カーブ!

いま、通夜の最中です。

控室の襖を閉めると、線香の匂いと、外の雪の匂いが半分ずつ入ってきます。

兄が亡くなりました。

四つ上でしたから、四十でした。

胃でした。

見つかったときには、もう手の打ちようがなかったそうです。

そうです、というのは、私が最後に兄と長く話したのが、六年も前だからです。

私は東京から、始発の新幹線と在来線を乗り継いで帰ってきました。

山形の駅を降りたら、雪が横に降っていました。

この降り方を、私は二十年以上忘れていました。

私の家は母子家庭でした。

父は私が三つのときにいなくなり、母は縫製の内職と、駅前の蕎麦屋の仕込みで、私たち二人を育てました。

母の手は、いつも指の先だけが硬くなっていました。

ですから、私に初めて野球を教えてくれたのは、父ではなく兄でした。

兄は中学二年、私は小学四年でした。

グローブは、兄が新聞配達をして貯めた金で買ってくれたものです。

安いものでした。

革が硬くて、閉じるのに両手が要りました。

それを、兄は毎晩、風呂上がりに油を塗って揉んでくれました。

「あと十日で閉じるようになる」

兄はそう言って、本当に十日で閉じるようにしてしまいました。

いま思えば、あれは職人の手つきでした。

私たちは、家の裏の、天童の公園でキャッチボールをしました。

将棋の駒の形をした石碑が立っている、あの公園です。

天童は駒の町です。

子どものころ、家の近所を歩けば、どこかの家から必ず、木を彫る音がしていました。

兄は中学生のくせに、小学生の私に本気で投げました。

取れないと怒鳴りました。

「なんで捕らんのや」

「見えんかった」

「見えんことあるか。目ぇ開いとけ」

ひどい兄でした。

ただ、変化球だけは違いました。

「カーブ!」

投げる前に、兄は必ず一声かけました。

そして、私に向かってきたボールは、手前で私の視界から消えました。

本当に消えるのです。

足元でぽんと跳ねて、私の後ろまで転がっていきました。

私は毎回それを追いかけて、走って戻りました。

私の中では、兄は江夏よりも堀内よりも上の投手でした。

日が暮れて、ボールの白が見えなくなるまで投げました。

母が呼びに来るまで、やめませんでした。

あるとき、私は妙なことに気づきました。

兄は、他の誰に投げるときも、球種を言わなかったのです。

公園に同級生がいて、その子と投げるときは、黙って投げていました。

私にだけ、カーブ、と言っていました。

子どもの私は、それを自慢だと思いました。

言っても捕れんやろう、という自慢。

兄はそういう嫌な奴だから、と、勝手に納得していました。

その納得は、三十年もちました。

母が倒れたのは、私が小学六年の秋でした。

蕎麦屋の仕込みの最中に、流しの前で崩れるように座りこんだそうです。

入院は三か月に及びました。

そのあいだ、私と兄は二人で暮らしました。

兄は高校一年でした。

朝、新聞を配って、学校へ行って、夕方また配って、帰ってきて飯を炊きました。

飯は毎日、少し芯が残っていました。

「兄ちゃん、これ硬い」

「文句あるなら自分で炊け」

そう言いながら、翌日には水を多めにしていました。

四日目に、飯はちゃんと炊けるようになりました。

ちゃんと炊けるようになった日から、兄は自分の茶碗の量を減らしました。

私は気づいていましたが、言いませんでした。

言えば、兄が怒鳴ると分かっていたからです。

週末は、二人でバスに乗って病院へ行きました。

母のベッドは、窓際から二つめでした。

母は、私たちが来ると必ず、髪を撫でつけてから起き上がりました。

その仕草が、いまも目に残っています。

病室では、することがありません。

兄が、どこからか折り畳みの将棋盤を持ってきました。

駒は、木地屋の端材でこしらえた粗末なものでした。

字は、鉛筆で書いてありました。

「なんや、書いただけか」

私が言うと、兄は黙って、歩を一枚だけ、私の前に置きました。

