路地に立てかけられた板

路地に立てかけられた板

軒下に、板が一枚ずつ

七十四になって、私は絵の教室に通いはじめました。

和歌山の湯浅という、醤油の蔵が並ぶ小さな町です。

木造の蔵が続く一帯があって、そこだけ道が急に細くなります。

夏の午後にその路地へ入ると、匂いで分かります。

醤油というのは、外から嗅ぐと、思っているよりずっと甘い匂いがするのです。

麹の匂いと、日に焼けた板塀の匂いが混ざって、鼻の奥のほうに残ります。

教室は路地の突き当たりの、元は麹室だったという建物の二階にありました。

週に一度、水彩を習っています。

夫を見送って三年目に、近所の方に誘われて始めました。

絵を描きたかったわけではありません。

週に一度、外に出る用事が欲しかっただけです。

その路地を歩きはじめて、しばらくして気づいたことがありました。

その路地の家々の軒下には、たたんだ板が一枚ずつ、立てかけてありました。

幅が三十センチほどの、古い板です。

蜜柑箱を解いたような、薄くて軽そうな板でした。

どの家も、雨戸の脇か、勝手口の横に、必ず一枚あります。

私は、蔵の町だから何かの道具なのだろうと思っていました。

板の下のほうが、どれも少し濡れて黒くなっていることには、気づいていませんでした。

※

教室の先生は、私より十ほど下の女の方です。

初日に「何を描きたいですか」と聞かれて、私は答えられませんでした。

描きたいものなど、ひとつもなかったのです。

先生は少し考えて、こう言いました。

「じゃあ、今週いちばん長く見たものを描いてください」

その週、私がいちばん長く見ていたのは、台所の急須でした。

夫が入院してから、お茶を二人ぶん淹れる癖が抜けなくて、毎朝、余ったほうの湯呑みを見ていたのです。

急須の絵は、ひどいものでした。

注ぎ口が曲がって、蓋が浮いていました。

それでも先生は、絵を裏返して、日付だけ書き込んでくれました。

「上手より、覚えているほうが大事です」

その日から、私は毎週なにかしら描くようになりました。

絵の腕は上がりませんでしたが、家を出る理由は増えました。

※

夏の路地は、朝と昼で音が違います。

朝は箒の音と、蔵の戸を開ける重い音がします。

昼は、蝉と、どこかの家の換気扇の音だけになります。

板塀に触ると、日の当たっている面は熱くて、影の面は驚くほど冷たいのです。

指を当てると、そのあいだの境目がはっきり分かります。

この町の夏は、そういう境目が多い夏です。

あの日の三十七度も、日陰に入れば急に息が楽になりました。

だから私は油断したのだと思います。

※

あの日は、三十七度ありました

七月の終わりの、暑い日でした。

朝の天気予報で、三十七度になると言っていました。

それでも私は出かけました。

休んでしまうと、次の週も休みたくなるからです。

教室まで、家から歩いて二十分ほどです。

途中の路地に、石の腰掛けがあります。

蔵の角の、大きな踏み石を横に倒したような、低い石です。

昔は荷を積み下ろしするときに使ったのだと、教室の先生に聞きました。

その日は、その石まで来たところで、少し休まないと危ないと思いました。

目の前が白くなるような暑さでした。

白いズボンをはいていたので、石にそのまま座るのがためらわれました。

私は、鞄から小さなスケッチブックを出して、石の上に置きました。

茶色い表紙の、手のひらより少し大きいくらいのものです。

その上に腰を下ろして、五分ほど休みました。

蔵の壁が日陰を作っていて、そこだけ風が通りました。

どこかで、蚊取り線香の匂いがしていました。

私は立ち上がって、そのまま教室へ歩いていきました。

敷いたことを、すっかり忘れていたのです。

※

一時間後の、白いもの

気づいたのは、教室に着いて、道具を出そうとしたときでした。

鞄の中にスケッチブックがありません。

あれは、亡くなった夫が最後に買ってくれたものでした。

買ってくれた、というほど大げさなものでもありません。

