いま、通夜の最中です。
控室の襖を閉めると、線香の匂いと、外の雪の匂いが半分ずつ入ってきます。
兄が亡くなりました。
四つ上でしたから、四十でした。
胃でした。
見つかったときには、もう手の打ちようがなかったそうです。
そうです、というのは、私が最後に兄と長く話したのが、六年も前だからです。
私は東京から、始発の新幹線と在来線を乗り継いで帰ってきました。
山形の駅を降りたら、雪が横に降っていました。
この降り方を、私は二十年以上忘れていました。
※
私の家は母子家庭でした。
父は私が三つのときにいなくなり、母は縫製の内職と、駅前の蕎麦屋の仕込みで、私たち二人を育てました。
母の手は、いつも指の先だけが硬くなっていました。
ですから、私に初めて野球を教えてくれたのは、父ではなく兄でした。
兄は中学二年、私は小学四年でした。
グローブは、兄が新聞配達をして貯めた金で買ってくれたものです。
安いものでした。
革が硬くて、閉じるのに両手が要りました。
それを、兄は毎晩、風呂上がりに油を塗って揉んでくれました。
「あと十日で閉じるようになる」
兄はそう言って、本当に十日で閉じるようにしてしまいました。
いま思えば、あれは職人の手つきでした。
※
私たちは、家の裏の、天童の公園でキャッチボールをしました。
将棋の駒の形をした石碑が立っている、あの公園です。
天童は駒の町です。
子どものころ、家の近所を歩けば、どこかの家から必ず、木を彫る音がしていました。
兄は中学生のくせに、小学生の私に本気で投げました。
取れないと怒鳴りました。
「なんで捕らんのや」
「見えんかった」
「見えんことあるか。目ぇ開いとけ」
ひどい兄でした。
ただ、変化球だけは違いました。
「カーブ!」
投げる前に、兄は必ず一声かけました。
そして、私に向かってきたボールは、手前で私の視界から消えました。
本当に消えるのです。
足元でぽんと跳ねて、私の後ろまで転がっていきました。
私は毎回それを追いかけて、走って戻りました。
私の中では、兄は江夏よりも堀内よりも上の投手でした。
日が暮れて、ボールの白が見えなくなるまで投げました。
母が呼びに来るまで、やめませんでした。
※
あるとき、私は妙なことに気づきました。
兄は、他の誰に投げるときも、球種を言わなかったのです。
公園に同級生がいて、その子と投げるときは、黙って投げていました。
私にだけ、カーブ、と言っていました。
子どもの私は、それを自慢だと思いました。
言っても捕れんやろう、という自慢。
兄はそういう嫌な奴だから、と、勝手に納得していました。
その納得は、三十年もちました。
母が倒れたのは、私が小学六年の秋でした。
蕎麦屋の仕込みの最中に、流しの前で崩れるように座りこんだそうです。
入院は三か月に及びました。
そのあいだ、私と兄は二人で暮らしました。
兄は高校一年でした。
朝、新聞を配って、学校へ行って、夕方また配って、帰ってきて飯を炊きました。
飯は毎日、少し芯が残っていました。
「兄ちゃん、これ硬い」
「文句あるなら自分で炊け」
そう言いながら、翌日には水を多めにしていました。
四日目に、飯はちゃんと炊けるようになりました。
ちゃんと炊けるようになった日から、兄は自分の茶碗の量を減らしました。
私は気づいていましたが、言いませんでした。
言えば、兄が怒鳴ると分かっていたからです。
週末は、二人でバスに乗って病院へ行きました。
母のベッドは、窓際から二つめでした。
母は、私たちが来ると必ず、髪を撫でつけてから起き上がりました。
その仕草が、いまも目に残っています。
病室では、することがありません。
兄が、どこからか折り畳みの将棋盤を持ってきました。
駒は、木地屋の端材でこしらえた粗末なものでした。
字は、鉛筆で書いてありました。
「なんや、書いただけか」
私が言うと、兄は黙って、歩を一枚だけ、私の前に置きました。
