娘への遺言

公開日: 家族 | 悲しい話 | |

家族(フリー写真)

レミオロメンの「3月9日」という曲が流れる度に、私は泣きそうになります。

両親は、私が10歳の時に事故死しました。

あの日は家族旅行に行っていました。

帰り道、高速道路を走っていると、大型トラックがスリップしてぶつかって来て、私達の車は中央分離帯にガリガリと押し付けられました。

私は気を失っていて、気が付くと病院でした。

目が覚めたのに、何故お父さんとお母さんに会えないのか分かりませんでした。

暫くして、目を真っ赤にした祖母が入って来た時、小さいながら全てを悟りました。会えない状況にあるのだと。

父と母は重症を負っていて、喋るのもやっとで、顔は原型を留めていませんでした。

そんな自分達に、私を会わせたくなかったのでしょう。

一週間ほど経ち、両親はほぼ同じ時刻に息を引き取りました。

私は最後まで、大人の事情で会うことが出来ませんでした。

お葬式には、沢山の人が居ました。

みんな揃って泣いていました。

私は終始泣きませんでした。いいえ、泣けなかった。

そんな私を見て、親戚の人達は私を「頭がおかしいんじゃないのか?」などと言いました。

空っぽな家に帰った時『ああ、一人なんだ』と実感しました。

その夜、祖母が私に二人の携帯電話を差し出してきました。

ボイスメモのアプリを開いて、私は一つの項目をタップして聴き始めました。

1時間くらい、何度も何度も聴きました。

紛れもなく両親の声でした。

かすれた声で絞り出すように吹き込まれていました。

「れい〜、元気ですか?

お父さんもお母さんも、れいを置いて行く訳じゃないよ。

けど、居なくなっちゃってごめんね。

お父さんもお母さんも、れいが大好きです。

だから最後にれいをぎゅーってしたかったなぁ。

これからは、れいをぎゅーってしてあげる事が出来ません。

れいが泣いている時、慰めてあげることもね。

でもね、これだけは覚えておいて。

貴方は、私達の娘です。

貴方の笑った顔が大好きです。

だから、どんなに辛くても、笑ってね。

お母さん達は、ずっとずーっと大好きです。

私達の娘に産まれてきてくれて、ありがとね」

私は、泣きませんでした。

笑いました。

ありがとう!

そう叫びました。

その時に誤って Apple Musicを開いてしまいました。

すると勝手にレミオロメンの「3月9日」が流れ始めました。

「3月9日」は、事故の時も聴いていた、二人が大好きな曲です。

その曲を聞いた途端、とめどない涙が溢れてきました。

うずくまって声を上げて泣きました。

今でも泣きそうになるけど、私は強くなったよ。

ありがと。

これからも大好きです。

関連記事

病院

父の願いと医者への道

高校一年生の夏休み、両親から「大事な話がある」と呼び出されたとき、父が癌で余命宣告されていることを知りました。 私たち家族は商売をしており、借金も多く、父が亡くなれば高校に通う…

ピアノ

最後の演奏会

8年前、九州の西日本新聞に掲載され、映画化された物語があります。これは特攻出身の学徒兵たちの話です。 当時東京に住んでいた私は、銀座の東映でその映画を軽い気持ちで観に行きました…

花

またどこかで会おうね

私は以前、病院で働いていました。看護師や医者ではなく、病院の清掃員です。 ある日、何も知らずに一つの病室に掃除のために入りました。部屋に入ると、そこにいたのはもうすぐこの世を去…

親子(フリー写真)

娘が好きだったハム太郎

娘が六歳で死んだ。 ある日突然、風呂に入れている最中に意識を失った。 直接の死因は心臓発作なのだが、持病の無い子だったので病院も不審に思ったらしく、俺は警察の事情聴取まで受…

雪(フリー写真)

プライド

私には自分で決めたルールがある。 自分が悪いと思ったらすぐに『ごめんなさい』と言うこと。 私は元々意地っ張りで、自分が悪いと思っても『ごめんなさい』の一言が出ない。 …

桜

お兄ちゃんの約束

私は小学1年生の息子と、幼稚園年中の息子を持つ二児の母です。下の息子には障害があり、来年の就学が大きな課題となっています。 今年に入って、上の息子がニコニコしながら言いました。…

結婚式

父娘の絆

土曜日の太陽が、一人娘の結婚式を温かく照らしていた。 私が彼女たち母娘と出会ったのは、私が25歳の時でした。妻は33歳、娘は13歳というスタートでした。 事実、彼女は私の…

クリスマスプレゼント(フリー写真)

おとうさんのがんが治る薬

クリスマスが数日前に迫る中、6歳の娘は欲しい物を手紙に書き、窓際に置いていました。 夫と共に、キティちゃんの便箋を破らずに手紙を覗いてみると、こう書いてありました。 『サ…

病院のベッド(フリー写真)

貴重な家族写真

俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。 見た目は普通の写真なのだけど、実はその時父が難病を宣告され、それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と…と撮っ…

タクシー(フリー写真)

母の愛

俺は母子家庭で育った。 当然物凄く貧乏で、それが嫌で嫌で仕方がなかった。 だから俺は馬鹿なりに一生懸命勉強して、隣の県の大きな町の専門学校に入ることができた。 そし…