隣の席の喪失と救い

公開日: ちょっと切ない話 | 仕事 | 悲しい話

ビル

ある日、私の隣に座っていた会社の同僚が亡くなりました。彼は金曜日の晩に飲んだ後、電車で気分が悪くなり、駅のベンチに座ったまま息を引き取ったのです。55歳という若さでした。

私たちは皆、彼が過労で亡くなったと知っていました。その時、私は遠方で家族の葬儀に参加しており、同僚のお通夜に参列することはできませんでした。しかし、その夜に急いで東京に戻り、翌日、本来休みであるはずの日に会社へと足を運んだのです。

上司からの指示で彼の机に飾る花を買いに行きました。「社員が亡くなったので」と花屋に伝えると、突然涙が溢れました。そんな経験は初めてでした。美しいが香りの強い花は、今も私がその香りを嗅ぐと涙がこぼれます。

彼が持っていたカバンには仕事の資料が山のようにあり、彼のPCには未完の仕事が残されていました。私を含む三人で仕事を分担しましたが、追いつくことはできませんでした。多くは単純な作業でも時間がかかるものばかり。私は彼に何度か声をかけていました。「手伝うことがあったら言ってくださいね」と。しかし彼はいつも笑って「じゃあ考えておくね」と答えるだけでした。膨大なデータを集計しながら、涙がこぼれました。もっと強く仕事を分担していれば、彼はまだ生きていたのではないかと後悔しています。

そのうち、彼の家族が会社に彼の荷物を取りに来ました。小柄で華奢な奥様と真面目そうな女子大生の娘さん。彼女たちは一人ひとりに丁寧に挨拶しました。私の番になると、奥様は私の名札を見て微笑みました。「夫がよく話していました。『仕事がないか?何でも言ってね』と言ってくれる真面目で優秀な女性がいるんだって。あなたのことですね。夫はあなたにとても感謝していました」と。会社で、他の部署の人もいる中で、涙が止まりませんでした。ありがとう、そんな風に思ってくれていたなんて。

もうすぐ三回忌です。あの時以来、私は部員の仕事量を注意深く見守り、誰かが過労にならないよう、可能な限り自分で仕事を引き受けるようにしています。ある日、亡くなった同僚の仕事を引き継いだ別の男性から言われました。「あなたがいなかったら、私も仕事で追い詰められて死んでいたかもしれません。冗談じゃない、本当に。だから、ありがとう」その言葉を聞いて、やっと救われた気がしました。

関連記事

シャム猫(フリー写真)

父親と猫のミル

家にはもう十年飼っていた猫が居たんだ。 家の前は昔、大きな広場で、その猫はその広場の片隅にある車の中で寝ていた子猫だった。 俺と姉ちゃんでその猫を家の庭まで連れ帰って来ちゃ…

母の手(フリー写真)

お母さんが居ないということ

先日、二十歳になった日の出来事です。 「一日でいいからうちに帰って来い」 東京に住む父にそう言われ、私は『就職活動中なのに…』と思いながら、しぶしぶ帰りました。 実…

カップルの影

残された日記

二年間付き合っていた彼に、突然別れを告げられました。 それは、彼の口から出たとは思えないほど酷い言葉で、心が引き裂かれるような別れでした。 どれだけ「まだ好きだ」と伝えて…

玩具にじゃれる白猫(フリー写真)

待っていてくれた猫

小学生の頃、親戚の家に遊びに行ったら痩せてガリガリの子猫が庭に居た。 両親にせがんで家に連れて帰り、思い切り可愛がった。 猫は太って元気になり、小学生の私を途中まで迎えに来…

オムライス(フリー写真)

本当の友達

二十年ほど前の話。 当時、俺の家は片親で凄く貧乏だった。 子供三人を養うために、母ちゃんは夜も寝ないで働いていた。 それでもどん底の生活だった…。 俺は中学を卒…

放課後の黒板(フリー写真)

好きという気持ち

中学1年生の時、仲の良かったO君という男の子が居た。 漫画やCDを貸しっこしたり、放課後一緒に勉強したり、土日も二人で図書館などで会ったりしていた。 中学2年生になる前に、…

太陽(フリー写真)

一身独立

私が小さな建築関係のメーカーの担当営業をしていた頃の話です。 私の担当区域には、小さな個人商店がありました。 先代の社長を亡くし、若くして社長になった社長には二人の男の子が…

炊き込みご飯

愛のレシピ

私が子供の頃、母が作る炊き込みご飯は私の心を温める特別な料理でした。 明言することはなかったが、母は私の好みを熟知しており、誕生日や記念日には必ずその料理を作ってくれました。 …

月

三度の祈り

それは今から数年前、俺の人生における三度の神頼みの始まりでした。 最初は七歳の時、両親が離婚し、厳しい祖父母の元へ預けられた時のことです。 彼らから「お前のせいで別れた」…

女子高生(フリー写真)

一緒に生きる覚悟

妻が亡くなる前、闘病の際に「私が死んでも泣かないで」と娘二人は言われていました。 それから数日後、妻は息を引き取りました。 通夜の晩は私が会場で妻に付き添うこととし、当時…