その一枚だけ、字が彫ってありました。
不格好で、線が震えていて、漆も入っていませんでした。
それでも、彫ってありました。
母が、それを摘まみ上げて、裏を返しました。
「と」の字が入っていました。
母は何も言わず、しばらくそれを見ていました。
看護師さんが検温に来て、母は慌てて駒を握りこみました。
握りこんだまま、体温計を挟んでいました。
その三か月で、兄の手には最初のまめができました。
私は、それを知りませんでした。
兄が私に手を見せたのは、あの正月が初めてだったからです。
※
兄は高校を出ると、天童の駒師の家に住み込みで入りました。
駒師というのは、将棋の駒を彫る職人のことです。
木地に文字を彫って、漆を入れて、盛り上げる。
一組の駒を仕上げるのに、上のものだと何か月もかかります。
入って三年目の正月に、兄が家に帰ってきました。
兄の指は、まめが潰れて、また潰れて、皮が二重になっていました。
私は当時中学生で、それを見てへらへらと笑いました。
「兄ちゃん、その手、じいさんみたいや」
兄は何も言わず、鞄から小さな桐の箱を出しました。
中に、駒が一枚だけ入っていました。
歩でした。
「なんで一枚だけ」
「一枚しか、まともに彫れとらん」
そう言って、兄は箱を私に押しつけました。
裏返すと、「と」の字が入っていました。
その「と」は、表の「歩兵」より、明らかに上手でした。
裏のほうが上手いのは、おかしな話です。
私はそのことを、そのときは何とも思いませんでした。
※
私が高校三年になった夏、兄が家に来て、母と何か話していました。
襖の向こうで、母が低い声で、いいから、いいから、と繰り返していました。
その晩、兄が私を呼びました。
「まこ」
私の名は誠といいますが、兄はまこ、としか呼びませんでした。
「お前、大学行け」
「金ないやろ」
「兄ちゃんが親父代わりや。兄ちゃんが行かせたる」
兄は二十二でした。
住み込みの給金がいくらだったのか、私は今も知りません。
ただ、その年から兄は独立して、小さな仕事場を借りました。
借りたというより、潰れた表具屋の土間を、月三千円で使わせてもらっていたのだと、あとで聞きました。
私は仙台の大学に行き、そのまま東京の会社に入りました。
兄には、卒業式にも来てもらいませんでした。
来なくていい、と私が言ったのです。
理由は、覚えていません。
覚えていないふりを、三十年してきただけかもしれません。
※
私は上場した会社で、去年、課長になりました。
兄は自営で、従業員は兄嫁を入れて三人でした。
正月に帰るたび、兄の仕事場は同じ土間で、同じ蛍光灯が一本ぶら下がっていました。
兄は、小学校の将棋クラブに配る駒を、毎年作っていました。
一組三千円の、機械彫りに毛の生えたようなものです。
原価を割っている、と兄嫁がこぼしていたのを、私は聞いています。
私は一度、はっきり言ったことがあります。
「兄ちゃん、そういうのは、ようない」
「なにが」
「安売りしとったら、上の仕事が来んようになるやろ」
兄は手を止めませんでした。
「上の仕事は、来るときは来る」
その言い方が、その日の私には、負け惜しみに聞こえました。
私は東京へ帰る車の中で、兄を見下していました。
言葉にすれば、そういうことです。
何様なんだ、お前は。
いまはもう、そう自分を罵ることしかできません。
兄と最後に長く話したのは、六年前の春です。
母の三回忌でした。
法要が終わって、二人で駅前まで歩きました。
雪解けで、道の端に灰色の塊が残っていました。
兄が、ふいに立ち止まって言いました。
「まこ、体は大事にせえよ」
私は笑いました。
「兄ちゃんこそ、その手」
「手はええ。腹や」
私はそれを、太ったという冗談だと受け取りました。
兄は少し黙って、それから、いつもの調子に戻りました。
「東京の会社は忙しいんやろ」
「まあな」
