ごめんね、お母さん

公開日: 悲しい話

教室

高校時代の俺は、授業が終わればいつも一人で小説を読んでいた。

別に特別な理由があったわけじゃない。ただ、他にやることがなかっただけだ。

教室の喧騒の中で、物語の世界に逃げ込む時間が、唯一の安らぎだった。

ある日のこと。

体育の授業を終え、汗を拭きながら教室に戻ると、妙な空気が流れていた。

皆が、俺を見ている。

男子も女子も、どこか戸惑ったような、気まずそうな顔で。

何が起きたのかと自分の席を見ると、そこには……切り裂かれた小説が無惨に置かれていた。

俺が読みかけていた、あの小説だった。

表紙は引き裂かれ、ページはバラバラに引きちぎられ、文字は所々にインクで塗り潰されていた。

一瞬、何が起きたのかわからなかった。

でも、すぐに理解してしまった。これは、俺への“メッセージ”なんだと。

気付いたら俺は、一言も発せずに、黙って机の上の紙片を拾い集めていた。

周りの視線なんて気にならなかった。というより、何も見えていなかった。

ただ、こみ上げてくる涙が止まらなかった。

俺には友達がいない。

話しかけてくる人もいないし、俺からも誰かに話しかけたことはなかった。

そんな俺のことを、きっとお母さんは心のどこかでわかっていたんだと思う。

月に一度、「これ、面白そうだったから」と言って、小説を一冊プレゼントしてくれた。

俺の趣味を考えながら、一生懸命選んでくれていたのだと、すぐに分かった。

読み終えた後には必ず「どうだった?」と感想を聞いてくれる。

それは、お母さんなりのやさしさで、俺に向けた精一杯の愛情だった。

だからこそ、今回のことは悔しかった。

お母さんがくれた、たった一つの宝物が、俺のせいで壊されてしまったことが、何よりも辛かった。

嫌われているのは、俺自身。

その俺が持っていたから、小説はこんな目に遭ってしまった。

お母さんが、心を込めて選んでくれたその本が。

涙を拭いながら、俺は心の中で何度も繰り返した。

――ごめんね、お母さん。

俺がもっと違う人間だったら、こんなことにはならなかったのに。

折角、大切に選んでくれた本なのに、守れなくて、ごめんね。

本当に、ごめん。

その日の夜、お母さんに何も言えなかった。

でも次の日、食卓の上には新しい小説が一冊置いてあった。

その背表紙を見て、俺はまた涙が止まらなくなった。

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