父の唯一の楽しみ

公開日: ちょっと切ない話 | 家族 |

お見舞いの花(フリー写真)

私の家系は少し複雑な家庭で、父と母は離婚して別々に暮らしています。

私は三姉妹の末っ子で、父に会いに行くのも私だけでした。

姉二人なんて、父と十年近く会っていません。

今年に入ったある日、父から電話があり

「わいな、癌やったみたいや。さえ(仮名、一番上の姉)にはもう言ってる。大丈夫。医者も治るってゆうとったさかい」

と連絡がありました。

私は心配になり、次の休みに会いに行くと父に伝え、三日後に父に会いに行きました。

父はお婆ちゃんと二人で暮らしており、父の家に着くと、父の居る二階の部屋にお婆ちゃんが案内してくれました。

父に会ってみると、布団で横になっており腹水も溜まっているのかお腹も張っていて、とても苦しそうでした。

私の顔を見ると、

「よう来たな。ゆき(仮名)」

と上体を起こして笑顔で言い、頭を撫でてくれました。

その後、夕飯の時間だったこともあり、父と一緒にご飯を食べました。

父はあまり食欲が無いのか三口程で食べるのをやめてしまいました。

食後は父と一緒に横になり、いっぱい喋ります。

一緒に笑い合いました。

父が急に真剣な顔になり、

「わいな、あと三ヶ月の命やねんと。でも大丈夫や。お前と約束したドライブや釣りに行きたいさかい、絶対に治したるわ」

と言いました。

そして私の頭を撫で、

「もう寝ろ」

と言いました。

夜中も父はトイレに何度も行き、階段の昇り降りが辛いのか、二階に上がって来たらヒューヒューと呼吸をしていました。

ですが私と一緒に寝ている部屋には呼吸を整えてから入り、私の頭を何度も撫でていました。

次の日の夕方、私は家に帰りました。

私が帰って二日後、父は病院に入院してしまいました。

次の休みに父に会いに行くと、

「よう来た。ゆきのこと待っててんで。さっきな、みき(仮名、真ん中の姉)も来てくれてな、孫の顔を見せてくれてん。こんなんに大きなってんな。嬉しいさかいみんなに自慢しやんねら」

と笑顔で言っていました。

みきと父はもう十年程会っていなかったし、孫も初めて見たので、とても嬉しかったのでしょう。

そしてその日も、父と他愛も無い話をして帰りました。

次の日、姉二人が父に会いに行きました。

帰って来た姉二人から聞いたのですが、

「お父さん、医者からは三ヶ月って言われてたけど、ほんまは後一週間持つかどうかやって」

と言われました(一番上の姉は看護師をしており、父の状態があまりにも悪いため、医者に聞きに行ったそうです)。

それから毎日、会える時は会いに行きました。

次の日には父はオムツを着けており、まともに言葉も出せていませんでしたが、私が

「お父さん」

と呼ぶとニコッと笑い、

「ゆき」

と小さく呼ぶのです。

その後は会いに行くと点滴をしており、薬のせいか意識も朦朧としていました。

ずっと眠っていたため、その日は父の顔だけ見て帰ることにしました。

そして三姉妹で会いに行きました。

私とみきは手を握り、さえは足をさすって

「お父さん」

と呼ぶと、朦朧とする意識の中、薄っすらと目を開けてニコッっと笑うのです。

そして、聞き取ることは出来ませんでしたが、小さな声で喋ってくれました。

そしてまた声を掛けるとニコッっと笑いました。

「また明日くるよ」

と言うとニコッっと笑い、

「わかった」

と言いました。

私は次の日、仕事に行きました。

昼食の際に姉から電話があり、

「お父さん死んだで。最期は苦しむことなく、ゆっくりと息を引き取ったみたいや」

と言われました。

私は仕事が終わった後、父に会いに行きました。

父の死に顔を見ると、今からでも起きて

「なんな」

と言って来そうで、私は泣いてしまいました。

親戚から、

「お父さんな、ゆきちゃんのこと大切にしてて、会いに来てくれる時は皆に言いやってんで。

お父さんの唯一の楽しみやってんもん。

孫を見た時も、皆に自慢して来い、わいの孫やねん、可愛いやろって。

ほんで来てくれた知り合い皆に、わいの娘と孫に何かあったら守ったって欲しいと、頭下げながらお願いしやったわ」

と言われました。

私はその時、もっと父に会いに来てあげれば良かったと思い、泣いてしまいました。

もっと一緒に居たかった。

今までありがとうお父さん。

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