小さい頃から、寂しいときや困ったときに、良い香りに包まれることがありました。
花でも、香水でもありません。
同じ香りが、場所も季節も関係なく、ふっと近くに来るのです。
その正体を知ったのは、二十歳の夏でした。
母の実家の蔵の、一番奥にあった桐の長持を開けたときです。
蓋を持ち上げた途端、あの香りが、私の顔を包みました。
母の実家は、岐阜の郡上八幡にあります。
吉田川の音が、家の中まで聞こえてくる町です。
夏になると、子どもが橋の欄干から川へ飛び込みます。

私は毎年、お盆にそこへ連れて行かれました。
従兄が四人いて、全員が男の子でした。
女の子は、私ひとりです。
だから私は、いつも少し余っていました。
従兄たちが川へ行ってしまうと、庭の蔵の前に座っているしかありません。
そういうとき、あの香りが来ました。
甘さの手前で止まるような、落ち着いた香りです。
吸い込むと、鼻の奥が少しだけ涼しくなります。
私はそれを、自分にだけ来るものだと思っていました。
蔵の壁は、下のほうだけ色が濃くなっていました。
何度も水が這った跡だと、祖父が教えてくれました。
「昔、川が上がってきたときのな」
祖父は、蔵の前の敷石に腰かけて煙草を吸う人でした。
その煙の匂いは、あの香りとは似ても似つきません。
だから私は、香りの出どころが蔵だとは思いませんでした。
蔵は、いつも閉まっていたからです。
鍵は、母屋の柱に掛かった木の札に結んでありました。
従兄たちが持ち出そうとすると、伯母が必ず止めました。
「蔵はあかん」
止め方が、ほかの叱り方と違っていました。
声を荒らげずに、ただ一言でやめさせるのです。
従兄たちも、なぜか素直に引き下がりました。
私が中に入れたのは、隠れんぼのときだけでした。
あとから思えば、あれも伯母が黙認していたのだと思います。
誰かに言っても、笑われるだけだろうと思っていたのです。
一度だけ、母に話したことがあります。
小学四年の、運動会の前の晩でした。
「お母さん、変な匂いせん?」
母は、台所で手を止めました。
「変な匂いって」
「変じゃないけど、いい匂い」
母は、何も言いませんでした。
布巾で手を拭いて、そのまま冷蔵庫を開けました。
返事がないことが不思議で、私はそれきり訊きませんでした。
いま思えば、母は答えを持っていたのだと思います。
答えを言わないと決めていたから、黙るしかなかったのでしょう。
母は、約束を守る人でした。
子どもの私の前でも、ごまかしはしませんでした。
だから、嘘をつくかわりに、冷蔵庫を開けたのです。
翌日の運動会で、私は徒競走の二着でした。
帰り道、母はいつもより多く話しました。
その日も、香りは私のそばにありました。
香りの来方には、決まった順序がありました。
まず、うなじのあたりが少しだけ涼しくなります。
それから、鼻の奥に、細い糸のように入ってきます。
強くなることはありません。
近づこうとすると、すっと薄くなります。
追いかけると逃げる匂いだと、子どもの私は思っていました。
だから私は、いつも動かずにいました。
困ったときの匂い
香りが来るのは、決まって、うまくいっていないときでした。
中学二年で、仲の良かった子と口をきかなくなった時期があります。
教室で一人になった昼休みに、あの香りがしました。
窓は閉まっていました。
隣の席の子に訊いても、何も匂わないと言われました。
高校受験の前の日にも、ありました。
机に向かっていると、参考書のページのあたりから来るのです。
顔を近づけても、紙の匂いしかしません。
少し離すと、また香りました。
私は、それを頼りにしていたのだと思います。
怖いと思ったことは、一度もありませんでした。
大学に入って、初めて一人暮らしをしました。
最初の冬、風邪をこじらせて三日間寝込みました。
