一番大切な人
当時21歳の私と倫子は、その日ちょっとしたことで喧嘩をしてしまった。
明らかに私が悪い理由で。
普段なら隣同士で寝るのに、この日は一つの部屋で少し離れて寝た。
※
1995年1月17日の朝、大きな揺れがあった。
あまりに大きな揺れに慌てている間に、凄い音と共に屋根などが崩れてきた。
運良く私も倫子も無事だった。
しかし、お互いを確認するのは声だけだった。
二人の間には大きな瓦礫の壁があった。
私は窓に近い側に居たので、隣近所の方が瓦礫を少しどけてくれて、自力で出ることができた。
私は倫子を助けるために近所の方と力を合わせて、4人がかりで瓦礫をどけようと必死だった。
倫子は、
「真っ暗で怖いけど、私は大丈夫だから」
と叫んでいた。
1時間か2時間か、時計も無く判らなかったが、ある程度作業が進んだ。
これなら助かると思った。
しかしその時、周りの人が
「隣の家から火の手が上がっている」
と言った。
隣の家はこちらに傾いていた。
危険だと周りは言った。
皆、ピッチを上げて作業をした。
しかしその時、隣の家が崩れてきた。
私も周りも、その場から反射的に離れた。
そう、見捨ててしまった。
※
どのくらいその場に居たのか分からない。
ずっとその場にへたり込んで座っていた。
「消防はどうして来てくれなかったんだ」
「神はどうしてこのようなことをするのか」
「瓦礫をどけ始めた時にもっと上手くやっていれば、助かったんじゃないのか」
「見捨ててしまった………」
「どうして自分も死ななかったのか」
こんな言葉が頭をずっと巡っていた。
周りは、仕方が無かったんだと言った。
気に病むな…と…。
そんなこと、できるはずがないことは周りも分かっていただろう。
私はその言葉を聞いてから、ずっと泣いていた。
※
後日、瓦礫の山から倫子の骨だけが見つかった。
たった1.5メートルの距離の差だった。
たった1.5メートルの距離の差が『一番大切な人』を失う距離だった。
16日に喧嘩したことが、
素直でなかった私が、
最も失ってはならない『大切な人』を失う結果にしたのだ。
喧嘩をしていなければ、二人とも助かったかもしれない。
そうでなかったとしても、倫子を一人にすることは無かった。
そして、見捨てることも…。
私は1995年1月16日に戻りたい。
そして君と一緒に居たい。
※
阪神大震災。
経験をしていない人にとっては解らないことだと思う。
しかしそれは仕方が無いことだとも思う。
ただ、これから1月17日に阪神大震災の話題が出た時に、
「今更…」
とは言って欲しくない。
そういったことがあったことを知っておいてほしい。
そして今、恋愛をしている人に。
あなたは大切な人を手放さないで下さい。
今すぐにでも謝れることなら、すぐに謝ってください。
後から後悔しても、全て戻って来ないのですから。