八月一日の朝、田口さんはいつもより四十分早く来る。
私がタイムカードを押しに行くころには、受付の窓口にもう白い手袋が二つ、指先を揃えて置かれている。
十四年、一度も欠かしたことがない。
そう教えてくれた先輩は、理由までは知らなかった。
訊いた人がいないのだ。
訊けない、という言い方のほうが近いかもしれない。
田口さんは受付の嘱託で、六十八歳で、朝は必ず庁舎の前の道を竹箒で掃く。
私はこの町へ嫁いで五年になるけれど、田口さんが自分のことを話すのを聞いたことがない。
ひとつだけ、癖を知っている。
受話器を上げると、名乗る前に必ず、小さな咳払いをひとつした。
喉の奥で、こと、と鳴るような音だった。
「風邪ですか」と最初の年に訊いたら、田口さんは笑って、「若いころに声を使いすぎてね」とだけ言った。
それきりだった。
※
私が勤めているのは、飛騨の谷にある小さな消防本部の総務課だ。
高原川という川が、山と山のあいだを、細く長く縫っている。
夏はよく雨が降る。
山の斜面が水を吸って重くなると、年寄りたちは玄関の戸を開けたまま眠る。
逃げるときに、戸を開ける手間が惜しいからだ。
そういうことを、私はここへ来てから覚えた。
この土地に馴染めずにいた最初の冬、私は庁舎の玄関の前で滑って転んだ。
書類を撒き散らして、恥ずかしくて、しばらく立てなかった。
田口さんは、笑いもせず、走り寄りもしなかった。
竹箒を置いて、私の落とした紙を一枚ずつ拾い、順番を揃えて、それから手を差し出した。
「先に紙を拾うのは、あんたが立ってから見られたくないやろと思うたで」
翌朝から、玄関の前には砂がまかれるようになった。
誰が言ったわけでもない。
三月の終わりまで、毎朝まかれていた。
その冬から、私はこの町を、少しだけ好きになった。
八月一日は、うちの本部の「ふれあいデー」だった。
はしご車を庁舎の前に出して、子どもをかごに乗せて、三十メートル上まで持ち上げる。
放水体験と、煙のなかを歩く体験と、婦人会の豚汁が出る。
それだけの、のんびりした催しだ。
その日だけ、田口さんは白い手袋をはめて門に立つ。
ふだんは軍手なのに、その日だけは白なのだと、これも先輩に教わった。
「あの人、ラジオ体操の鬼だからね」
若い隊員たちは、田口さんのことをそう呼んでいた。
朝礼のラジオ体操で、田口さんだけが本気で腕を伸ばすからだ。
指の先まで、ぴんと伸ばす。
誰も真似をしない。
笑いながら、それでも誰も、田口さんの前で手を抜かない。
「田口さんが伸ばしとるうちは、こっちも縮められん」と、副隊長が言っていた。
去年のふれあいデーで、五つくらいの男の子が迷子になったことがある。
放送を流しても出てこない。
見つけたのは田口さんだった。
はしご車の後輪の陰に、しゃがんで隠れていた。
怒られると思ったらしい。
田口さんは、その子の隣に、同じようにしゃがんだ。
腰が悪いから、しゃがむのに時間がかかる。
途中で「よいしょ」と声が出て、男の子が笑った。
そのまま二人で、五分ほど、後輪の陰にいた。
田口さんは何も言わなかったし、出てこいとも言わなかった。
やがて男の子のほうから、田口さんの袖をつかんで立ち上がった。
あとで私が「よく待てましたね」と言うと、田口さんは、ふしぎそうな顔をした。
「待つのは、こっちの仕事でしょう」
それだけだった。
私はそのとき、なんでもない返事だと思って、うちわを配りに戻った。
※
その年のふれあいデーは、朝から日差しが強かった。
アスファルトが白く光って、豚汁の湯気が空へまっすぐ上がっていた。
私は受付のテントで、来場者に紙のうちわを配っていた。
十時をすぎたころ、若い女の人が門のところで立ち止まっているのに気がついた。
細くて、小さくて、遠目には高校生に見えた。