誰にも言わずにいたら、母から電話がかかってきました。
「あんた、風邪ひいとらん?」
「なんで分かるん」
「なんとなく」
その電話を切ったあと、部屋にあの香りが立ちました。
布団の中で、私は少し泣きました。
理由は、自分でもよく分かりません。
翌朝、熱は下がっていました。
香りのことは、やはり誰にも言いませんでした。
言葉にすると、来なくなるような気がしていたのです。
大学二年の秋、私は進路のことで母と言い争いました。
教員になれと言われ、私は美術の道に行きたいと言いました。
電話を切ったあと、下宿の窓を開けて風を入れました。
夜の道路の匂いが入ってきて、それから、あの香りになりました。
私は窓を閉めて、もう一度母に電話をかけました。
謝るつもりはありませんでした。
ただ、声を聞きたかったのです。
母は、さっきの続きを何も言いませんでした。
「ご飯、ちゃんと食べとる?」
それだけ訊いて、電話を切りました。
結局、私は美術の道に進みました。
母が折れたのか、諦めたのかは分かりません。
ただ、その電話のあと、進路の話は一度も出なくなりました。
学費の振込は、毎月きちんと続きました。
郡上の伯母からも、季節ごとに荷物が届きました。
米と、漬物と、いつも同じ和紙の袋に入った干し柿です。
その袋を開けると、ほんの少しだけ、あの香りがしました。
私はそれを、蔵の匂いが移ったのだろうと思っていました。
蔵を壊すという話
二十歳になった年の春、母の実家を改築するという話が出ました。
祖父が亡くなって、伯母夫婦が住み継ぐことになったのです。
母屋は直し、庭の蔵は取り壊す。
そういう相談だと、母から聞きました。
「蔵、なくなるん?」
「古いしね。もう使わんし」
私は、思ったより強く反対したくなりました。
自分でも、その気持ちの出どころが分かりませんでした。
その年のお盆に、私は久しぶりに郡上へ行きました。
蔵の戸は、開け放たれていました。
中の物は、ほとんど運び出されたあとでした。
伯母が、麦茶を持って出てきました。
「よう来たね」
「蔵、もう空っぽなんですね」
「だいたい整理したよ」
伯母は、そこで少しだけ間を置きました。
「でも、何か良いものがあったら、自由に持って行ってええよ」
私は、その言い方を、ただの社交辞令だと思いました。
伯母は、そのあと縁側の柱にもたれて、蔵のほうを見ていました。
「今年で、最後やでね」
「取り壊すの、いつですか」
「秋になったら」
そう言って、伯母は麦茶のコップを両手で包みました。
その手は、指の関節が太くなっていました。
何十年も水と糸を扱ってきた人の手です。
私は、その手を見ながら麦茶を飲み干しました。
冷たい麦茶を飲んでから、私は蔵に入りました。
中は、外より三度は涼しく感じました。
土の壁の匂いと、埃の匂いがします。
床板が、一歩ごとに鳴りました。
子どもの頃、ここで従兄たちと隠れんぼをしました。
長持の中に入って蓋を閉めると、誰にも見つかりません。
見つからなすぎて、一度、本気で泣いたことがあります。
そのとき蓋を開けてくれたのは、伯母でした。
「こんなとこにおったんけ」
笑いながら、私を抱き上げてくれました。
抱き上げられたまま、私は蔵の奥を見ました。
一番奥の長持だけが、布を掛けられていました。
白い、洗いざらしの布です。
その布のことを、私は長いあいだ忘れていました。
二十歳の夏に蔵へ入ったとき、布はもうありませんでした。
外されたのは、たぶん、その年の春です。
一番奥の桐の長持
長持は、四つ並んでいました。
手前の三つは、蓋を開けても空でした。
洋服が詰まっていたはずの二つ目も、底板が見えるだけです。
私は、手前から順に蓋を上げていきました。
四つ目が、一番奥にありました。
