天国へ持って行きたい記憶

天国へ持って行きたい記憶

母の指先は、いつも少しだけ赤かった。

血ではない。

赤い木綿糸の毛羽が、指の腹の皺に入り込んで、洗っても落ちないのだ。

母は帰ってくると、まず台所で手を洗った。

石鹸を泡立てて、爪の際を古い歯ブラシでこする。

それでも赤は残る。

母はいつも、少し困った顔でその指を見てから、蛇口を閉めた。

母は三十年、白波のタオル工場で検反という仕事をしていた。

白波は、瀬戸内に面した小さな町だ。

朝、坂を下りると海が見える。

そのすぐ手前に、白い平屋の建屋が三棟並んでいた。

町の音は、ほとんどが織機の音だった。

遠くで誰かが板を叩き続けているような、絶え間ない音。

私はその音を子守唄にして育った。

白波では、生まれた子に最初に贈るのがタオルだった。

祝いにも、見舞いにも、別れにもタオルを持っていく。

どこの家の押入れにも、白い箱が積まれていた。

織り上がった生地を、光の下でゆっくり流して、傷を探す仕事だ。

※

検反台というのは、白い机に見えるが、じつは机ではない。

斜めに傾いた台に、下から蛍光灯の光が当たっている。

その上を、織り上がった白い生地が、ひと巻きずつ流れていく。

母はその前に立って、ただ、見る。

一日中、見る。

糸の飛び、織り傷、油じみ、耳のほつれ。

素人の目には、どこまでも白い布にしか見えない。

母はそこから、米粒ほどの狂いを見つける。

見つけると、母はその場所に、赤い糸を一本、結んだ。

きゅっ、と小さな音がする。

小学校の社会科見学で工場に行ったとき、私は初めてその音を聞いた。

同じ班の男の子が「魔法みたい」と言った。

私は少しだけ、鼻が高かった。

社会科見学の日、母は私を見なかった。

班が母の台の前を通っても、目を上げなかった。

生地は止まらないからだ。

帰りのバスで、隣の子が「あんたのお母さん、こわい顔しとったね」と言った。

私は「仕事やけん」と答えた。

その夜、母は珍しく、私の頭を二回だけ撫でた。

何も言わなかった。

※

工場には、代々伝わっている言い方があった。

先代の検反長という人が言い始めたらしい。

「一日の終わりに、天国まで持っていける反物を、一本だけ選んどけ」

一日に何十本と見る中で、これはよかった、というものを、頭の中に一本だけ残す。

そうしないと、傷ばかり見て帰ることになるからだ、と。

母はそれを、家でも言っていた。

夕飯のとき、私が学校の嫌なことを話すと、

「ほんで、今日の一本は」

と訊いてくる。

私は面倒くさそうに、給食のプリンがおいしかった、などと答えた。

母は「ほんならええ」と言って、それ以上は訊かなかった。

父は、私が四つのときにいなくなった。

病気だった。

写真は仏壇の上に一枚だけある。

母は父の話をほとんどしなかったので、私も訊かなかった。

ただ、母が工場の立ち仕事を三十年やめなかった理由は、子どもでも分かった。

検反は座れない。

一日八時間、光の前に立ち続ける。

母の膝は、私が中学生のころにはもう、雨の前に鳴るようになっていた。

※

高校生のとき、一度だけ、私のほうから訊いたことがある。

台所で、母が茄子のへたを落としていた。

「お母さんは、人生で一本だけ残すんなら、どれなん」

母は包丁を置いて、少しも考えずに答えた。

「あんたが生まれた日かな」

即答だった。

私は、なんとなく照れくさくて、

「そんなん、みんな言うわ」

と返した。

母は「そうかもしれん」と言って、また茄子を切り始めた。

その音が、いつもより少しだけ速かったことを、覚えている。

そのあと母は、茄子を切り終えてから、こう付け足した。

「あんたのは、まだ流れとる途中やけんね」

意味が分からなかったので、聞き流した。

いま思えば、あれは検反の言い方だった。

まだ台の上を流れている生地には、最後の判は押さない。

※

