時、虐められていた。
消しゴムを勝手に使われたので怒ったら、相手が学年のボス格の女子。
それ以来、クラスから無視された。
それが中学に入っても変わらず、真剣に自殺まで考えてたけど、音楽などを聴いて救われた。
※
中学二年生の時に転校して、そこでは友達にも恵まれた。
高校に入ってすぐバンドを始めた。
多分、後にも先にも人生で一番、私が輝いていた時期だと思う。
地元の楽器屋に寄った帰り、私を虐めていたあの女子と再会した。
親戚の法事で来たらしい。
彼女は、謝ってくれた。
私は、もう昔の事なので大丈夫だと言った。
それから、私の初恋の相手や向こうの近況などを聞いて別れた。
※
彼女の乗ったバスを見送り、私も自転車に乗ろうと振り返った時だった。
後ろから、それまで聞いた事の無かった音がした。
振り向くと、彼女が乗っているバスがひしゃげてひっくり返っていた。
すぐ側には、大きなクレーン車が横転していた。
私はすぐに走って近付いた。
だけど、怖くて近付く事しか出来なかった。
彼女を助けようと思っても、野次馬と同じ位置から先に進めなかった。
すぐにレスキュー隊が到着し、割れた窓から血まみれになった彼女が運び出された。
※
それからの記憶はなぜか曖昧で、はっきり憶えていない。
半日かけてやって来た彼女の家族と一緒に、病院のベンチに座っていたのは確か。
記憶がはっきりしたのは、なぜか私の兄が病院に来た辺りだった。
兄と一緒に病室に入ると、あちこちに包帯を巻かれた姉がベッドに寝ていた。
姉もあのバスに乗っていたのだった。
ぐっすり寝ている姉は、両足がそれぞれ膝の辺りで途切れていた。
医者の話では、高い可能性で植物人間になってしまうとの事だった。
そこから、とうとう何も考える事が出来なくなった。
※
家に帰り、そのままベッドに入って寝た。
起きても学校に行かず、丸一日食事も風呂に入る事も無く、ひたすら天井を見つめていた。
私が久しぶりの食事を摂りにキッチンへ来た時、私を虐めていた彼女が死んだ事が判った。
そして、姉の容態は安定したが、目覚めない事も。
※
一ヶ月ほど経ち、私は電車に乗って彼女の家へ行った。
葬式にも通夜にも出席出来なかったので、せめて仏壇に手を合わせたいと思ったからだ。
仏壇に手を合わせ、帰ろうとする私を、彼女の両親が引き止めた。
そして彼女の母親が、小さなメモ帳のような物をいくつか出して来た。
それは、死んだ彼女がつけていた日記だった。
その中には、私を虐めて後悔していた事。
始めたのが自分である以上、引っ込みがつかなくなってしまった事。
私が転校し、とうとう謝る事が出来なくなった事などが綴られていた。
そして中学の時の先生に私の転校先を聞き、私に謝りに行くという決心が日記の最後だった。
『親戚の法事で来た』なんて嘘だった。
読み終えた私に、彼女の母親が
「あの子を許してくれましたか?」
と聞いて来た。
私は一言、
「はい」
とだけ、多分涙声で答えた。
すると彼女の母親は私の手を両手で掴み、
「ありがとう」
と言って鳴咽を漏らした。
彼女の父親も余っていた私の手を掴み、私の目を真っ直ぐ見ながら
「ありがとう」
と言った。
二人とも何度もむせび泣きながら、何度も
「ありがとう」
と言った。
※
それから半年後、姉が奇跡的に目覚めた。
足が無くなったという事実に最初はショックを受けていたが、すぐにリハビリと義足の訓練を始めた。
今では、杖無しでも普通に買い物に出掛けている。
今でもふと、彼女の両親が
「ありがとう」
と言った時の顔を思い出す。
彼女の一周忌がもうすぐなので、それには出ようと思っている。