ほかの三つより、明らかに造りが違います。
角に金具が打ってあり、板の目がまっすぐに通っていました。
桐の長持でした。
そこで、私はあることを思い出しました。
長持は四つあって、一番奥のものだけは触ってはいけないと言われていました。
子どもの頃、隠れんぼのたびに言われたことです。
誰に言われたのかは、覚えていません。
ただ、その一つだけは、開けたことがありませんでした。
もう二十歳だから構わないだろう。
そう思って、私は蓋に手をかけました。
蓋は、思っていたより軽く上がりました。
次の瞬間、私はその場に立ち尽くしました。
あの香りでした。
十七年間、私の周りに来ていた、あの香りです。
薄い和紙に包まれた着物が、几帳面に重ねてありました。
上から順に、藍、深緑、そして一番下に、薄い桜色。
どれも、袖に折り目のあとが残っていません。
着られたことのない着物だと、素人の私にも分かりました。
私は、蓋を持ったまま、しばらく動けませんでした。
香りは、蔵の中にゆっくり広がっていきました。
戸口から入る光の中で、埃だけが白く舞っていました。
私は、しゃがんで、蓋の裏を見ました。
板に、細い字で何か書いてあります。
墨ではなく、鉛筆のような薄い線でした。
屋号と、年号と、名前。
祖母が嫁いできた年の日付でした。
十九歳、と添えてあります。
私より、一つ下です。
その年に、この長持は、この蔵へ入ってきたことになります。
そこから、ずっとここにあったのです。
祖母は、この町の外から嫁いできた人でした。
峠を二つ越えた先の在所だと、母に聞いたことがあります。
実家との行き来は、年に一度あるかどうかだったそうです。
嫁入り道具は、この長持がほとんど全部でした。
中に入れた着物も、自分で縫ったものだといいます。
着る機会は、ほとんどなかったはずです。
そのかわり、毎年香だけを焚き込めていたのだと思います。
袖に縫われた紙
伯母と母を呼んで、私は長持の前に立ってもらいました。
「これ、誰のですか」
伯母は、中を見て、それから私の顔を見ました。
「あんたのやよ」
「私の?」
「おばあちゃんが、あんたにって」
私の祖母は、私が三歳のときに亡くなっています。
顔も声も、写真でしか知りません。
その祖母の嫁入り道具が、この桐の長持だというのです。
中の着物には、祖母が自分で調合した香が焚き込めてありました。
「昔の人は、こうやって香を移したんよ」
母が、和紙をそっとめくりながら言いました。
祖母には、孫が四人いました。
全員、男の子です。
着物を譲る相手が、ずっといなかったのだそうです。
そこへ、私が生まれました。
「この着物は、大きくなったこの子にあげよう」
祖母は、そう言って、とても喜んでいたといいます。
私は、一番下の桜色の着物を、少しだけ引き出しました。
袖の裏に、白い紙が縫いつけてありました。
細い糸で、四隅を留めただけの紙です。
そこに、私の名前が書いてありました。
祖母の字だと、伯母が言いました。
「生まれてすぐ、縫いつけとったよ」
紙は、少し茶色くなっていました。
けれど、字は薄れていませんでした。
祖母の字は、思っていたより角ばっていました。
母の字にも、私の字にも似ていません。
縫いつけた糸は、白い木綿の細い糸でした。
四隅だけを留めて、真ん中は浮かせてあります。
紙を傷めないための留め方だと、伯母が教えてくれました。
私は、その紙を指でなぞりました。
会ったことのない人の字が、指の下にありました。
母は、その紙を見てから、口を押さえました。
「これ、初めて見た」
「お母さんも、知らんかったん?」
「知らん。おばあちゃん、何も言わんかったもん」
伯母だけが、知っていたのです。
私は、着物を元のように重ね直しました。
和紙の折り目が、きれいに元へ戻りました。