入院中に、売店で買ってきてほしいと頼まれた品を届けたとき、ついでに自分用にと選んだのを、夫が財布を出して払ったのです。

五百円ほどのものです。

それでも、私にとっては五百円ではありませんでした。

中には、下手な写生が二十枚ほど描いてあります。

台所の急須。

庭の南天。

夫が使っていた眼鏡を、一度だけ描きました。

私は先生に断って、教室を出ました。

先生は、暑いから車で送ると言ってくださいましたが、私は歩きました。

歩かないと、落ち着かなかったのです。

路地に戻るまでに、一時間近くかかりました。

途中で二度、日陰に立ち止まりました。

もう無いだろうと思っていました。

誰かが捨てたか、風で飛ばされたか、そのどちらかだと。

角を曲がって、石の腰掛けが見えたとき、私は足を止めました。

石の上に、白いものがありました。

茶色ではなく、白でした。

近づいてみると、スケッチブックが白いビニール袋に入れられて、きちんと石の真ん中に置いてありました。

袋の口は、下に折り込んでありました。

結んではありません。

折り込んであるだけです。

そして、その上に、たたんだ板が一枚、屋根のようにかけてありました。

※

あの一時間の帰り道のことを、もう少し書いておきます。

教室を出たとき、私はもう諦めていました。

諦めていたのに、足だけが路地へ向かうのです。

途中に、古い郵便ポストの立っている角があります。

そこで一度、私は立ち止まりました。

諦めた顔で戻って、無かったと確かめてしまえば、それで終わります。

確かめなければ、まだどこかにあることになります。

年寄りは、そういうずるい考え方をします。

私は五分ほど、ポストの影に立っていました。

アスファルトから、熱が足の裏に上がってきました。

夫が入院していたころ、私は病院の廊下でも同じことをしていました。

病室の戸に手をかけて、開けるまでに何秒か置くのです。

開けてしまえば、その日の容態が分かってしまいます。

開けないでいるあいだだけ、昨日と同じでいられました。

あの癖が、三年経っても抜けていませんでした。

結局、私は歩きだしました。

夫なら「早う行け」と言うと思ったからです。

せっかちな人でした。

角を曲がって、白いものが見えたとき、私は声を出しました。

誰もいない路地で、七十四の女が「ああ」と声を出したのです。

恥ずかしい話ですが、そのときの自分の声を、いまでも覚えています。

※

その日は、雨など一滴も降っていませんでした。

それなのに、袋と板がかけてあったのです。

私はしばらく、石の前に立っていました。

それから、袋の口をそっと開けて、中を見ました。

スケッチブックは、乾いていました。

誰かがめくった様子もありません。

ページの端の折れ方が、私が折ったままでした。

中を見なかったのだ、と思ったとき、涙が出ました。

暑さのせいだと自分に言い聞かせて、手ぬぐいで顔を拭きました。

拭いても、しばらく止まりませんでした。

※

「わしゃ、何もしとらん」

その路地を毎朝掃いている方がいます。

森さんという、八十を過ぎた男の方です。

先代まで樽屋をしていた家の方だと聞きました。

夏でも長袖のシャツを着て、七時前から竹箒で掃いておられます。

私は翌週、菓子折りを持って森さんの家を訪ねました。

森さんは耳が遠くて、話が半分ほどしか通じません。

「先週、石の上に置き忘れたものを」

「石?」

「はい、あの角の」

「石は動かんよ」

そういう調子でした。

三度ほど言い直して、やっと通じたとき、森さんは首を横に振りました。

「わしゃ、何もしとらん」

私は、謙遜されているのだと思いました。

菓子折りを置いて帰ろうとすると、森さんは玄関先まで出てきて、こう言いました。

「板は、かかっとったか」

「はい。板が、屋根みたいに」

森さんは、それを聞いて、少しだけ笑いました。

「そんなら、ええわ」

それだけでした。

※

森さんとの話は、いつもうまく噛み合いません。

あの日も、こんな調子でした。

「森さん、ありがとうございました」

