英雄の最期と不朽の絆

公開日: 友情 | 夫婦 | 戦時中の話

森

我が家に伝わる語り草、それは遠く南の地で戦ったおじいちゃんの物語である。

具体的な国名までの記憶は色褪せているが、彼が足跡を残したのは深緑に覆われたジャングルの地だった。

そこでは過酷な自然環境とともに、衛生状態の悪さが病の大きな原因となっていた。

マラリアやコレラといった疾患が次々と兵士たちを襲い、多くが命を落としていった。

しかし、その当時すでにある程度の治療薬が開発され、多くの命がこれによって救われていたのも事実であった。

治療班が持参していたその薬により、数多の戦士が一命を取り留めていた。

それからの日々は続き、ついにおじいちゃんも病魔に取り憑かれてしまった。

時を同じくして、彼の部下もまた同じ病に冒されてしまう。

二人の症状は甚だしく、早急な処置が必要であったが、部隊にはわずか一つの治療薬しか残されていなかった。

その部下は、声を絞り出すようにして言葉を紡いだ。

「あなたが飲んでください。あなたは私たちの頼りですから。」

おじいちゃんは心の底から部下の高潔な心を誇りに思っていた。

しかし彼の答えは、堂々たるものであった。

「貴様飲め!」

その後のおじいちゃんは、すぐにこの世を去ってしまった。

この心打たれる物語は、故人となったおばあちゃんの口から何度も聞かされたものである。

薬を飲み、戦地から生還したその部下は、戦後、おばあちゃんに数々の支えを提供してくれた。

私自身も、彼とは一度だけの出会いがあったが、その姿は優れた人物そのものであった。

おじいちゃんは彼の命を救い、彼はその後の人生で多くの善行を重ねたのである。

おばあちゃんは、おじいちゃんのあの日の言葉を愛おしく思っていた。

「『貴様』…実に美しい言葉ね…」

と、しばしば口にしていた。

おじいちゃんの遺影の前に、おばあちゃんは毎日その姿を仰ぎ、彼との日々を語り続けた。

そして、ある日静かにその生涯を閉じた。

明治時代の人々の精神、その不屈の心を私は心から尊敬してやまない。

関連記事

戦闘機(フリー写真)

海行かば

このお話は8年程前、九州の西日本新聞に掲載され、映画化もされました。 ご存知の方も多いはずです。特繰出身の学徒兵の方々のお話です。 当時東京に居た私は、銀座の東映に軽い気持…

虹

天からの手紙

妊娠と同時に、夫の癌が発覚しました。彼は子供の顔を一目見るまで頑張ると決心していましたが、残念ながら間に合いませんでした。夫が亡くなってからは、私一人で息子を育てています。息子は本当…

美しい人生(フリー写真)

お帰りなさい

マニュエル・ガルシアは元気で頼もしく、近所でも働き者と評判の父親だった。 妻に、子供に、仕事に、将来、全て計画通りに運んでいた。 ある日、マニュエル・ガルシアは腹の痛みを訴…

マグカップ(フリー写真)

友情の形

友人が亡くなった。 入院の話は聞いていたが、会えばいつも元気一杯だったので、見舞いは控えていた。 棺に眠る友人を見ても、闘病で小さくなった亡骸に実感が湧かなかった。 …

お味噌汁(フリー写真)

これで仲直りしよう

昨日の朝、女房と喧嘩した。と言うか酷いことをした。 原因は、夜更かしして寝不足だった俺の寝起き悪さのせいだった。 「仕事行くの嫌だよな」 と呟く俺。 そこで女房…

親子

失ってもなお、愛している

家内を亡くしました。 お腹には、二人目の子どもがいました。 その日、彼女は病院へ向かうため、タクシーに乗っていました。けれど途中で、居眠り運転のトラックと正面衝突。あまり…

夫婦(フリー写真)

奥さんの日記

嫁の日記を盗み読みしたら、いつも昼飯は納豆ご飯やお茶漬けしか食べていないことが判った。 友達とファミレスに行くのも月に一度と決めているらしい。 俺に美味しい料理を食べさせた…

ラジオ

ラジオから伝わる愛

私が子供の頃から、近所に住むご夫婦に可愛がられて育ちました。その夫婦には子供がおらず、私は幼いころから特別な存在でした。 おじさんは土建屋の事務員で無口な人ですが、優しさに溢れ…

夕日が見える町並み(フリー写真)

幸せだった日常

嫁と娘が一ヶ月前に死んだ。 交通事故で大破。 単独でした。 知らせを受けた時、出張先でしかも場所が根室だったから、帰るのに一苦労だった。 でもどうやって帰ったの…

電話機

電話越しの陽だまり

結構前、家の固定電話が鳴った。 『固定電話にかけてくるなんて、誰だろう?』と思いつつ、電話に出ると、若い男の声がした。 「もしもし? 俺だけど、母さん?」 すぐにオ…