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私たちには、一人の娘が授かりました。娘が小学校に上がった年、運動会の帰り道に、こんなことを言ったことがあります。今日、転んで泣いている子がいたから、自分のハンカチを貸してあげたのだ、と。妻は、何でもないことのようにうなずきながら、台所で、そっと目元をぬぐっていました。
その背中を見て、私は思いました。あの日、机の下で震えていた小さな手から始まった何かが、こうして、また次の手のひらへ受け渡されていくのだと。庇うということは、きっと、そうやって静かに続いていくものなのでしょう。
妻は今でも、洗い物をするときだけ、決まって蛇口を少しひねりすぎます。勢いのよすぎる水が、ステンレスのシンクの底を叩いて、高く澄んだ音を立てます。私はその音を聞くたびに、なぜか四十年も前の、あの蒸し暑い教室へ引き戻されてしまうのです。私たちがまだ十二歳だった、海辺の小さな港町での話です。
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彼女と出会ったのは、桜の花びらがすっかり散りきった、四月の終わりのことでした。転校生として教壇の前に立った彼女は、洗いざらしの制服のスカートの裾を、しきりに指先でつまんでいました。ほつれた糸が一本、頼りなく揺れていたのを、私は今でもはっきりと覚えています。
「父の仕事の都合で、この町に来ました。美津子といいます」
そう言ったきり、彼女は深くうつむいてしまいました。潮風で少し荒れた頬が、緊張のためか、うっすらと赤く染まっていました。窓の外では、銀色の海が午後の光を静かに跳ね返していました。
席は、教室のいちばん後ろ、廊下側の端に決まりました。その一つ前の席が、ちょうど私でした。だから私は、彼女の背中を、誰よりも近くで見ていたことになります。
美津子の家は、漁協の裏手にある古い長屋だと、誰かが小声で噂していました。父親が一人で彼女を育てていること、母親はもういないことも、子どもの世界では、あっという間に広まりました。それでも美津子は、そういう視線にいちいち傷つくそぶりを、決して見せませんでした。
ただ、給食のときだけは、誰よりも早く食べ終えて、空になった食器を音もなく重ねていました。おかわりの列に、彼女が並ぶ姿を、私は一度も見たことがありません。家でひもじい思いをしているのだろうと、子どもなりに、なんとなく察してはいました。
あるとき、私はなけなしの小遣いで買った当たりつきの飴を、わざと「当たった」と嘘をついて、もう一本を美津子に渡したことがありました。彼女は一瞬、私の顔をじっと見ました。たぶん、嘘だと気づいていたのだと思います。それでも何も言わずに、「ありがとう」と、その飴をていねいに半分に割って、片方を私の手に戻してくれました。甘ったるいその味を、私は今でも、はっきりと舌の先に思い出すことができます。
遠足を翌日に控えた日のことです。おやつをいくら分まで買っていいかという話で、教室がいつになく浮き立っていました。三百円だ、いや二百円までだと、みんなが声を張り上げて笑い合っていました。その輪の中で、美津子だけが机に目を落として、削りかけの鉛筆の先を、じっと見つめていました。私はそのうつむいた横顔から、しばらく目を離すことができませんでした。
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親しく口をきいた記憶は、数えるほどしかありません。ただ一度だけ、掃除の時間に、二人並んで雑巾を絞ったことがありました。バケツの水に手を浸すと、初夏だというのに、指の芯まで冷えました。
「冷たいね、この水」
私がそう言うと、美津子は少しだけ笑いました。
「うちは井戸水だから、もっと冷たいよ。冬なんて、手がちぎれそうになるの」
そのとき初めて、私は彼女の笑った顔を、まっすぐに見た気がしました。前歯が一本、生えかわったばかりで、子どもらしく欠けていました。その欠けた歯のことを、私はなぜか、誰にも言いたくないと思いました。美津子のことは、言葉にした途端に、どこかへ壊れて消えてしまう気がしたのです。
絞った雑巾を窓際に並べて干しながら、彼女がぽつりと言いました。
「転校、もう三回目なの。だから友だちは、あんまりつくらないって、決めてたんだ」
私は何と返していいか分からず、ただ「ふうん」とだけ答えました。けれどそのあと、美津子は海のほうを見たまま、「でも、ここは少しだけ好き」と、小さく付け足したのです。その横顔に、夕方の光がやわらかく差していたのを覚えています。
その日からです。私が、彼女の背中をそれとなく気にかけるようになったのは。誰かが彼女の家のことを陰で笑っていると、私はわけもなく腹が立ちました。けれどそれを、本人に伝える勇気は、まだどこにもありませんでした。
忘れられない日が、もう一つあります。九月のはじめ、大きな台風が町を直撃した日のことです。下校の時刻になっても雨はやまず、傘を持ってこなかった私は、昇降口で途方に暮れていました。横なぐりの雨が、灰色の海を白く泡立たせていました。