「あんた、養子か」

「ありがとう、です」

「ああ、ありがとうか」

森さんは大きくうなずいて、それから真顔で言いました。

「そりゃ、こっちの台詞じゃ」

意味が分からなくて、私は聞き返しました。

森さんは、路地のほうを見て言いました。

「あそこに座る人が、もうおらんようになってな」

あの石の腰掛けは、昔は荷を待つ人が座る場所だったのだそうです。

いまは誰も荷を担いで運びません。

座る人がいなくなった石を、森さんは四十年、毎朝拭いていました。

拭いても、誰も座らない石です。

そこに私が座ったのだと、森さんは言いました。

白いズボンで、スケッチブックを敷いて。

「ありゃあ、ええもん見た」

私は、自分がしていたことの意味を、そのとき初めて知りました。

忘れ物をした側が礼を言いに行って、置き忘れられた側から礼を言われたのです。

※

板は、自分の家のためではなかった

本当のことが分かったのは、その年の秋です。

蔵の直売所で働いている、辻本さんという若い方に聞きました。

三十そこそこの、背の高い人です。

「あれ、僕です」

そう言われて、私は驚きました。

辻本さんは、休憩に外へ出たときに、石の上のスケッチブックを見つけたのだそうです。

「森のじいちゃんが、先に見つけとったんですよ」

森さんは、それを見て、袋を取りに家へ戻ろうとしました。

けれど、その日は暑さで足がもつれて、途中の塀に手をついたのだそうです。

それを見た辻本さんが、走って袋を取ってきました。

「じいちゃんが、口は結ぶなって」

「結ぶな、ですか」

「結んだら、開けたときに、持ち主が中を見られたと思うから、って」

私は、その場で言葉が出ませんでした。

そして辻本さんは、板のことも教えてくれました。

板は、自分の家のために立ててあるのではありませんでした。

この路地では、昔から、蔵から蔵へ荷を運ぶ途中で雨が来ることがありました。

樽も、麹も、濡らすわけにいきません。

だから各家が、他人の荷にかけるための板を、一枚ずつ軒下に出しておく決まりだったのだそうです。

自分の家の荷にかけるのなら、家の中にしまっておけばよいのです。

外に立ててあるのは、誰でも黙って持っていってよい、という印でした。

板の下が黒く濡れていたのは、何度も使われた跡だったのです。

※

辻本さんは、続けてこんなことも言いました。

「あの袋、うちの店の袋なんですよ」

直売所で醤油の瓶を包むための、少し厚手の白い袋です。

店の名前が入っているのですが、辻本さんはわざわざ裏返して使ったのだそうです。

「名前が入っとると、お礼を言いに来ないかんでしょう」

来られたら困る、というのではありません。

来なければならない気持ちにさせるのが、申し訳ないのだそうです。

「じいちゃんが、そういうの、うるさいんですよ」

私は結局、菓子折りを持って森さんの家に行きました。

行かなくてもよかったのだと、いまなら分かります。

けれど、行ったから、森さんの奥さんの話を聞くことができました。

気を遣わせないためのやり方が、かえって人を近づけることもあるのだと思います。

※

やり方だけが、残る

森さんが四十年、あの路地を掃いてきた理由も、辻本さんから聞きました。

森さんの奥さんのトキさんは、いまは施設におられます。

若いころ、その方も絵を描く人でした。

一度、描きかけの絵を路地に置き忘れて、夕立で駄目にしたことがあるそうです。

森さんはそれから、雨が来そうな日は、路地に置いてあるものすべてに板をかけて回るようになりました。

四十年です。

四十年やっていると、それは町のやり方になります。

辻本さんは、森さんの奥さんのことを知りません。

絵のことも、夕立のことも知らずに、ただ「森のじいちゃんがいつもやりよるから」という理由で走ったのです。

理由を知らないまま、やり方だけが渡っていきました。

あの袋をかけたのは、森さんではなく、森さんのやり方でした。

※

私はそのあと、施設のトキさんに会いに行きました。

森さんの付き添いです。