私は、母を「ママ」と呼んでいた。

呼ばなくなったのは、中学に上がったころだ。

母が、いちいち細かかったからだ。

制服のスカートの丈。

弁当箱の蓋の閉め方。

ノートの端が折れていること。

母は、私のいたるところに「傷」を見つけた。

朝、玄関を出るとき、母は必ず私を上から下まで見た。

その目つきが、検反台の前に立つときと同じだった。

友達の家に泊まった翌朝、その視線がないことに気づいて、少しだけ物足りなかったのを覚えている。

そのことは、誰にも言わなかった。

見つけては、直そうとした。

私は「お母さん」と呼ぶようになり、やがて何も呼ばなくなった。

母は検反の人だから、粗ばかり探すのだ。

そう思っていた。

思っていたというより、そう思うことにしていた。

※

母は、私の服のほつれを、赤い糸で繕った。

靴下の穴も、体操服の脇も、リュックの持ち手も。

白い体操服に赤い糸は、遠くからでも見える。

中学のとき、それが本当に嫌だった。

「なんで白い糸にしてくれんの」

「赤しか手元にないんよ」

「買うてきてよ」

「もったいない」

母はそう言って、話を終わらせた。

私は体育の時間、脇の縫い目を左手で押さえながら走った。

体育祭の前の晩、私は繕いをほどこうとしたことがある。

糸切り鋏を持って、電気を消した部屋で、赤い縫い目に刃を当てた。

けれど、ほどけなかった。

母の縫い目は、返し縫いが二重に入っていて、ほどこうとすると布のほうが裂けそうだった。

私はそのまま鋏を置いて、寝た。

翌日、赤い脇のまま走って、二着だった。

そういう子どもだった。

※

うちは、裕福ではなかった。

それなのに私は、男の子が苦手だという理由だけで、小学校から隣町の女子校に通わせてもらった。

電車で二十五分。

定期代も、制服代も、母のあの立ち仕事から出ていた。

それなのに私は勉強をせず、母は何度も学校に呼ばれた。

進級のかかった二月に、母は工場を早引けして、雨の中を参観に来た。

傘の柄を握っていた手が、赤かった。

私は廊下でそれを見て、目をそらした。

家に帰って、私は「来んでええのに」と言った。

母は「そうやね」と言った。

それだけだった。

あとで知ったのだが、母はその日、有給ではなく、欠勤で早引けしていた。

検反は代わりがきかない。

抜けた分の反物は、次の日に母が一人で見ることになる。

翌日、母は朝五時に家を出ていた。

私はそれを、参観に来たことへの当てつけだと思っていた。

※

やっと専門学校を出て、私は幼稚園の先生になった。

初めて給料をもらった月に、家にお金を入れた。

母はそれを、封筒のまま仏壇の引き出しに入れた。

「使うたらええのに」

「うん」

母はそう言ったきりだった。

そのころの私は、自分がやっと母に何かを返せていると思っていた。

思っていただけだった。

※

二十四のとき、私は妊娠した。

相手は四つ年下の、まだ学生の彼だった。

無計画だった。

彼は最初、産まないでほしいと言った。

私は家に帰って、母に言った。

「産みたい。けど、一人じゃ無理やと思う」

母は、何も言わずに立ち上がって、私の頬を打った。

打ってから、自分の手のほうを見ていた。

それから、母はその場に座り込んで泣いた。

「わたしに、まだ子宮があったら」

「代わりに産んであげられたのに」

母は、私が二十歳のときに子宮筋腫で子宮を取っていた。

そのことは知っていた。

でも、そんなふうに使われる言葉だとは思っていなかった。

※

その日から、母は毎晩、家計簿と通帳を出して机に向かうようになった。

私が今まで入れていたお金は、一円も使われていなかった。

母はそれを全部、私の名前の口座に移していた。

その通帳と、私の貯金を合わせて、私は引っ越しをした。

荷物を運び出す日、母は玄関に立って、段ボールの数を数えていた。

十七個あった。

そのうちの一つに、母は途中で赤い糸を結んだ。