「無理すな」
そのあと、私は新幹線の時間を気にして、駅の改札で別れました。
改札を抜けて振り返ったら、兄がまだそこに立っていました。
手を振るでもなく、ただ立って、こちらを見ていました。
私は軽く頭を下げて、そのまま階段を上がりました。
あのとき、兄はもう分かっていたのではないか。
そう思うのは、たぶん、私に都合のいい考え方です。
ただ、腹や、と言ったあの一言だけが、六年経った今日、急に重くなりました。
兄は、来るぞ、と言おうとしたのかもしれません。
そして、やめたのかもしれません。
私が目を逸らすと、分かっていたから。
※
今日、通夜の控室で、兄の弟子だという若い男に挨拶をされました。
まだ二十四だそうです。
三年前から、兄の仕事場にいたと言いました。
「弟さんですか」
「はい」
「親方から、聞いてました」
私は何を聞いていたのか、怖くて訊けませんでした。
その代わりに、どうでもいいことを訊きました。
兄は、どんな親方でしたか、と。
その若い男は、少し笑いました。
「怒鳴る人でした」
やっぱり、と私も笑いました。
「ただ」
そこで、男の顔から笑いが消えました。
「刃物を渡すときだけは、違いました」
「といいますと」
「印刀でも切り出しでも、渡す前に、必ず言うんです」
男は、兄の口真似をしました。
「来るぞ」
私の耳の奥で、公園の音が鳴りました。
カーブ、という、あの一声です。
「どういう意味なんですか」
私が訊くと、男は不思議そうな顔をしました。
「刃が来ると分かっとったら、目を逸らさんでしょう」
「逸らしたら」
「逸らしたら、指が要ります」
男はそう言って、自分の左の親指を見せました。
その付け根に、白い線が一本ありました。
「これは、言われとらんときのです」
※
私は控室を出て、廊下の突き当たりまで歩きました。
暗くて、ちょうどよかった。
兄が私にだけ球種を言っていたのは、自慢ではありませんでした。
変化球は、子どもには消えます。
消えたボールは、たいてい顔に来ます。
顔に当たれば、歯が折れます。
歯が折れれば、母が仕事を休みます。
母が仕事を休めば、その月の米が減ります。
中学二年の兄は、そこまで数えて、投げていたのです。
兄は、私に投げる球だけ、名前を言ってから投げていました。
※
それだけではありませんでした。
通夜のあと、兄嫁が桐の箱を持ってきました。
「誠さん、これ」
三十年前に兄がくれたのと、同じ形の箱でした。
「仕事場の抽斗に、入っとったんです」
開けると、歩が一枚入っていました。
裏を返すと、「と」の字。
木地はまだ新しく、漆の匂いが残っていました。
「これ、いつの」
「去年の秋です。私、彫っとるとこ見ました」
兄嫁は、袖で目を押さえながら言いました。
「あの人、毎年一枚、歩を彫っとりました」
「毎年」
「はい。まこが大学出た年から、毎年です」
私は、箱を持ったまま、しばらく動けませんでした。
兄嫁が続けました。
「なんで歩なんですかって、一度訊いたんです」
「なんて」
「歩だけや、裏があるのは、って」
私は、その意味が分かりませんでした。
分からないふりを、したかったのだと思います。
将棋の駒で、成って別の字になるものは、いくつもあります。
ただ、成って「金」と同じ働きになるのに、いちばん遠いところから来るのは、歩です。
一つずつしか進めない駒です。
兄は、母が入院した年に、初めて歩を彫ったのだそうです。
それも、兄嫁から聞きました。
病室のベッドで母と指すために、駒を一組作ろうとして、歩しか間に合わなかった。
そのとき、兄は母にこう言ったそうです。
「かあちゃん、うちはまだ歩や。けど、裏はあるんやで」
※
兄が小学校に配っていた三千円の駒のことも、分かりました。
あれは、天童の将棋クラブに配っていたのではありませんでした。
県内の、児童養護施設と、母子生活支援施設に配っていました。