そこへ、美津子が古びたこうもり傘を差し出しました。骨が二本ほど折れ曲がった、彼女の父親のものらしい大きな傘でした。
「うち、すぐそこだから。途中まで、入っていきなよ」
私たちは一本の傘の下で、肩を濡らしながら、長屋の路地まで歩きました。傘を打つ雨の音が大きすぎて、ほとんど会話もできませんでした。けれど、その十分ほどの道のりを、私は今でも、子どものころのいちばん幸せな記憶の一つに数えています。別れぎわ、彼女は「風邪、ひかないでね」とだけ言って、薄暗い路地の奥へ、駆けていきました。
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あれは、梅雨の晴れ間の、ひどく蒸し暑い昼下がりのことでした。五時間目の理科の授業中、私はふと、すぐ後ろの気配がいつもと違うことに気づきました。そっと振り返ると、美津子が紙のように白い顔で、自分の机の下を、じっと見つめていました。
椅子の脚をつたって、床に小さな水たまりが、音もなく広がっていくところでした。体の弱かった彼女は、その日、どうしても我慢ができなかったのでしょう。一番後ろの端の席でしたから、まだ誰一人として、気づいてはいませんでした。
けれど、あと数秒もすれば、隣の列の誰かが、何かの拍子に振り向く。そうなれば、この狭い町で、美津子はもう、顔を上げて歩けなくなる。子どもながらに、私はそのことを、痛いほどはっきりと理解していました。スカートの裾を握りしめた彼女の指先が、小刻みに震えているのが見えました。
考えるよりも先に、私の体のほうが動いていました。私は理由も告げず、勢いよく椅子を蹴って立ち上がりました。そして、教室の後ろに置きっぱなしになっていた掃除用のバケツを、両手でつかんだのです。前の日の掃除の水が、捨てられないまま、なみなみと残っていました。
「先生、ちょっとこれ見てくださいよ!」
私はわざと大きな声を出しながら、自分の足を、ことさらにもつれさせました。バケツの水は、美津子と私の足元めがけて、盛大な音とともにぶちまけられました。床は一面、たちまち水浸しになりました。彼女のスカートの濡れも、その大きな水たまりの中に、すっかり溶けて、見えなくなりました。
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教室は、一瞬で蜂の巣をつついたような騒ぎになりました。
「お前、いったい何をやっているんだ!」
先生の怒鳴り声が、頭の真上から降ってきました。私はわざとへらへらと笑って、濡れた雑巾を頭の上で振り回してみせました。ふざけてバケツを倒した、どうしようもない悪ふざけの子。クラスのみんなの目に、私はそう映ったはずです。何人かが、あいつはバカだと囃し立てて笑いました。
その笑い声のいちばん隅で、美津子だけが、唇を強く噛んで、こちらをじっと見ていました。何か言いたげに開きかけた口を、彼女はすぐに、固く結び直しました。私はその目を見ないように、わざと、ふざけ続けました。
放課後、私は職員室の前の廊下に、一人で立たされました。やがて、勤め先を早退してきた母が、青ざめた顔で駆けつけました。
「どうして、こんなことをしたの」
先生に何度問い詰められても、私はとうとう何も言いませんでした。本当のことを言えば、美津子のことを、みんなの前で話すことになるからです。それだけは、どうしてもできませんでした。
叱られているあいだ、私はずっと、ひとつのことだけを考えていました。教室を出ていくとき、振り返らなくてよかった、ということです。もし美津子の顔を見てしまったら、私はきっと、こらえきれずに、本当のことを口走っていたでしょう。だから、わざと足を速めて、誰とも目を合わせずに、廊下へ出たのです。冷たい水で濡れた靴下が、一歩ごとに、ぐちゅりと不快な音を立てていました。
母は、相手の先生に、何度も何度も頭を下げていました。その丸めた背中を見ているのは、冷たい水を頭からかぶったことよりも、ずっと、ずっとつらいことでした。それでも私は、最後まで口を割りませんでした。
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家へ帰る一本道は、夕焼けで真っ赤に染まっていました。乾ききらない制服が、潮風に吹かれて、ひやりと肌に張りつきました。情けなさと心細さで、足取りはひどく重いものでした。
玄関の引き戸を開けると、薄暗い土間に、小さな影が二つ立っていました。一つは美津子で、もう一つは、彼女の父親らしい、背の高い人でした。日に焼けて節くれだった、ひと目で漁師と分かる手を、その人は膝の上で固く握っていました。
「うちの娘が、本当のことを、全部話してくれました」
父親は、そう言って、腰が折れそうなほど深く頭を下げました。
「坊やには、お礼の言いようも、ありません。本当に、ありがとうございました」
美津子は、泣きはらして真っ赤になった目で私を見て、それからまた、下を向きました。
「……ありがとう」
蚊の鳴くような、けれど確かに私の胸の奥まで届く声でした。私は、なんと答えていいのか分からず、ただ「うん」とだけ、ぶっきらぼうに返しました。奥の台所では、事情を聞いた母が、割烹着の袖でそっと目元を拭っていました。