「どれが割れもんか、分からんようになるけん」

そう言っていた。

私は「テープに書いてあるやん」と返した。

結ばれていた段ボールを開けたのは、引っ越して三日目だった。

中に入っていたのは、割れものではなかった。

私が小学校のときに使っていた、給食袋と体操服だった。

脇の縫い目に、赤い糸が走っていた。

母は二十年近く、それを捨てずに置いていた。

出産の費用も、そこから出た。

彼のことは、はっきり言えばまだ子どもだ。

それでも何とか話をして、今は二人で暮らしている。

彼は、産まないでほしいと言った翌週、私の部屋の網戸を直しに来た。

直せるとも言わずに、工具を持って来て、黙って直して帰った。

言葉より先に手が動く人なのだと、そのとき思った。

いまは、夜勤明けにお腹に耳を当ててくる。

お腹の子には、毎日話しかけている。

経過は、あまりよくなかった。

張り止めの薬を飲みながら、週に一度、病院に通っている。

まわりの人はみんな、無理をするなと言った。

諦めたほうがいい、という言い方をする人もいた。

そのなかで、母だけが違った。

「産みたいんやろ」

電話でそう訊かれて、私が「うん」と言うと、母は「ほんなら、それでええ」と言った。

それ以上は何も言わず、次の週には、干し椎茸と鰯の煮干しが段ボールで届いた。

※

引っ越しの荷造りをしていて、押入れの奥から母の道具箱が出てきた。

検反で使っていたものだ。

小さな鋏と、拡大鏡と、赤い木綿糸の巻きが三つ。

一つは使いかけで、あとの二つは新しいままだった。

その箱を持って、私は工場のミサヲさんを訪ねた。

母と三十年、同じ台に立っていた人だ。

ミサヲさんは箱を開けて、赤い糸を指でつまんで、笑った。

「これ、まだ持っとったんやね」

私は、ずっと訊きたかったことを訊いた。

母はどうして、傷を見つけるたびに糸を結んだのか。

そんなに丁寧に印を付けなくても、記録は帳面に書くのに。

ミサヲさんは、私の顔をしばらく見てから、言った。

工場の休憩室は、昔と同じ匂いがした。

糊と、蒸気と、少しだけ機械油の匂い。

窓から検反室が見えて、若い人が二人、光の前に立っていた。

その立ち方が、母とそっくりだった。

ミサヲさんは「立ってみるかね」と言って、私を空いている台の前に連れて行った。

光の当たった白い生地は、思っていたより眩しかった。

三十秒で目の奥が痛くなった。

傷は、どこにも見えなかった。

ミサヲさんが横から指をさす。

「ここ」

顔を近づけて、やっと分かった。

糸が一本、隣の糸に半分だけ乗り上げていた。

髪の毛の半分ほどの幅だ。

母はこれを、三十年、一日八時間、探し続けていた。

肩を落として、顎を少し引いて、瞬きが少ない。

「あんた、あれを傷の印やと思うとったんかね」

はい、と私は答えた。

「ちがうんよ」

ミサヲさんは、指で結ぶ真似をした。

「あれは、直せる、いう印や」

※

検反では、見つけた傷を二つに分けるのだという。

繕えば売り物になるものと、どうにもならないもの。

繕えるほうには、糸を結ぶ。

あとで補修の人が、その糸を目印に直す。

どうにもならないほうには、何も付けない。

そのまま、下の段のかごへ落とす。

「糸を結ばれん反物は、一遍も手をかけられんまま出ていくんよ」

ミサヲさんはそう言って、窓の外の白い建屋を見た。

「恵子さんはね、結ぶのが工場でいちばん多い人やった」

「あの人は、直せる思うたら、なんぼでも結ぶ人でね」

ミサヲさんは、湯呑みを両手で包んだ。

「あんたのお母さん、いっぺんだけ泣いたことがあってね」

参観の翌日の朝五時、二人きりの検反室でのことだったという。

手は止めずに、涙だけこぼしていたそうだ。

「なんで泣いとるんて訊いたら、目が乾いとるだけや、言うてね」

光の前に立ち続ける仕事だから、それは嘘でもなかったのだと思う。

母は、嘘をつくときも、半分は本当のことを言う人だった。

