おにぎりをくれた女の子

いまも瀬戸内の港町を通りかかると、潮の匂いに混じって、あの形のいびつなおにぎりの味がよみがえります。味付けも具も何もない、ただ握っただけの白いおにぎりです。けれど私は、あれよりおいしいものを、後にも先にも食べたことがありません。

もう二十数年も前のことになります。私はその港町の古い文化住宅で、一人暮らしをしていました。

故郷を離れ、たった一人で見知らぬ町に出てきたばかりの私にとって、その文化住宅の隣人たちは、ささやかな家族のような存在でした。とりわけ、隣の小さな女の子の笑顔は、孤独な若者の心を、知らず知らずのうちに支えてくれていたのだと思います。

近くの造船所で働く駆け出しの工員で、給料は安く、財布の中身はいつも心もとないものでした。それでも若さだけはあって、無いなら無いなりに、なんとか食べてはいけたのです。

木造二階建ての文化住宅は、廊下も洗濯場も共同でした。夏は潮風が、冬は隙間風が、遠慮なく薄い壁の向こうまで入り込んできます。

壁が薄いぶん、隣の暮らしの音は筒抜けでした。茶碗の触れ合う音、咳き込む声、小さな足音。私はそれを聞くともなく聞きながら、毎晩疲れて眠りに落ちていました。

造船所での仕事は重労働で、夕方になると体じゅうが鉄と油の匂いに染まっていました。それでも、坂の上の銭湯で汗を流し、文化住宅の軋む階段を上るとき、私はまだ二十歳そこそこの自分の暮らしを、それなりに気に入っていたのです。

給料日前になると、米だけを炊いて、醤油をたらして食べてしのぎました。若かったので、それでも腹はふくれましたし、明日への不安など、まるで感じていませんでした。

私の隣の部屋には、五十がらみの寡黙なお父さんと、小学二年生の女の子が二人で暮らしていました。

お父さんは元は漁師だったそうですが、胸を悪くして船を降り、いまはほとんど外に出られない様子でした。すれ違えば会釈を交わす程度で、声を聞いたことはほとんどありません。

ただ一度だけ、私が階段で転びかけたとき、後ろから「気をつけて」と低い声をかけてくれたことがありました。穏やかで、芯のある声でした。悪い人ではないのだと、その一言で分かりました。

けれど娘のさよちゃんは、人懐っこい子でした。私が仕事から帰ると、よく共同の洗濯場で小さな手を真っ赤にして、洗い物をしていました。

「お兄ちゃん、おかえり」

そう言ってにっこり笑う顔が、薄暗い廊下をぱっと明るくするのです。一日の疲れが、その笑顔で少しだけほどけるのを、私はいつも楽しみにしていました。

洗い物をする彼女の手は、いつもあかぎれだらけでした。それでも、私が「冷たくないの?」と聞くと、さよちゃんは「平気だよ。あたし、お姉さんだもん」と胸を張るのです。下に弟や妹がいるわけでもないのに、彼女はいつも、誰かのお姉さんでいようとしているように見えました。

さよちゃんとは、洗濯場でよく言葉を交わすようになりました。

彼女は浜辺で拾った貝殻を、宝物のように大事にしていました。窓辺に錆びた小さな缶を置いて、桜貝やタカラガイを、色や大きさごとにきれいに並べているのです。

「これはね、お母さんがいちばん好きだった貝なの」

「お母さんは?」

そう尋ねると、さよちゃんは少しだけ目を伏せて、「遠くにいるの」と答えました。それ以上は聞いてはいけない気がして、私は黙って、その小さな桜貝を眺めました。

ある日、彼女は得意げに、いちばん大きなタカラガイを私の手のひらにのせてくれました。「お兄ちゃんにあげる。お守りだよ」と言って。

私はそのつるりとした貝を、いまでも机の引き出しにしまっています。耳に当てると、いまでもあの港の潮騒が聞こえる気がするのです。

夏祭りの晩には、さよちゃんは浴衣を着て、廊下で得意げにくるりと回ってみせました。少し丈の合わない、けれど丁寧に繕われた浴衣でした。「お父さんがね、お母さんの浴衣を直してくれたの」と、彼女は誇らしそうに言いました。

私は屋台で買った綿あめを半分わけてやりました。さよちゃんは「甘い」と目を細め、残りを大事そうに紙に包んで、「お父さんにも持って帰る」と言いました。自分の楽しみより先に、いつもお父さんのことを考える子でした。

さよちゃんは、お父さんの世話を、健気にこなしていました。小さな体で買い物かごを提げて坂道を上り、洗濯をし、薬の時間になるとお父さんに水を運んでいるようでした。

近所の魚屋のおばさんが、ときどき売れ残りのアラを、こっそり彼女に持たせてくれているのも見かけました。さよちゃんは、それを両手で大事そうに抱えて帰っていきました。

台風の近づいた晩のことです。激しい雨が文化住宅の屋根を叩き、古い建物がみしみしと鳴っていました。私は壁の向こうで、さよちゃんがお父さんに何かを読んで聞かせている声を聞きました。