白い半袖のシャツに、紺のスカート。
片手に、折り目のついた封筒を持っていた。
その人は、はしご車のほうへは行かなかった。
豚汁のほうへも行かなかった。
まっすぐ、私のテントへ来た。
「あの、すみません」
声が、少し掠れていた。
「平成十年の、八月の雨のときに、下屋敷の集落に来られた方を、探しています」
私はうちわを持つ手を止めた。
下屋敷は、いまはもう人が住んでいない。
十四年前の八月、三日降り続いた雨で、山の腹が落ちた。
私はここへ来る前の話だから、写真でしか知らない。
茶色い土のなかに、屋根の瓦だけが、魚の背びれみたいに並んでいる写真だった。
「お名前は、分かりますか」
私が訊くと、その人は首を振った。
「分からないんです」
「顔も、見ていません」
「わたし、そのとき六つで、土のなかにいたので」
うちわが、手のなかで滑った。
※
その人は、山崎みなみさんといった。
二十歳で、金沢の看護学校の二年生で、夏休みに入ってすぐ、鈍行を乗り継いで来たのだという。
私は総務課長を呼び、応接室にお茶を出した。
山崎さんは、湯呑みを両手で持って、しばらく飲まなかった。
金沢から高山まで出て、そこから路線バスを二本乗り継いできたのだという。
始発で出て、着いたのが十時前。
「調べたら、この日しか、外の人が門を入れる日がなくて」
そう言って、少し笑った。
看護学校を選んだ理由も、訊く前に話してくれた。
「わたし、暗いところが平気なんです」
「夜勤のとき、廊下の電気を落として見回るでしょう」
「あのとき、みんな怖いって言うんですけど、わたしは、あんまり」
「暗いのが怖くないのは、あの晩に、暗くても手があるって知ったからだと思います」
湯呑みの湯気が、その人の顎のあたりで揺れていた。
課長は書庫から、平成十年の出動記録の綴りを持ってきた。
厚い、灰色のファイルだった。
紙が湿気を吸って、めくると波打った。
「下屋敷、八月二十四日、二時十分出動」
課長が読み上げる。
「救助、五名。うち一名、翌朝五時四十分」
「その一名が、わたしです」と、山崎さんは言った。
言い方が、あまりに静かだったので、私は自分の手のひらが冷たくなるのを感じた。
山崎さんは、家の一階にいた。
土と一緒に落ちてきた梁が、たまたま斜めに引っかかって、三十センチほどの隙間ができた。
その隙間に、六歳の体が入っていた。
右手だけが、土の外に出ていたのだそうだ。
「その手を、誰かが握ってくれていました」
「朝まで、ずっと」
課長がページをめくる音が、やけに大きく聞こえた。
記録には、隊員の名前が四人分、書いてある。
けれど、そのうちの誰も、山崎さんが探している人ではなかった。
四人とも、山崎さんが掘り出されたとき、重機の側にいた。
手を握っていた人間の名前は、どこにも書かれていなかった。
「非番の者や、消防団の人が、かなり入っとりますでな」
課長が、申し訳なさそうに言った。
「そういう者は、記録に一行しか残らんのです」
山崎さんは、うなずいた。
怒りもしなかったし、がっかりした顔もしなかった。
たぶん、何度も同じことを言われてきたのだと思う。
「顔は見ていませんけど、声は、憶えています」
「その人、話しかける前に、いつも、こんな音をさせるんです」
そう言って、山崎さんは、喉の奥で小さく、こと、と鳴らした。
※
私は、椅子から立ち上がっていた。
立ち上がってから、自分が立ち上がったことに気がついた。
課長が、私を見た。
私は何も言えなかった。
言ってしまえば、たぶん、取り返しがつかないような気がした。
そのとき、応接室の内線が鳴った。
受付から、来場者の忘れ物の連絡だった。
課長が受話器を取り、二言三言話して、切った。
切ってから、課長も、私を見た。