ミサヲさんは、それから少しだけ声を落とした。

「結ぶんはね、しんどいんよ」

結べば、そのぶん補修の人の手間が増える。

数字だけ見れば、落としたほうが早い。

「班長に、何遍か言われとったよ。恵子さん、あんた結びすぎやって」

それでも母は、結ぶのをやめなかったのだという。

私は、自分の体操服の脇を思い出していた。

赤い糸で、何度も何度も縫い直されたあの縫い目を。

母は、直せんもんには、糸を結ばんかった。

※

ミサヲさんは、帰りぎわに、もう一つ言った。

言うかどうか迷ったのだと思う。

玄関の外まで出てきて、それから言った。

「恵子さん、あんたを産んだときに、もう次はないて言われとったんよ」

産科でそう告げられていたのだと。

子宮を取ったのは二十年後だが、その前から、体はそういう体だった。

母は、それを誰にも言わなかった。

私が大きくなってからも、体のことを言い訳にしたことは一度もなかった。

膝が鳴っても、立ち仕事を替えてもらわなかった。

替わりのきかない仕事だから、と言っていた。

工場でミサヲさんにだけ、一度こぼしたのだという。

「一本だけやから、ようけ見とかんとね」

母は、そう言って笑ったらしい。

※

一本だけ。

あの言葉の意味が、そこでやっと分かった。

母が「あんたが生まれた日」と即答したのは、いい思い出を選んだからではなかった。

母には、その日しかなかったのだ。

三十年間、母はそれを一度も口にしなかった。

私はその一本を、さんざん粗末に扱ってきた。

思い返せば、母が私を叱ったことの中身は、いつも同じだった。

まだ直せるうちに、直しなさい。

そればかりだった。

来んでええのに、と言った。

赤い糸を、恥ずかしいと言った。

ママと呼ぶのを、やめた。

あの日、雨の廊下に立っていた母の手が赤かったのは、傘の柄のせいではなかった。

朝から糸を結び続けた手だった。

私はそれを見て、目をそらしたのだ。

※

先週、産着を出して洗った。

もらいものの古いもので、袖口が少しほつれていた。

私は裁縫箱を開けて、白い糸を探した。

白は、あった。

それなのに、私は母の道具箱から、赤い糸を取り出していた。

一本抜いて、袖口に通した。

結び目を作るとき、きゅっ、と小さな音がした。

聞き覚えのある音だった。

音は、記憶よりずっと小さかった。

検反室のあの音は、たぶん、あんなに響いてはいなかったのだと思う。

母の手元で鳴っていたから、大きく聞こえていただけなのだ。

指の腹に、赤い毛羽がついていた。

※

母へ。

もうすぐ、あなたの孫が生まれます。

きっと私は、いい母親にはなれません。

あなたみたいに、米粒ほどの狂いを見つけられる目も、まだ持っていません。

でも、これだけは覚えておきます。

直せると思ったところには、糸を結ぶこと。

何度でも結ぶこと。

結ばれた側は、その意味に二十四年も気づかないかもしれないけれど。

それでも結ぶこと。

私の一本は、もう決まっています。

たぶん、この子に初めて会う日になるのだと思います。

先週、あなたから小包が届きました。

中に、白いタオルが十枚入っていました。

どれも一枚ずつ、端に赤い糸で小さな結びがしてありました。

あなたは電話で「B反やけん、気にせんとき」と言いましたね。

気にします。

あれは、直せると思った人が結んだ印なのだと、私はもう知っています。

それでも、二本目を選んでいいのなら。

雨の廊下に立っていた、赤い手の人にします。

いつもごめん。

ありがとう。

世界で一番、尊敬しています。

もうすぐバーバになるママへ。

もうすぐママになる馬鹿娘より。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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