家族の支え

公開日: 兄弟姉妹 | 家族 | 悲しい話

交差点(フリー写真)

中学時代、幼馴染の親友が目の前で事故死した。

あまりに急で、現実を受け容れられなかった俺は少し精神を病んでしまった。

体中を血が出ても止めずに掻きむしったり、拒食症になったり、

「○○(亡くなった幼馴染)が迎えに来た!花火しに行って来る」

と言い、窓から飛び降りようとした。

あまり覚えていないが、幼馴染が車に撥ね飛ばされる瞬間がフラッシュバックして、耳が千切れかけるまで耳たぶの付け根を掻きむしったりしていた記憶はある。

とにかく突発的にパニックを起こして自傷行為を始めるので、親や兄が付きっきりだった。

夜中にふと目を覚ますと、俺のベットの下に兄が布団を敷いて寝ていて、お互いの手首を紐でしっかり結んでいた。

その時は何だか久しぶりに頭がクリアで、

「ああ、兄ちゃん痩せたなあ。心配掛けているんだな」

と、涙が出た。

涙を拭おうとしたら、その動きで兄が跳び起きて

「○○(俺の名前)!!」

と俺にしがみついた。

俺が泣いていて、パニックを起こしていないのを見ると、安心したように俺を抱き締めて

「怖い夢を見たか? 大丈夫だぞ。兄ちゃんがずっと付いてるからな」

と笑顔になった。

兄の腕や顔には引っ掻き傷が沢山あって、自分がやったのだと気が付いてまた泣いた。

「○○君は可哀相だったな。でも俺はお前の兄ちゃんだから、お前が一番大事だ。

お前に何かあったら、兄ちゃんは悲しいし、寂しい。兄ちゃんを置いて行かないでくれ」

と頭を撫でて一緒に泣いてくれた。

その夜から少しずつ、頭がはっきりする時間が増えて、ご飯を食べても吐かなくなった。

今思うと兄は2歳上なので、当時は高校受験を控えた中学3年生だったはず。

俺は一年近く学校を休んで、中学1年生を二度やることになったけど、兄が現役で志望校に合格できて良かった。

両親も優しく気遣ってくれたけど、幼馴染との共通の思い出がある兄が一緒に泣いてくれたから、幼馴染の死を受け容れられたのだと思う。

何と言うか、あの時の俺には悲しみに寄り添ってくれる人が必要だったのだと思う。

関連記事

お見舞いの花(フリー写真)

父の唯一の楽しみ

私の家系は少し複雑な家庭で、父と母は離婚して別々に暮らしています。 私は三姉妹の末っ子で、父に会いに行くのも私だけでした。 姉二人なんて、父と十年近く会っていません。 ※…

母と子(フリー写真)

大切な人にありがとうを

いっぱい泣きたい。 あと一ヵ月後にはあなたの居ない暮らし。 俺が芋ようかんを買って来たくらいで、病院のベッドではしゃがないでよ。 顔をくしゃくしゃにして喜ばないで。…

河川敷

桂川にて — 最後の親孝行

2006年2月1日、京都市伏見区・桂川の河川敷で、一組の母子が静かに“終わり”を迎えようとしていました。 事件として報じられたのは、無職の片桐康晴被告が、認知症の母親を殺害し、…

手紙

パパと綴られた手紙

私が30歳になった年、ひとつ年下の彼女と結婚しました。 今、私たちには、娘が三人、息子が一人います。 長女は19歳で、次女は17歳、三女は12歳。 そして、長男は1…

ママと娘

パパに届けたくて

4歳になる娘が、「字を教えてほしい」と言ってきました。 正直、どうせすぐ飽きるだろうと思いながらも、毎晩少しずつ教えてあげるようになりました。 「あ」はこう書くんだよ。「…

家族の影(フリー写真)

家族の時間

俺は昔から父と仲良くしている人が理解出来なかった。 ドラマやアニメなどで父が死んで悲しむとか、そういうシチュエーションも理解出来ない。 そもそも俺は父と血が繋がっていなかっ…

娘

娘の髪が伝えた想い

人は、別れの瞬間に何を遺し、何を抱えて生きていくのだろうか。あの日の葬儀で、私はその答えの一つを娘から教えられた。 ※ 妻が亡くなる少し前のこと。 闘病中の妻は、娘…

母と娘

余命3ヶ月の母の“最後のおむすび”

僕がかつて看取った患者さんに、スキルス胃がんを患っていた一人の女性がいました。 余命3ヶ月と診断され、彼女はある病院の緩和ケア病棟に入院してきました。 ※ ある日の…

椅子と聖書(フリー写真)

特攻隊員の方の手紙

お母さん、とうとう悲しい便りを出さねばならない時が来ました。 晴れて特攻隊員に選ばれ出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けて来ます。 母チャン、母チャンが 私…

父と娘(フリー写真)

娘の望み

彼は今日も仕事で疲れ切って、夜遅くに帰宅した。 すると、彼の5歳になる娘がドアの所で待っていたのである。 彼は驚いて言った。 父「まだ起きていたのか。もう遅いから早く…