その一枚だけ、字が彫ってありました。

不格好で、線が震えていて、漆も入っていませんでした。

それでも、彫ってありました。

母が、それを摘まみ上げて、裏を返しました。

「と」の字が入っていました。

母は何も言わず、しばらくそれを見ていました。

看護師さんが検温に来て、母は慌てて駒を握りこみました。

握りこんだまま、体温計を挟んでいました。

その三か月で、兄の手には最初のまめができました。

私は、それを知りませんでした。

兄が私に手を見せたのは、あの正月が初めてだったからです。

兄は高校を出ると、天童の駒師の家に住み込みで入りました。

駒師というのは、将棋の駒を彫る職人のことです。

木地に文字を彫って、漆を入れて、盛り上げる。

一組の駒を仕上げるのに、上のものだと何か月もかかります。

入って三年目の正月に、兄が家に帰ってきました。

兄の指は、まめが潰れて、また潰れて、皮が二重になっていました。

私は当時中学生で、それを見てへらへらと笑いました。

「兄ちゃん、その手、じいさんみたいや」

兄は何も言わず、鞄から小さな桐の箱を出しました。

中に、駒が一枚だけ入っていました。

歩でした。

「なんで一枚だけ」

「一枚しか、まともに彫れとらん」

そう言って、兄は箱を私に押しつけました。

裏返すと、「と」の字が入っていました。

その「と」は、表の「歩兵」より、明らかに上手でした。

裏のほうが上手いのは、おかしな話です。

私はそのことを、そのときは何とも思いませんでした。

私が高校三年になった夏、兄が家に来て、母と何か話していました。

襖の向こうで、母が低い声で、いいから、いいから、と繰り返していました。

その晩、兄が私を呼びました。

「まこ」

私の名は誠といいますが、兄はまこ、としか呼びませんでした。

「お前、大学行け」

「金ないやろ」

「兄ちゃんが親父代わりや。兄ちゃんが行かせたる」

兄は二十二でした。

住み込みの給金がいくらだったのか、私は今も知りません。

ただ、その年から兄は独立して、小さな仕事場を借りました。

借りたというより、潰れた表具屋の土間を、月三千円で使わせてもらっていたのだと、あとで聞きました。

私は仙台の大学に行き、そのまま東京の会社に入りました。

兄には、卒業式にも来てもらいませんでした。

来なくていい、と私が言ったのです。

理由は、覚えていません。

覚えていないふりを、三十年してきただけかもしれません。

私は上場した会社で、去年、課長になりました。

兄は自営で、従業員は兄嫁を入れて三人でした。

正月に帰るたび、兄の仕事場は同じ土間で、同じ蛍光灯が一本ぶら下がっていました。

兄は、小学校の将棋クラブに配る駒を、毎年作っていました。

一組三千円の、機械彫りに毛の生えたようなものです。

原価を割っている、と兄嫁がこぼしていたのを、私は聞いています。

私は一度、はっきり言ったことがあります。

「兄ちゃん、そういうのは、ようない」

「なにが」

「安売りしとったら、上の仕事が来んようになるやろ」

兄は手を止めませんでした。

「上の仕事は、来るときは来る」

その言い方が、その日の私には、負け惜しみに聞こえました。

私は東京へ帰る車の中で、兄を見下していました。

言葉にすれば、そういうことです。

何様なんだ、お前は。

いまはもう、そう自分を罵ることしかできません。

兄と最後に長く話したのは、六年前の春です。

母の三回忌でした。

法要が終わって、二人で駅前まで歩きました。

雪解けで、道の端に灰色の塊が残っていました。

兄が、ふいに立ち止まって言いました。

「まこ、体は大事にせえよ」

私は笑いました。

「兄ちゃんこそ、その手」

「手はええ。腹や」

私はそれを、太ったという冗談だと受け取りました。

兄は少し黙って、それから、いつもの調子に戻りました。

「東京の会社は忙しいんやろ」

「まあな」

「無理すな」

そのあと、私は新幹線の時間を気にして、駅の改札で別れました。

