最後の味
私が8歳で、弟が5歳の頃の話です。
当時、母が病気で入院してしまい、父が単身赴任中であることから、私達は父方の祖母の家に預けられていました。
母や私達を嫌っていた祖母は、朝から夜遅くまで舞踊のお稽古へ行き、私達の世話は一切しませんでした。
そこで、私達はいつも近所に住む Aさんという方の家でご飯をいただいておりました。
※
ある日、母が一日だけの許可をもらって退院して来ました。
本当は体がとてもきつかっただろうに、母は甘えつく私達を何回も抱っこしてくれました。
夜は、三人で歌いながらハンバーグをこねて作りました。
「今日はお母さんが帰って来たから、ご飯はお家で食べます!」
Aさんの家に挨拶に行った時の弟の、何か誇らしげな表情を見て、私はとても嬉しくなりました。
弟の紅潮した頬っぺたに何度も自分の頬っぺたを擦りつけながら、家へと帰りました。
※
家に着くと、既に料理が食卓に並べられていました。
母は温かい牛乳を差し出して、
「おばあちゃんが帰って来たから、ちょっと待っていてね。みんなで食べようね」
と言いました。
私達が Aさんの家に行っている間に帰って来たようです。
※
暫くすると、着物姿から着替えた祖母が台所に入って来ました。
「お義母さん、お食事の用意できていますので、どうぞお掛けになってください」
その母の言葉を遮るように祖母は、
「病人の作ったものが食べられますか!何が感染するか分からないのに…」
と言い、母の作った料理を全て残飯の入ったごみ袋の中に捨ててしまいました。
「も、申し訳ありません…」
さっきまでニコニコしていた母の顔から一気に血の気が引いて行きました。
私は『どうしよう!どうしよう!』と、ただただ混乱していました。
「バカヤロウ!」
突然、弟が叫んで、祖母からごみ袋をひったくりました。
仁王立ちになった弟は、祖母を睨みつけながら、ごみ袋から母の作ったご飯を手ですくって食べ始めました。
「俺はなぁ…俺はなぁ…」
後に続く言葉が出て来ずに、目から涙をボロボロと零しながら、弟は食べ続けました。
小さな肩を震わせて、必死に強がって…。
そんな弟を見て、私も大泣きしながらごみ袋からハンバーグを掴み取って食べました。
「もう、いいのよ。やめて。二人とも。いいのよ。お願いだから…」
泣きながら止める母の声も無視して、私達はむさぼり続けました。
これが私達姉弟の、母の最後の味。悲しさと悔しさの、恨みの味…。