傷跡を越えて

カップル

私は生まれながらに足に大きな痣があり、それが自分自身でもとても嫌いでした。その上、小学生の時に不注意で熱湯をひっくり返し、両足に深刻な火傷を負いました。痕は治療を重ねましたが、完全には消えず、小学生では全身麻酔を受けられないため手術は選択肢にありませんでした。

その痕は日常生活に多くの制限をもたらしました。直射日光は避け、プールや体育の授業も困難でした。スカートをはくと痣や火傷の痕が見えるため、周囲からは冷ややかな目で見られることが多く、心無い言葉を投げかけられることも少なくありませんでした。

そのため、私は学校以外ではあまり外に出なくなり、自分の肌は真っ白で、それがまた他人から不気味に思われる原因となっていました。

高校になってからは、地元を離れ、私を知らない人々と接するようになりました。そこで初めて、私を知らない人との出会いがあり、やがて恋に落ちました。しかし、痣や火傷の痕については彼に言えずにいました。

付き合って半年が経過した頃、彼は「そろそろいいかな…」と、私の痣や痕を見ることになりました。私は拒否することなく、彼に全てを委ねました。彼は初めて私の痕を見たとき少し驚きましたが、すぐに「辛かったでしょうね」と言って優しく撫でてくれました。私の肌には感覚がないのに、彼は愛情を込めて何度も撫で続けました。

その夜、私は生まれつきの痣、火傷の事故、そしてそれまでの辛かった経験をすべて彼に話しました。「気持ち悪いよね、引くよね…?」と尋ねると、彼は「なわけないだろ!」と笑って答えました。彼はさらに、「生まれつきのものなんて、俺にもある。このわがままな性格とかな。そんなの誰にでもあるだろう」と言って笑いました。

私はこれまで、自分が誰かに全てを受け入れられるとは思ってもみませんでした。しかし、彼とのその夜、愛とは自分の全てを受け入れてくれること、そして相手の全てを受け入れることの素晴らしさを知りました。愛とは、互いの痕を越えて、お互いを深く理解し、受け入れることなのだと心から感じました。

関連記事

教室

厳しさの中の優しさ

十五年以上前の話です。当時、小学6年生だった私のクラスに、A君という友達がいました。彼は父親がおらず、生活も苦しそうで、いつも古びた服を着て、新しい上履きも買えずにいました。給食費や…

手を繋ぐ母と娘(フリー写真)

最高のママ

もう十年も前の話。 妻が他界して一年が経った頃、当時八歳の娘と三歳の息子がいた。 妻がいなくなったことをまだ理解出来ないでいる息子に対し、私はどう接してやれば良いのか、父親…

カップルと夕日(フリー写真)

国境と愛

彼女と俺は同じ大学だった。二人とも無事四年生になってすぐの4月、連日のように中国での反日デモがニュース番組を賑わしていた頃のこと。 中国人の彼女とはどうしても険悪なムードになるか…

バー

最後のショットバー

20歳の誕生日、姉は私を雰囲気の良いショットバーに連れて行ってくれた。初めてのバー体験に圧倒されている私を見て、姉は「緊張してんの? 何か子供の頃のアンタみたい」と笑いながら、彼女が…

空の太陽(フリー写真)

祖父が立てた誓い

三年前に死んだ祖父は、末期癌になっても一切治療を拒み、医者や看護婦が顔を歪めるほどの苦痛に耐えながら死んだ。 体中に癌が転移し、せめて痛みを和らげる治療(非延命)をと、息子(父)…

廃墟

神戸からの少女

2年前、旅行先の駐屯地祭での出来事です。 例によって、特定の市民団体が来場し、場の雰囲気が少し重たくなっていました。そのとき、女子高生と思しき一人の少女がその団体に向かって歩い…

ラグビー場(フリー写真)

ラグビーと恩師

私は高校時代に万引きをして、人生観が変わりました。 中学から好きだった野球を続ける為に、有名な強豪校に希望して入りました。 しかしボールを触らせて貰えず、毎日ボール拾いばか…

妊婦さんのお腹(フリー写真)

皆からもらった命

母は元々体が弱く、月に一回定期検診を受けていた。 そこで、私が出来たことも発覚したらしい。 母の体が弱いせいか、私は本来赤ちゃんが居なくてはいけない所に居らず、危ない状態だ…

桜(フリー写真)

地元の友だち

話は遡ること3年前。 桜が開花し始めた頃、俺は自殺を考えていた。 大した理由ではないが、失恋、借金や勤めていた会社が倒産した事が重なり、全てに失望していた。 コミュニ…

会津慈母大観音像

母が綴った愛のかたち

俺の母方のばあちゃんは、いつもニコニコしていて、とてもかわいらしい人だった。 生んだ子供は四姉妹。 娘たちがみんな嫁いでからは、じいちゃんと二人で穏やかな日々を過ごしてい…