切ない勘違い

公開日: 悲しい話

赤ちゃんと母(フリー写真)

私は他の人よりちょっと多くの体験をしてきたと思います。

高校生の時、青信号で自転車で横断中、左折して来たトラックに真正面から撥ねられました。

自転車ごと跳ばされショックの中起き上がると、私の前に停めたトラックの運転席から顔を出したドライバーに助けられるどころか「危ないだろ!!」と、怒鳴られました。

その後、ボロボロの私はトボトボ家に向かっていると、片側通行止めのため停まっている先程のトラックを発見しナンバーを控え、無事捕まりました。

当日はショックで痛みは感じなかったのですが、次の朝は起き上がる事ができませんでした(全身打撲との診断)。

二十歳の時、お腹がじわじわと痛くなり、一晩眠れずに便秘だと思い込み、仕事へ行く前に薬局で下剤を買わなきゃなどと考えていると、朝方痛みで朦朧となり階段から転げ落ちました。

驚いた父親に病院に連れて行かれると腹膜炎を起こしており、原因は卵巣嚢腫。

お腹を縦に30センチも切りました。

卵巣は残しましたが、妊娠の可能性はほぼ無いとの診断でした。

22歳の時、子供は望めない事を承諾してくれた彼と結婚。

しかし、1年後に何と妊娠しました。

驚きと喜びで病院へ行くと、子宮外妊娠でもなく正常。「奇跡だね」と担当医も喜んでくれました。

まさか自分が親になれるなんて、彼を父親にできるなんて!

二人で泣いて喜びました。

しかし…子宮がんの検査に引っかかり、最初は担当医も体調で出る事があるけどほぼ再検査したら大丈夫だからと言われ一安心。

ですが、事態はどんどん悪化します。3度の検査をして、子宮がんでした。

がん細胞が多すぎて、一番ひどい皮膚を採取できているかどうかも分からない。

その時、妊娠3ヶ月。

「このままあと7ヶ月子供が生まれるまで放って置いたら、あなたの身体がどうなるか分かりません。

すぐに子供をおろして手術することをお勧めします」

まさに天国から地獄…。

結果、担当医や家族と何度も何度も話し合いの結果、流産を覚悟した上で、部分麻酔で手術中何度も病理検査をしながら、子宮の入り口を取れるところまで取ってもらい、元気な女の子を無事出産。

術後予定していた抗がん剤治療もなく、何事もなかったかのように普通の母親になることができました。

命に関わるような事はこの3つですが、他にも小さい外科の手術は2つ受けています。

でも、痛い思いはするものの私はとっても元気です。

私は何て運が良いのだろう。何があっても絶対神様が助けてくれる。

なんて恵まれているのか…。

と、ずっと思ってい生きて来ました。

ところがある日、ある人に

「何て不幸な人生なの!普通そんな経験、その若さでありえない。よく頑張ったね」

と言われ唖然…。

運が良いんじゃなくて、悪かったのかと、初めて気付きました。

関連記事

青い花(フリー写真)

ママの棺

この間、1歳半の息子を連れて友人の家へ行った時に、友人の祖母から聞いた話です。 ※ 友人がちょうど1歳半の時、お母さんが癌になったそうです。 気付いた時にはもう手遅れで、一ヶ…

カップルの影

残された日記

二年間付き合っていた彼に、突然別れを告げられました。 それは、彼の口から出たとは思えないほど酷い言葉で、心が引き裂かれるような別れでした。 どれだけ「まだ好きだ」と伝えて…

夏の部屋(フリー写真)

残された兄妹

3年前、金融屋をやっていたんだけど、その年の夏の話。 いつものように追い込みを掛けに行ったら、親はとっくに消えていたんだけど、子供が二人置いて行かれていた。 5歳と3歳。上…

ドクター(フリー写真)

思いやりのある若者

本当は書くべきじゃないのかも知れないが、久々に堪らない思いになった。 一応、医者の端くれとして働いている。 こういう生業だから、人の死に接する機会は少なくない。 少し…

手作りハンバーグ(フリー写真)

最後の味

私が8歳で、弟が5歳の頃の話です。 当時、母が病気で入院してしまい、父が単身赴任中であることから、私達は父方の祖母の家に預けられていました。 母や私達を嫌っていた祖母は、…

ベランダの洗濯バサミ

君たちがいた家

嫁と娘が、ひと月前に亡くなった。 交通事故だった。車は大破。単独事故だったらしい。 その知らせを受けたのは、出張先の根室にいたときだった。 何とかして帰ろうとしたが…

親子

失ってもなお、愛している

家内を亡くしました。 お腹には、二人目の子どもがいました。 その日、彼女は病院へ向かうため、タクシーに乗っていました。けれど途中で、居眠り運転のトラックと正面衝突。あまり…

ラムネ

愛する人への別れ

彼女は完璧な存在だった。その可愛らしさ、スタイル、そして性格。俺は彼女に一目惚れした。 彼女も同じように感じてくれた。彼女からの告白で付き合うことになり、俺は幸せだった。 …

教室

ごめんね、お母さん

高校時代の俺は、授業が終わればいつも一人で小説を読んでいた。 別に特別な理由があったわけじゃない。ただ、他にやることがなかっただけだ。 教室の喧騒の中で、物語の世界に逃げ…

父(フリー写真)

父と私と、ときどきおじさん

私が幼稚園、年少から年長頃の話である。 私には母と父が居り、3人暮らしであった。 今でも記憶にある、3人でのお風呂が幸せな家族の思い出であった。 父との思い出に、近…