改札を抜けて振り返ったら、兄がまだそこに立っていました。

手を振るでもなく、ただ立って、こちらを見ていました。

私は軽く頭を下げて、そのまま階段を上がりました。

あのとき、兄はもう分かっていたのではないか。

そう思うのは、たぶん、私に都合のいい考え方です。

ただ、腹や、と言ったあの一言だけが、六年経った今日、急に重くなりました。

兄は、来るぞ、と言おうとしたのかもしれません。

そして、やめたのかもしれません。

私が目を逸らすと、分かっていたから。

今日、通夜の控室で、兄の弟子だという若い男に挨拶をされました。

まだ二十四だそうです。

三年前から、兄の仕事場にいたと言いました。

「弟さんですか」

「はい」

「親方から、聞いてました」

私は何を聞いていたのか、怖くて訊けませんでした。

その代わりに、どうでもいいことを訊きました。

兄は、どんな親方でしたか、と。

その若い男は、少し笑いました。

「怒鳴る人でした」

やっぱり、と私も笑いました。

「ただ」

そこで、男の顔から笑いが消えました。

「刃物を渡すときだけは、違いました」

「といいますと」

「印刀でも切り出しでも、渡す前に、必ず言うんです」

男は、兄の口真似をしました。

「来るぞ」

私の耳の奥で、公園の音が鳴りました。

カーブ、という、あの一声です。

「どういう意味なんですか」

私が訊くと、男は不思議そうな顔をしました。

「刃が来ると分かっとったら、目を逸らさんでしょう」

「逸らしたら」

「逸らしたら、指が要ります」

男はそう言って、自分の左の親指を見せました。

その付け根に、白い線が一本ありました。

「これは、言われとらんときのです」

私は控室を出て、廊下の突き当たりまで歩きました。

暗くて、ちょうどよかった。

兄が私にだけ球種を言っていたのは、自慢ではありませんでした。

変化球は、子どもには消えます。

消えたボールは、たいてい顔に来ます。

顔に当たれば、歯が折れます。

歯が折れれば、母が仕事を休みます。

母が仕事を休めば、その月の米が減ります。

中学二年の兄は、そこまで数えて、投げていたのです。

兄は、私に投げる球だけ、名前を言ってから投げていました。

それだけではありませんでした。

通夜のあと、兄嫁が桐の箱を持ってきました。

「誠さん、これ」

三十年前に兄がくれたのと、同じ形の箱でした。

「仕事場の抽斗に、入っとったんです」

開けると、歩が一枚入っていました。

裏を返すと、「と」の字。

木地はまだ新しく、漆の匂いが残っていました。

「これ、いつの」

「去年の秋です。私、彫っとるとこ見ました」

兄嫁は、袖で目を押さえながら言いました。

「あの人、毎年一枚、歩を彫っとりました」

「毎年」

「はい。まこが大学出た年から、毎年です」

私は、箱を持ったまま、しばらく動けませんでした。

兄嫁が続けました。

「なんで歩なんですかって、一度訊いたんです」

「なんて」

「歩だけや、裏があるのは、って」

私は、その意味が分かりませんでした。

分からないふりを、したかったのだと思います。

将棋の駒で、成って別の字になるものは、いくつもあります。

ただ、成って「金」と同じ働きになるのに、いちばん遠いところから来るのは、歩です。

一つずつしか進めない駒です。

兄は、母が入院した年に、初めて歩を彫ったのだそうです。

それも、兄嫁から聞きました。

病室のベッドで母と指すために、駒を一組作ろうとして、歩しか間に合わなかった。

そのとき、兄は母にこう言ったそうです。

「かあちゃん、うちはまだ歩や。けど、裏はあるんやで」

兄が小学校に配っていた三千円の駒のことも、分かりました。

あれは、天童の将棋クラブに配っていたのではありませんでした。

県内の、児童養護施設と、母子生活支援施設に配っていました。

兄嫁が名簿を見せてくれました。

十六年ぶんありました。