兄嫁が名簿を見せてくれました。
十六年ぶんありました。
数えると、二百組を超えていました。
「原価割れやって、私、ずいぶん言うたんです」
兄嫁は、名簿の表紙を撫でながら言いました。
「そしたらあの人、上の仕事は来るときは来る、って」
その台詞を、私はどこで聞いたか、はっきり覚えていました。
あの正月、私が兄を見下した、あの土間です。
兄は、私に言い訳をしませんでした。
説明すれば、私は黙ったはずです。
黙らせないために、兄は説明しなかったのだと思います。
弟に頭を下げさせない。
それも、球種を言うのと、同じことでした。
※
棺の蓋は、まだ開いています。
兄の手を見ました。
まめの跡が、皮の下に二重に残っていました。
じいさんみたいや、と笑った、あの手です。
私は棺の縁に額をつけて、しばらくそのままでいました。
謝ろうと思ったのに、口から出たのは違うことでした。
兄ちゃん。
もう一度でいいから、カーブを投げてください。
今度は、言わなくていいです。
言わなくても、私は目を逸らしません。
四十六になりました。
もう、消える球は捕れないかもしれません。
それでも、追いかけて、走って戻ります。
あの公園で、日が暮れるまでそうしていたように。
私は、あなたの弟に生まれて、本当によかった。
兄嫁が、帰りぎわに一つだけ教えてくれました。
兄は、私が課長になったことを知っていたそうです。
去年の年賀状に、母の実家の伯母が書いてよこしたのだと言います。
それを読んだ晩、兄は仕事場で、いつもより長く電気を点けていました。
「うれしそうでした」
「そうですか」
「うれしそうやのに、電話はせんのです」
私は、その理由が分かる気がしました。
電話をすれば、私が何か気を遣うと思ったのでしょう。
あるいは、忙しいところに悪いと思ったのでしょう。
兄はいつも、こちらの手が空くのを待つ人でした。
待って、待って、間に合わなくなった。
それだけの話です。
※
翌朝、私は雪の中を歩いて、兄の仕事場へ行きました。
潰れた表具屋の土間は、三十年前と何も変わっていませんでした。
蛍光灯が一本、紐で吊ってあります。
作業台の上に、印刀が七本、刃を向こうにして並んでいました。
刃を向こうに向けて置くのは、人に渡すときに柄が先に来るようにするためだと、弟子の彼が教えてくれました。
「親方が、いちばんうるさかったのが、これです」
「並べ方が」
「はい。夜、帰る前に必ず直しとりました」
私は、その七本をしばらく見ていました。
兄はたぶん、四十年間、刃を人のほうへ向けたことがなかったのだと思います。
公園でも、病室でも、この土間でも。
いつも、柄のほうを先に、こちらへ差し出していた。
そのことに、私は今日まで一度も気づきませんでした。
作業台の隅に、古いグローブが置いてありました。
革が硬くなって、指の部分が反り返っていました。
私が小学四年のときに買ってもらった、あのグローブです。
私は、東京へ出るときに捨てたはずでした。
捨てたつもりで、実家の物置に放り込んだのだと思います。
兄が、それをここまで持ってきていました。
手に取ると、油の匂いがしました。
硬いはずの革が、少しだけ、しなりました。
誰かが、揉んでいたということです。
※
明日の葬儀のあと、私は東京へ戻ります。
戻る前に、あの土間へ寄るつもりです。
兄嫁が、仕事場を畳むかどうか迷っていると言っていました。
あの若い弟子は、続けたいそうです。
続けさせてやりたいと、私は思っています。
私に何ができるのか、まだ分かりません。
ただ、二百組の名簿は、途切れさせたくない。
兄が十六年かけて一つずつ進めた駒を、ここで止めるわけにはいきません。
桐の箱は、鞄の内側に入れて持って帰ります。
会社の机の抽斗に置くつもりです。
疲れた日に、裏を返して見ます。
あの下手な兄が、表よりも上手に彫った、たった一字を。