またあなたの子供になりたい

公開日: 家族 | 心温まる話 |

親子の手

私が6歳のとき、父が再婚し、新しい母親がやって来ました。

「今日からこの人がお前のお母さんだ」と父が紹介したその日から、彼女は私を本当の子供のように可愛がってくれました。

何年か後、父が事故で亡くなり、その後の私たちの生活について家族で話し合いが行われました。

双方の親が私を引き取ろうとしましたが、義母が「この子は私の子です」と強く主張しました。

義母は必死で働き、私を育ててくれました。

高校3年生のとき、私は進学せず就職しようと決心していましたが、義母は「大学に行きなさい」と背中を押してくれました。

大学を卒業し、社会人になった私は、義母への感謝を込めてプレゼントを贈りました。

30歳の手前で結婚し、義母は私たちの新生活を喜んでくれましたが、同居は断られました。

後に義母が倒れ、私たちは同居することになりました。

幸い孫の顔も見せることができ、義母は幸せそうでした。

しかし、先月義母はくも膜下出血で亡くなりました。

通夜で妻が義母の過去を話してくれ、私は初めて義母の全てを理解しました。

義母は子供が産めない体だったが、父の「俺たちには子供がいるじゃないか」というプロポーズを涙ながらに受け入れました。

その話を聞いて、私の涙は止まりませんでした。

義母、あなたは私にとって本当の母です。

父にはあなたを誉めてほしい。

私はまたあなたの子供になりたい。本当にありがとう。

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