折り方も、毎年同じ人が畳んできた折り方でした。
私は、いちばん上の藍の着物にも触れてみました。
布は、ひんやりとしていました。
夏の蔵の中なのに、手のひらに冷たさが残ります。
「これも、あんたのやよ」
伯母が、そう言いました。
「三枚とも?」
「三枚とも」
私は、何と答えればいいのか分かりませんでした。
三枚の着物は、それぞれ寸法が少しずつ違っていました。
「大きゅうなる分を見越して、三枚縫うたんやろね」
母が、そう言いました。
着る人の背丈を知らないまま、三段階に分けて縫ったのです。
一番小さいものでも、今の私にちょうどでした。
「おばあちゃん、私の背ぇ知らんはずやのに」
「知らんでも、だいたい分かるんよ」
伯母は、そう言って笑いました。
「女の背丈は、母親の背丈でだいたい決まるすけ」
母は、自分の肩のあたりに手をやりました。
その仕草が、着物の肩幅とちょうど重なりました。
伯母の虫干しの帳面
その夜、伯母が古い大学ノートを持ってきました。
表紙に、虫干し、と書いてあります。
開くと、日付と天気が並んでいました。
一番古い行は、私が三歳の年の夏でした。
祖母が亡くなった、その年です。
そこから、毎年一行ずつ増えています。
「毎年、梅雨明けに出して干しとったんよ」
「十七年も、ですか」
「香も焚き足してな。そうせんと、抜けてしまうすけ」
私は、その一行一行を目で追いました。
日付の横に、短い書き込みがあるものもありました。
雨続きで三日遅れ、と書いてある年。
腰を痛めて、夫に手伝ってもらった、と書いてある年。
そして、どの年にも、同じ言葉が添えてありました。
今年も、と。
「なんで、そこまでしてくれたんですか」
私が訊くと、伯母はノートを閉じました。
「約束やったからね」
「約束」
「おばあちゃんとの」
触ってはいけないと言ったのは、伯母ではなく、祖母自身でした。
亡くなる前に、伯母にこう頼んだのだそうです。
あの子が二十歳になるまでは、誰にも開けさせないでほしい。
そのかわり、毎年、香だけは焚き足してやってほしい。
伯母は、それを十七回、律儀に守りました。
夏の盛りに、蔵から着物を出して、庭に竿を渡す。
半日干して、夕方に取り込み、香を焚き足して畳み直す。
一人ではできない年もあったそうです。
腰を痛めた年は、伯父に竿を持ってもらっています。
帳面には、その年だけ、二人の名前が並んで書いてありました。
伯母は、そのことを一度も私に言いませんでした。
母にすら、詳しくは話していなかったようです。
私はノートを、もう一度開かせてもらいました。
最後のページの、一番下の行です。
伯母の帳面の最後の行には、私が二十歳になる年の日付が、先に書いてありました。
書かれたのは十七年前だと、伯母は言いました。
祖母が、その年の欄だけを、あらかじめ指定していたのです。
蔵を壊す話が出たのも、その年でした。
伯母が、好きなものを持って行っていいと言ったのも。
偶然だと思う気持ちは、そのときから、私にはありません。
おばあちゃんだったんだ。
三歳までの記憶は、私にはひとつも残っていません。
抱かれた覚えも、名前を呼ばれた覚えもありません。
それでも、香りだけは、十七年ぶん残っていました。
伯母の手を通って、届いていたのです。
帰りの電車で、私は袋に入れた着物を膝に乗せていました。
窓の外は、まだ明るい夏の夕方でした。
膝の上から、あの香りが上がってきます。
今度は、逃げませんでした。
口に出すと、涙がこぼれました。
同じように、会えなかった人の気配を書いた話として、
お盆のある日と、
望まれた存在を、私は時々開きます。
桜色の着物は、今も私の家にあります。
袖の紙は、外さずにそのままです。
梅雨が明けると、私が干すようになりました。