「おかえり」と言ってくれる人

公開日: 家族 | 心温まる話 |

親子

私は、父が大好きだ。

いつも優しくて、笑顔を絶やさない人。

私がいじめられていたときも、誰よりも真剣に話を聞いてくれて、守ってくれた。

父の職場は遠くて、毎朝7時には車で家を出る。

帰ってくるのは、早くても夜9時。遅いと11時を過ぎることもある。

それでも、私と姉のために、毎日頑張って働いてくれていた。

父の休日は、少しだけ特別だった。

学校から帰ってくると、父は玄関で「おかえり」と笑ってくれる。

そして「じゃあ寝てくるね」と言って、自分の部屋に戻っていく。

疲れているのに、私たちの「ただいま」を聞くために、起きて待っていてくれるのだ。

その優しさが、どれほど嬉しかったか、今でも忘れられない。

そんな父が、ある日突然、職場で倒れた。

連絡を受けた私たちは、急いで病院へ向かったが、私は習い事があって少し遅れてしまった。

雨が降るなか、病院へ着いたのは夕方5時ごろだった。

それから、気づけば夜中の1時まで病院にいた。

待合室は人でいっぱいで、時間がやけに長く感じた。

私はずっと不安だった。

「まさか、がんじゃないか?」

「何か深刻な病気じゃないか?」

そんなことばかりが頭をよぎっていた。

数時間が経ち、「どうぞ、中へ入ってください」と看護師さんに呼ばれた。

私は心臓が早鐘のように鳴るのを感じながら、病室のドアを開けた。

そこには、ぐったりとした様子でベッドに横たわる父の姿があった。

大きな体が小さく見えて、怖くなった。

けれど、看護師さんがそっと言ってくれた。

「雨の気圧の変化による一時的な発作のようなものです。癌や重い病気ではありません」

その言葉を聞いた瞬間、私はその場で泣き崩れそうになった。

こんなに安心したのは、人生で初めてだったかもしれない。

家に帰ってからも、私はしばらく父の部屋を見つめていた。

その背中を思い出すだけで、胸がいっぱいになる。

お父さん、これからもどうか長生きしてね。

「おかえり」と言ってくれる、あなたの声を、私はずっと聞いていたい。

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