受話器の向こうから、小さく、こと、と聞こえていた。
山崎さんが、ゆっくりと顔を上げた。
「いま」
それだけ言って、あとが続かなかった。
私は廊下へ出た。
受付の窓口では、田口さんが、拾われた麦わら帽子に紙を貼っているところだった。
白い手袋のまま、糊のはみ出したところを親指で拭っていた。
「田口さん」
私が呼ぶと、田口さんは顔を上げた。
そして、私の後ろに立っていた山崎さんを見た。
それだけで、分かったのだと思う。
田口さんの手から、麦わら帽子が落ちた。
※
田口さんは、当時、五十四歳だった。
山岳救助隊にいて、その年の春に、腰を痛めて内勤に移ったばかりだった。
雨の晩、田口さんは非番で、家の裏の畑の水を見に出ていて、山鳴りを聞いた。
そのまま長靴で、下屋敷まで走った。
正規の隊が着く前に、田口さんはもう、土のなかから出ている小さな手を見つけていた。
「動かせんかった」
田口さんは、応接室の椅子に浅く腰かけて、そう言った。
「梁が斜めに噛んどってな。こっちが力をかけたら、その分だけ落ちる」
「重機が上がってくるのを待つしかなかった。道が二箇所、切れとったで」
だから田口さんは、握った。
握って、しゃべり続けた。
眠らせてはいけないから、名前を呼んで、歌をうたって、朝が来ることを何度も言った。
雨は降ったりやんだりして、そのたびに、土の匂いが変わった。
降っているあいだは、青い草の匂いがする。
やむと、鉄のような匂いになる。
田口さんは、その匂いが変わるたびに、上を見たのだそうだ。
斜面がもう一度動くとしたら、そのときだからだ。
無線は、谷なのでほとんど届かなかった。
ときどき、ざあっと雑音だけが鳴って、それきり切れる。
「歌は、なんでもよかったですか」と、私は訊いた。
田口さんは、少し考えた。
「知っとる歌が、三つしかなかったで」
「ぐるぐる回っとった」
山崎さんが、そこで小さく口ずさんだ。
ふるさとの、二番だった。
田口さんの肩が、そのとき初めて動いた。
「三時間くらい経つと、こっちの声が出んようになる」
「喉が、泥の粉で塞がるでね」
「それで、しゃべる前に、いっぺん喉を鳴らして、通り道をあける」
私は、十四年間、毎朝聞いていた音の正体を、そこで初めて知った。
※
ここから先を、田口さんは、これまで誰にも言わなかったのだと思う。
夜明けの少し前、田口さんは、その手を離した。
腰が動かなくなったのだ。
屈んだ姿勢のまま四時間近くいて、立ち上がることも、座り直すこともできなくなった。
隣にいた消防団の若い衆に、代わってもらった。
「三十秒か、一分か、そんなもんだ」
田口さんは、膝の上で自分の右手を見ていた。
「そんなもんだが、離したことに変わりはない」
だから田口さんは、名乗らなかった。
掘り出される直前、山崎さんの指が二度、握り返してきたのだそうだ。
それを田口さんは、隣の若い衆から後で聞いた。
自分の手ではないほうの手が、その二度を受け取ったのだと思ったとき、田口さんはもう、その場に立っていられなくなった。
礼を言われる資格が、自分にはないと決めた。
決めてしまうと、あとは楽だったと、田口さんは言った。
楽だったという言い方が、私にはいちばん、こたえた。
掘り出されたところも見ずに、山を下りた。
その秋に退職して、翌年から受付の嘱託になった。
そして毎年八月一日に、白い手袋をはめて門に立つようになった。
本部の誰も、理由を知らなかった。
「あんたに、謝らんならんと思うとった」
田口さんが言うと、山崎さんは、初めて泣いた。
泣きながら、はっきり言った。
「一度も、離れませんでした」
「わたし、ずっと握られていました」
「暗くて、何も見えないので、握られているかどうかだけが、時間でした」
「その時間が、途切れたことは、一度もありません」