その夜の食卓に、母はなぜか、いつもより一品だけ多く、おかずを並べてくれました。叱る言葉は、最後まで一つもありませんでした。私はその沈黙を、生まれて初めて、誇らしいもののように感じました。
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それからの私たちが、特別に仲良くなったわけではありません。むしろ、お互いに照れくささが先に立って、前よりも口数が減ったくらいでした。廊下ですれ違うと、どちらからともなく、ほんの少しだけ、目で笑う。私たちの間には、長いあいだ、それだけの、けれど確かな距離がありました。
夏が終わるころ、彼女の父親が、母の勤め先まで、その日に獲れたという魚を届けに来たことがありました。新聞紙にくるまれた、まだ硬く張った鯵でした。母はその晩、塩を振ってていねいに焼き、骨まで残さず食べました。「いい人たちだね」と、母はぽつりと言いました。私は黙ってうなずきました。
私は黙ってうなずきながら、本当のことは、母にも、生涯言わずにおこうと心に決めました。あれは私と美津子だけの、二人きりの秘密にしておきたかったのです。
やがて私は隣町の高校へ進み、美津子とは、自然と会わなくなりました。彼女が看護師になったらしいと風の便りに聞いたのは、二十歳を過ぎた、ある冬のことでした。
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再会したのは、入院した祖母を見舞いに行った、あの港町の小さな病院でした。消毒液の匂いのする廊下の向こうから歩いてくる白衣の人が、私の前で、ふと足を止めました。
「もしかして……あのときの」
大人になった美津子が、あの日と同じように、ほんの少しだけ笑いました。前歯はもう、きれいに揃っていました。けれど、笑ったときの目尻のやわらかさは、十二歳のあの日のままでした。
「あのバケツの水、本当に冷たかったでしょう」
彼女がそう言って、いたずらっぽく小首をかしげました。
「忘れたよ、そんなこと」
私は、そう嘘をつきました。本当は、あの水の冷たさを、一日だって忘れたことはなかったのに。それから私たちは、病院の中庭のベンチで、日が傾くまで、長い長い話をしました。空白だった年月が、潮が満ちるように、静かに埋まっていきました。
父親はもう亡くなったのだと、彼女は静かに話しました。彼女が看護学校に通うあいだ、無理を重ねて漁に出続け、体を壊したのだそうです。
「最後まで、坊やには会えてよかったって、父はよく言ってたの。あなたがうちに来てくれた、あの夕方のことを」
私は、節くれだったあの手のことを思い出して、しばらく何も言えませんでした。あの日、土間で深く折られた背中が、ずっと私たちを見守ってくれていたような気がしました。
「私が看護師になったのもね、あの日のことが、どこかにあったんだと思う」
美津子は、中庭の夕日に目を細めながら、そう言いました。誰かのために、理由も言わずに動ける人になりたかったのだと。
別れぎわ、彼女は言いました。
「あのとき、ありがとうって、ちゃんと言えてなかった気がして。ずっと、心残りだったの」
「もう、十分すぎるくらい聞いたよ」
私がそう答えると、美津子はまた、あの欠けた歯の子どものように、くしゃりと笑いました。
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それから二年後、私たちは、ささやかな式を挙げました。媒酌人もいない、親族だけの、小さな祝言でした。披露宴の代わりに、二人で、潮の引いた夕暮れの海辺を歩きました。裸足の足の裏に、濡れた砂がひんやりと吸いついてきました。
「ねえ、どうしてあのとき、何も言わなかったの」
美津子が、寄せては返す波の音にまぎれるように、そっと尋ねました。私は、ずいぶん長いあいだ考えてから、ようやく答えました。
「言わなくても、君が分かってくれていると、思っていたから」
美津子は、こらえきれずに、その場で泣き出してしまいました。頬を伝って落ちたその涙は、あの日の水たまりよりも、ずっと、ずっと温かいものでした。私は彼女の手をそっと握りました。あの日、机の下で震えていた指先を、もう一度、確かめるように。
波打ち際で、彼女は不意にしゃがみこんで、濡れた砂に何か書きました。私の名前と、自分の名前でした。次の波が来て、それはすぐに消えてしまいました。「消えちゃった」と笑う彼女に、私は言いました。「また書けばいい。何度でも」。美津子はうなずいて、もう一度、同じ二つの名前を、砂の上に並べて書きました。
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妻は今でも、洗い物をするときだけ、決まって蛇口を少しひねりすぎます。私はその高く澄んだ水音を聞くたびに、つい台所をのぞきに行ってしまいます。流れる水の向こうに、あの蒸し暑い教室と、机の下をじっと見つめていた、十二歳の彼女が、まだ立っている気がするのです。
庇ったつもりが、本当はずっと、私のほうが彼女に庇われ続けてきたのかもしれません。この澄んだ水の音が聞こえるかぎり、私はきっと何度でも、あの蒸し暑い日の教室へ、帰っていくのでしょう。