強い人

公開日: ちょっと切ない話 | 家族 | |

父と娘

母は、強い人だった。

父が前立腺癌だと判った時も、入院が決まった時も、葬式の準備の時も、私たち子どもの前で一度も泣かなかった。

だからなのか、当時私はまるで映画を観ているようで、実感が湧かなかった。

普通に学校へ行って勉強をし、部活をして、習い事へ行った。

その間、母は未来ある私の中学受験と、先の短い父の闘病生活を同時に支えていた。

一番上の姉は、金銭面の理由と手伝いの為、一人暮らしから家へ戻って来た。

二番目の姉は私に「お母さんに優しくしてね」と言った。

兄は学校帰りに原付で父のお見舞いに行っていた。

私だけが子供だった。

私が現実に気付いたのは、病院のベットに寝ている父が

「どっちが上なのか分からん」

と痩せた手を斜めに伸ばした時だった。

父はふざけていなかった。

「こっちが上よ、お父さん」

と母が手を取った。

私は何か悪いことが現実に起こっていると、ようやく理解した。

おかしな話だが、入院しても髪が抜け落ちても、寝ている時間が増えても、父も母も笑っているからそれが全てだと思っていた。

それ以降、父が私を認識して話ができたことは一度もなかった。

楽しい会話の中で、

「やり直したいことある?」

「後悔してることある?」

などの話題が出ることがある。

答えられない。

何故なら、どうしたって後悔はこの近辺の話ばかりで、人様に話せることが思いつかないからだ。

いつか父と会えることがあれば、私の人生を詳細に話したい。

お父さんが大事にしてくれた娘は、幸せな人生を送っているよ。

何も心配いらないからね。

お父さん、あの時ちゃんと手紙を書いたり、言葉でありがとうを伝えられなくてごめんね。

今でも大好きだよ。

また、会おうね。

関連記事

ドーナツ(フリー写真)

ミスドの親子

日曜にミスドへ行った時の話。 若いお父さんと、3歳くらいの目がくりくりした可愛い男の子が席に着いた。 お父さんと私は背中合わせ。以下、肩越しに聞いた会話。 子「どーな…

浜辺で手を繋ぐカップル(フリー写真)

彼女の面影

彼女が痴呆になりました。 以前から物忘れが激しかったが、ある日の夜中に突然、昼ご飯と言って料理を始めた。 更に、私は貴方の妹なのと言ったりするので、これは変だと思い病院へ行…

カップル

君と一緒に過ごせた日々

昨日、僕の恋人が亡くなりました。 長い病気の末、彼女はこの世を去りました。通夜が終わり、残された荷物を病院から持ち帰ることになりました。その荷物の中に、彼女が書いたと思われる手…

ビーフシチュー

仲直りのビーフシチュー

昨日の朝、私は妻と言い争いをしてしまった。原因は、夜更かしによる私の寝不足で、朝の機嫌が非常に悪かったことだ。 「また仕事か」とぼやきながら起きる私。妻は私の気難しさを知ってい…

ブリキのおもちゃ(フリー写真)

欲しかったオモチャ

俺がまだ小学生だった頃。 どうしても欲しかったオモチャを万引きしたら見つかって、それはもう親にビンタされるは怒鳴られるはで大変だった。 それから暫らくして俺の誕生日が来た…

花束

深く、不器用な愛情

私は先天性の障害を持つ足で生まれました。 幼い私が、治療で下半身がギプスに覆われた時のことです。 痛みで泣き叫んだ夜、疲れ果てて眠った私を見て、強がりの父が涙を流していま…

ドーナツ

ドーナツと小さな願い

日曜日、私はミスタードーナツで心温まる一幕を目撃しました。 店内には、若いお父さんと彼の3歳くらいの目がくりくりした可愛らしい男の子が席につきました。彼らは私の背後に座り、肩越…

女の子

天に向かっての約束

7ヶ月前に妻を亡くし、初めて迎えた娘の4歳の誕生日。 今日は休みを取って朝から娘と二人で妻の墓参りに出かけた。妻の死後、娘は毎日「ままにあいたい」「ままかえってこないの」と泣い…

皺のある手(フリー写真)

私はおばあちゃんの子だよ

私は幼い時に両親が離婚して、父方の祖父母の家に引き取られ育てられました。 田舎だったので、都会で育った私とは周りの話し方から着る服、履く靴まで全てが違いました。 そのため祖…

スマホ

傷つけて気づいた愛

私は4年間、妻を裏切り続けた。ネットで出会った女性との不倫関係に溺れていたのだ。彼女との関係は、私がずる賢く立ち回り、妻には秘密のまま続いていた。妻はいつも遅い帰宅にも笑顔で迎えてく…