田口さんは、返事をしなかった。
白い手袋のまま、両手で顔を覆っていた。
手袋には、麦わら帽子の糊が、まだ少しついていた。
※
あとで、消防団の名簿を調べた。
その晩、田口さんと代わった若い衆は、いまは町の郵便局の局長になっている。
電話で訊くと、局長さんは笑った。
「田口さんね、代わってくれ、とは言わんかったですよ」
「おれの手の上に、あの人の手を重ねさせて、それから自分の手を抜いたんです」
「順番が逆でしょう。ふつうは抜いてから重ねる」
「あの人は、隙間をつくらんように、先に重ねさせた」
私はメモを取る手を止めた。
離した、と田口さんは十四年言い続けていた。
けれど、山崎さんの側からは、ほんとうに、一度も離れていなかったのだ。
局長さんは、最後にこう言った。
「あのとき、田口さんの声、もう出とらんかったですよ」
「歌っとるつもりで、息だけ出とった」
「それでも、口だけは動かしとった」
電話を切ってから、私は受付へ行って、白い手袋のことを訊いた。
田口さんは、少し困った顔をした。
「家内が、毎年洗って、糊をつけてくれとった」
奥さんは、六年前に亡くなっている。
「理由は、聞かんかった人です」
「八月の一日になると、黙って、枕元に置いてあった」
「あれは、たぶん、全部わかっとったんやろな」
いまは自分で洗うのだという。
糊のつけ方が下手で、毎年、指の付け根のところが硬くなるのだと、田口さんは笑った。
※
山崎さんは、封筒を置いていった。
なかには、看護学校の学生証のコピーと、便箋が一枚入っていた。
便箋には、六歳の字を真似たような、大きな字で、一行だけ書いてあった。
あのときの朝の色を、わたしはまだ憶えています。
田口さんは、その便箋を、受付の抽斗の、いちばん下にしまった。
抽斗には、十四年分のふれあいデーのプログラムが、日付順に重ねてあった。
誰にも見せたことのない、細い記録だった。
※
帰りぎわ、山崎さんが門を出るとき、私は少し離れたところで見ていた。
田口さんは、竹箒を壁に立てかけた。
白い手袋の指先を、ラジオ体操のときと同じように、まっすぐ伸ばした。
それから、背筋を立てた。
受付の嘱託がする、会釈のかわりの軽い敬礼ではなかった。
かかとを揃えて、腕を止めて、微動もしない、直立不動の敬礼だった。
山崎さんは振り返って、それを見た。
そして、まっすぐには歩けなかった。
坂の途中で一度立ち止まって、肩で息をして、また歩き出した。
田口さんは、その姿が見えなくなるまで、手を下ろさなかった。
豚汁の湯気が、まだ上がっていた。
はしご車のかごが、子どもを乗せてゆっくり降りてきていた。
その音のなかで、田口さんの腕だけが、止まっていた。
私はそのとき、この人が十四年、何を掃いていたのかを考えていた。
竹箒で毎朝掃いていたのは、庁舎の前の道ではなかったのだと思う。
あの晩、自分が三十秒だけ空けたと信じていた、その隙間だったのだ。
誰にも見えない隙間を、十四年、毎朝掃いていた。
そして今日、掃くべきものが、初めからなかったと知らされた。
※
次の年から、田口さんは八月一日に手袋を持ってこなくなった。
かわりに、ふつうの日にも、白い手袋をはめるようになった。
「もう、特別な日にせんでもよくなったで」
そう言って、笑った。
電話を取るときの咳払いは、いまも変わらない。
こと、と鳴る。
私はそれを聞くたびに、暗い土のなかで、その音だけを頼りに朝を待った六歳の子どものことを思う。
声が出なくなっても、口を動かし続けた人のことを思う。
そして、握っていた手を離した、と十四年思い込んでいた人が、その日ようやく、まっすぐ立てるようになったことを思う。
指の先まで伸ばして立つというのは、あの人にとって、たぶん、ずっと祈りだったのだ。