トキさんは、私のことは分からないようでした。

それでも、私がスケッチブックを見せると、指でページの端をつまんで、めくろうとしました。

森さんが、隣で小さく言いました。

「絵を見る人の手つきじゃ」

耳の遠い人が、あんなに小さな声で言うのを、私は初めて聞きました。

帰りの車の中で、森さんはひとことも喋りませんでした。

施設の駐車場を出るとき、フロントガラスに雨粒が二つ、三つと当たりました。

森さんは、それを見て言いました。

「あんた、板は出しとるか」

私は、出していませんでした。

その日のうちに、蜜柑箱を解いて、勝手口の横に一枚立てかけました。

※

施設のトキさんは、絵のことをほとんど覚えておられませんでした。

それでも、指先だけが覚えていました。

ページの角を、親指と人差し指で軽くつまんで、静かに持ち上げるのです。

絵を描く人は、紙を大切に扱います。

爪を立てません。

私も教室で、先生に何度も直された持ち方でした。

帰り際、トキさんは私の手を握って、こう言いました。

「濡れとらんね」

それだけでした。

何のことを言われたのか、私には分かりませんでした。

森さんは、車に乗ってから、窓の外を見たまま言いました。

「あれが、あの人の口癖じゃった」

雨の日に帰ってきた家族に、まずそう言う人だったのだそうです。

大丈夫かでもなく、風邪をひくよでもなく、濡れとらんね、と。

四十年、板をかけて回っていた人の家では、そういう言葉が玄関に置いてあったのです。

私は、返す言葉がありませんでした。

ただ、膝の上のスケッチブックを、少しだけ強く持ち直しました。

※

今年の夏のこと

それから四年になります。

私はいまも同じ教室に通っています。

絵は、四年前とたいして変わりません。

南天と急須ばかり描いています。

変わったのは、路地を歩く速さくらいです。

今年の夏、あの石の腰掛けの上に、子ども用の水筒が置き忘れてありました。

私は家まで戻って、袋と板を持ってきました。

袋の口は、結びませんでした。

折り込むだけにしました。

板をかけて、少し離れたところから振り返ると、それは前に自分が見たものと同じ形をしていました。

夕方、教室の帰りに通ると、水筒はなくなっていました。

袋と板は、石の脇にきちんとたたんで置いてありました。

誰が持って帰ったのか、私は知りません。

知らなくていいのだと思います。

名前も知らないおじさんとの約束の話を読んだとき、私はこの路地のことを思い出しました。

名前を知らないまま続いていくものが、世の中には案外たくさんあります。

※

森さんは、去年の暮れに箒を置きました。

膝が悪くなって、もう長くは立てないのだそうです。

いまは辻本さんが、朝の路地を掃いています。

掃き方が、少しだけ雑です。

森さんは縁側からそれを見ていて、時々「そこ、まだ残っとる」と言います。

辻本さんは「はいはい」と言いながら、ちゃんと掃き直します。

その様子を見ていると、私はいつも、あの白い袋のことを思い出します。

誰かが四十年やってきたことは、その人が立てなくなっても、なくなりません。

やり方だけが、先に歩いていくのです。

お盆のある日の話のように、いなくなった人が家の中に残していくものもありますが、この町の場合は、それが路地に残りました。

私の勝手口の板は、いまも黒く濡れたままです。

去年の秋に一度、誰かが持っていって、翌朝きちんと戻してありました。

誰だったのかは、聞いていません。

聞かないことも、この町のやり方のひとつなのだと思います。

あの日、石の上にスケッチブックを置き忘れた私は、ただ忘れっぽい年寄りでした。

けれどそのおかげで、私はこの路地の仕組みを知ることができました。

忘れ物をして、あんなに得をしたことは、後にも先にもありません。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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