数えると、二百組を超えていました。

「原価割れやって、私、ずいぶん言うたんです」

兄嫁は、名簿の表紙を撫でながら言いました。

「そしたらあの人、上の仕事は来るときは来る、って」

その台詞を、私はどこで聞いたか、はっきり覚えていました。

あの正月、私が兄を見下した、あの土間です。

兄は、私に言い訳をしませんでした。

説明すれば、私は黙ったはずです。

黙らせないために、兄は説明しなかったのだと思います。

弟に頭を下げさせない。

それも、球種を言うのと、同じことでした。

棺の蓋は、まだ開いています。

兄の手を見ました。

まめの跡が、皮の下に二重に残っていました。

じいさんみたいや、と笑った、あの手です。

私は棺の縁に額をつけて、しばらくそのままでいました。

謝ろうと思ったのに、口から出たのは違うことでした。

兄ちゃん。

もう一度でいいから、カーブを投げてください。

今度は、言わなくていいです。

言わなくても、私は目を逸らしません。

四十六になりました。

もう、消える球は捕れないかもしれません。

それでも、追いかけて、走って戻ります。

あの公園で、日が暮れるまでそうしていたように。

私は、あなたの弟に生まれて、本当によかった。

兄嫁が、帰りぎわに一つだけ教えてくれました。

兄は、私が課長になったことを知っていたそうです。

去年の年賀状に、母の実家の伯母が書いてよこしたのだと言います。

それを読んだ晩、兄は仕事場で、いつもより長く電気を点けていました。

「うれしそうでした」

「そうですか」

「うれしそうやのに、電話はせんのです」

私は、その理由が分かる気がしました。

電話をすれば、私が何か気を遣うと思ったのでしょう。

あるいは、忙しいところに悪いと思ったのでしょう。

兄はいつも、こちらの手が空くのを待つ人でした。

待って、待って、間に合わなくなった。

それだけの話です。

翌朝、私は雪の中を歩いて、兄の仕事場へ行きました。

潰れた表具屋の土間は、三十年前と何も変わっていませんでした。

蛍光灯が一本、紐で吊ってあります。

作業台の上に、印刀が七本、刃を向こうにして並んでいました。

刃を向こうに向けて置くのは、人に渡すときに柄が先に来るようにするためだと、弟子の彼が教えてくれました。

「親方が、いちばんうるさかったのが、これです」

「並べ方が」

「はい。夜、帰る前に必ず直しとりました」

私は、その七本をしばらく見ていました。

兄はたぶん、四十年間、刃を人のほうへ向けたことがなかったのだと思います。

公園でも、病室でも、この土間でも。

いつも、柄のほうを先に、こちらへ差し出していた。

そのことに、私は今日まで一度も気づきませんでした。

作業台の隅に、古いグローブが置いてありました。

革が硬くなって、指の部分が反り返っていました。

私が小学四年のときに買ってもらった、あのグローブです。

私は、東京へ出るときに捨てたはずでした。

捨てたつもりで、実家の物置に放り込んだのだと思います。

兄が、それをここまで持ってきていました。

手に取ると、油の匂いがしました。

硬いはずの革が、少しだけ、しなりました。

誰かが、揉んでいたということです。

明日の葬儀のあと、私は東京へ戻ります。

戻る前に、あの土間へ寄るつもりです。

兄嫁が、仕事場を畳むかどうか迷っていると言っていました。

あの若い弟子は、続けたいそうです。

続けさせてやりたいと、私は思っています。

私に何ができるのか、まだ分かりません。

ただ、二百組の名簿は、途切れさせたくない。

兄が十六年かけて一つずつ進めた駒を、ここで止めるわけにはいきません。

桐の箱は、鞄の内側に入れて持って帰ります。

会社の机の抽斗に置くつもりです。

疲れた日に、裏を返して見ます。

あの下手な兄が、表よりも上手に彫った、たった一字を。

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