たどたどしい、けれど一生懸命な声でした。絵本でも読んでいたのでしょうか。お父さんの低い相づちが、ときどき混じります。嵐の夜の、その小さな声のやり取りは、いまも私の胸の奥に、温かい灯のように残っています。

ある夕方、私が銭湯帰りに廊下を歩いていると、さよちゃんが部屋の前にしゃがんで、潮騒に耳を澄ませていました。

「お兄ちゃん、海の音、聞こえる?」

「聞こえるよ。今日は静かだね」

「お父さんがね、元気になったら、また船に乗せてくれるんだって。朝日が昇るところを、海の上から見せてくれるって。だから、はやく元気になってほしいな」

その横顔があまりに澄んでいて、私は何と言葉を返せばいいのか分かりませんでした。ただ、彼女の小さな頭を、そっと撫でることしかできませんでした。

そして、ぽつりとこう付け足しました。「でもね、お父さん、咳がなかなか止まらないの。お薬、もう少しなんだ」

その声には、子どもらしからぬ、静かな影がよぎっていました。けれど次の瞬間には、もういつもの笑顔に戻って、私を見上げていました。

「お兄ちゃんも、いっしょに乗る?」

「うん、乗りたいな。三人で行こう」

「ほんと? 約束だよ。お父さんが元気になったら、絶対だよ」

その『絶対』という言葉に、いまでも胸を締めつけられます。彼女は、来るはずの明日を、何ひとつ疑っていなかったのです。

そう約束すると、さよちゃんは指切りをせがみました。私の小指に絡んだ彼女の指は、驚くほど細く、そして冷たかったのを覚えています。

いま思えば、あの頃すでに、隣の部屋の暮らしは、静かに行き詰まっていたのかもしれません。

けれどさよちゃんはいつも笑っていて、私はその笑顔の奥にあるものに、まるで気づいていませんでした。気づこうとしなかった、と言うほうが、正しいのかもしれません。

ある日の夕暮れ時のことです。

仕事から帰った私が洗濯場でさよちゃんと話していると、不意に私のお腹が、情けないほど大きな音で鳴りました。

「あれ? お兄ちゃん、お腹空いてるの?」

「まあね。今日は給料日前で、お米くらいしかないんだ」

私が照れ笑いを浮かべてそう言うと、さよちゃんは「ちょっと待ってて」と言って、ぱたぱたと部屋に駆け込んでいきました。

台所で何かを探すような物音と、小さく米をよそうような気配がしました。引き出しを開け閉めする音が、いやに長く続いたのを、いまになって思い返します。あのとき彼女は、わずかに残った米を、どうやって分けようか、迷っていたのかもしれません。

しばらくして戻ってきた彼女の手には、形のいびつな、小さなおにぎりが握られていました。両手で包むように、大事そうに持っています。

「はい。あたしが握ったの。お塩、入ってないけど、ごめんね」

ほんのり温かいそのおにぎりを、私は「ありがとう」と言って、その場で口に運びました。

味も具も何もない、ただの白いおにぎりでした。けれど、子どもの小さな手で一生懸命握ったその塩気のない米は、不思議なほど胸に沁みました。

「おいしい?」

彼女は、私の顔をのぞき込むように、じっと見上げていました。

「うん。すごくおいしい。こんなにおいしいおにぎり、初めて食べたよ。ごちそうさま」

さよちゃんは、その言葉を聞いて、心の底から嬉しそうに笑いました。まるで、自分が褒められたことより、私が満たされたことのほうが、ずっと嬉しいというように。

それから、彼女と顔を合わせない日が続きました。

私は『風邪でも引いたのかな』と思う程度で、深くは気に留めませんでした。仕事の納期が立て込んでいて、隣の部屋の物音にまで、気を回す余裕がなかったのです。

いま振り返れば、その数日のあいだに、壁の向こうの音は、確かに少なくなっていました。茶碗の音も、小さな足音も。けれど私は、それにすら気づきませんでした。

一度だけ、夜中に、壁の向こうですすり泣くような声を聞いた気がしました。けれど、疲れていた私は、夢うつつのまま、また眠りに落ちてしまったのです。あの声が現実だったのか、いまでも分かりません。分からないまま、それは私の悔いとして残りました。

数日後、仕事を終えて文化住宅へ帰ると、建物の前に救急車が停まっていました。

赤い回転灯が、暮れかけた路地を、不穏に染め上げています。胸の奥が、ざわりと波立ちました。

近所の人たちが遠巻きに集まるなか、私は大家さんを見つけて尋ねました。

「何があったんですか」

大家さんは顔をしかめ、吐き捨てるように言いました。

「無理心中だよ。隣の親子だ。まったく、こんなところで死ななくてもいいだろうに」

頭が真っ白になりました。隣の親子、というのは、さよちゃんの部屋のことです。

つい数日前、私においしいおにぎりを握ってくれた、あの子の部屋です。指切りをして、朝日を見る約束をした、あの子の。

嘘だと思いたくて、私は人垣をかき分け、玄関のほうへ近づこうとしました。けれど近所の人に肩を押さえられ、それ以上は進めませんでした。

名前を呼ぼうとしても、喉の奥が貼りついて、声になりませんでした。

ただ、彼女のあの明るい「お兄ちゃん、おかえり」が、もう二度と聞けないのだということだけが、現実として重くのしかかってきました。

やがて救急隊員が、担架を運び出してきました。

一つ目の担架には、大人の体が横たわっていました。顔まで毛布がかけられ、すでに息のないことを、その静けさが物語っていました。

そして二つ目の担架を見たとき、私は息ができなくなりました。

そこに横たわる体は、あまりに小さかったのです。子ども。まさか。さよちゃん。

毛布の下から、見覚えのある小さな運動靴が、わずかにのぞいていました。彼女がいつも、洗濯場で履いていた靴でした。

私はその場に立ち尽くしたまま、声をあげることも、足を踏み出すこともできませんでした。

救急車が走り去ったあとも、赤い光の残像が、まぶたの裏でいつまでも明滅していました。

その夜、私は何度も隣の壁に手を当てました。もう温もりも、物音も、何ひとつ返ってはきません。ほんの数日前まで、あんなに賑やかだった小さな暮らしが、まるで初めから無かったかのように、消えてしまったのです。

翌朝、空っぽになった隣の部屋の窓辺に、あの錆びた缶が置き去りにされているのが、廊下から見えました。誰も取りにこない桜貝が、朝日を受けて、淡く光っていました。

後から聞いた話では、お父さんは胸の病でもう働けず、ガスも水道も、とうに止められていたそうです。

最後に電気が止められる日、事情を聞きに来た市役所の職員と大家さんが訪ねて、すべてが明らかになったのだといいます。

部屋には、米はおろか、食べるものが何ひとつ残されていませんでした。窓辺の缶の中で、桜貝だけが、いつものように静かに並んでいたそうです。

お父さんは、病で働けなくなってからも、ずいぶん長いあいだ、娘を守ろうと踏ん張っていたのだと思います。けれど、頼れる身寄りもなく、追い詰められていったのでしょう。誰かが一歩、踏み込んでいれば。そう思わずにはいられませんでした。

私もまた、隣に住みながら、何も気づかなかった一人でした。壁一枚を隔てただけの距離にいながら、私はあの親子の暮らしを、本当には何も見ていなかったのです。

その晩、私は自分の部屋で、灯りもつけずに、ひとり膝を抱えていました。

壁の向こうからは、もう、何の音も聞こえてきません。

『あれ? お兄ちゃん、お腹空いてるの?』

あの日の、さよちゃんの声が、何度も何度も耳の奥でこだましました。

あのとき、彼女の部屋には、もう食べるものはほとんど残っていなかったのではないでしょうか。

たまたまお腹を空かせていた私を見て、可哀想に思って、自分たちの最後のひと握りの米を、あの小さな手で握ってくれたのではないでしょうか。

自分の食べる分さえ、なかったかもしれないのに。

そう思った瞬間、こらえていた涙が、堰を切ったようにあふれ出しました。やるせなくて、悔しくて、ただただ涙が止まりませんでした。

私はなぜ、あのおにぎりを、何の疑いもなく食べてしまったのだろう。

なぜ、あの笑顔の奥にあるものに、気づいてやれなかったのだろう。

もし気づいていれば、何かできたかもしれないのに。せめて、温かいごはんの一杯くらい、隣の部屋に届けられたかもしれないのに。

いくら悔やんでも、もう、彼女に「ありがとう」を言い直すことはできません。指切りをした、あの朝日を見る約束も、永遠に果たせないままになりました。

その後、私は間を置かずにその文化住宅を引っ越しました。あの洗濯場を見るのが、つらくてたまらなかったのです。

けれど、どれだけ時が経っても、あのいびつなおにぎりの味だけは、忘れることができませんでした。むしろ歳を重ねるほどに、その味は、私の中で深く、確かなものになっていきました。あれは、人の心がいちばん美しい形で結晶した、ひと握りだったのだと、いまの私には思えるのです。

いま私は、休みの日に、地域の子ども食堂の手伝いをしています。

お腹を空かせた子どもに、温かいごはんをよそうたびに、私はさよちゃんのことを思い出します。

あの子がくれた塩気のないおにぎりが、いまも私に、人にごはんを差し出すことの意味を、教え続けてくれているのです。

自分のいちばん大切なものを、何のためらいもなく差し出せる。あんなにまっすぐなやさしさを、私はあの小さな女の子から教わりました。

子ども食堂で、おかわりをよそった器を満面の笑みで受け取る子を見ると、私はいつも、さよちゃんの『おいしい?』という、あの問いかけを思い出します。あの子は、人が満たされる顔を見るのが、何より好きな子でした。

だから私は、誰かに温かいものを手渡すたびに、心のどこかで、あの子にも一杯のごはんを届けているような気持ちになるのです。せめてもの、二十数年越しの『いただきます』のつもりで。

窓辺の桜貝も、潮騒に耳を澄ませた小さな背中も、もうそこにはありません。それでも、潮の匂いを嗅ぐたびに、私はあの笑顔に「ごちそうさま」と、心の中でそっと手を合わせます。

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