直立不動の敬礼

八月一日の朝、田口さんはいつもより四十分早く来る。

私がタイムカードを押しに行くころには、受付の窓口にもう白い手袋が二つ、指先を揃えて置かれている。

十四年、一度も欠かしたことがない。

そう教えてくれた先輩は、理由までは知らなかった。

訊いた人がいないのだ。

訊けない、という言い方のほうが近いかもしれない。

田口さんは受付の嘱託で、六十八歳で、朝は必ず庁舎の前の道を竹箒で掃く。

私はこの町へ嫁いで五年になるけれど、田口さんが自分のことを話すのを聞いたことがない。

ひとつだけ、癖を知っている。

受話器を上げると、名乗る前に必ず、小さな咳払いをひとつした。

喉の奥で、こと、と鳴るような音だった。

「風邪ですか」と最初の年に訊いたら、田口さんは笑って、「若いころに声を使いすぎてね」とだけ言った。

それきりだった。

私が勤めているのは、飛騨の谷にある小さな消防本部の総務課だ。

高原川という川が、山と山のあいだを、細く長く縫っている。

夏はよく雨が降る。

山の斜面が水を吸って重くなると、年寄りたちは玄関の戸を開けたまま眠る。

逃げるときに、戸を開ける手間が惜しいからだ。

そういうことを、私はここへ来てから覚えた。

この土地に馴染めずにいた最初の冬、私は庁舎の玄関の前で滑って転んだ。

書類を撒き散らして、恥ずかしくて、しばらく立てなかった。

田口さんは、笑いもせず、走り寄りもしなかった。

竹箒を置いて、私の落とした紙を一枚ずつ拾い、順番を揃えて、それから手を差し出した。

「先に紙を拾うのは、あんたが立ってから見られたくないやろと思うたで」

翌朝から、玄関の前には砂がまかれるようになった。

誰が言ったわけでもない。

三月の終わりまで、毎朝まかれていた。

その冬から、私はこの町を、少しだけ好きになった。

八月一日は、うちの本部の「ふれあいデー」だった。

はしご車を庁舎の前に出して、子どもをかごに乗せて、三十メートル上まで持ち上げる。

放水体験と、煙のなかを歩く体験と、婦人会の豚汁が出る。

それだけの、のんびりした催しだ。

その日だけ、田口さんは白い手袋をはめて門に立つ。

ふだんは軍手なのに、その日だけは白なのだと、これも先輩に教わった。

「あの人、ラジオ体操の鬼だからね」

若い隊員たちは、田口さんのことをそう呼んでいた。

朝礼のラジオ体操で、田口さんだけが本気で腕を伸ばすからだ。

指の先まで、ぴんと伸ばす。

誰も真似をしない。

笑いながら、それでも誰も、田口さんの前で手を抜かない。

「田口さんが伸ばしとるうちは、こっちも縮められん」と、副隊長が言っていた。

去年のふれあいデーで、五つくらいの男の子が迷子になったことがある。

放送を流しても出てこない。

見つけたのは田口さんだった。

はしご車の後輪の陰に、しゃがんで隠れていた。

怒られると思ったらしい。

田口さんは、その子の隣に、同じようにしゃがんだ。

腰が悪いから、しゃがむのに時間がかかる。

途中で「よいしょ」と声が出て、男の子が笑った。

そのまま二人で、五分ほど、後輪の陰にいた。

田口さんは何も言わなかったし、出てこいとも言わなかった。

やがて男の子のほうから、田口さんの袖をつかんで立ち上がった。

あとで私が「よく待てましたね」と言うと、田口さんは、ふしぎそうな顔をした。

「待つのは、こっちの仕事でしょう」

それだけだった。

私はそのとき、なんでもない返事だと思って、うちわを配りに戻った。

その年のふれあいデーは、朝から日差しが強かった。

アスファルトが白く光って、豚汁の湯気が空へまっすぐ上がっていた。

私は受付のテントで、来場者に紙のうちわを配っていた。

十時をすぎたころ、若い女の人が門のところで立ち止まっているのに気がついた。

細くて、小さくて、遠目には高校生に見えた。

白い半袖のシャツに、紺のスカート。

片手に、折り目のついた封筒を持っていた。

その人は、はしご車のほうへは行かなかった。

豚汁のほうへも行かなかった。

まっすぐ、私のテントへ来た。

「あの、すみません」

声が、少し掠れていた。

「平成十年の、八月の雨のときに、下屋敷の集落に来られた方を、探しています」

私はうちわを持つ手を止めた。

下屋敷は、いまはもう人が住んでいない。

十四年前の八月、三日降り続いた雨で、山の腹が落ちた。

私はここへ来る前の話だから、写真でしか知らない。

茶色い土のなかに、屋根の瓦だけが、魚の背びれみたいに並んでいる写真だった。

「お名前は、分かりますか」

私が訊くと、その人は首を振った。

「分からないんです」

「顔も、見ていません」

「わたし、そのとき六つで、土のなかにいたので」

うちわが、手のなかで滑った。

その人は、山崎みなみさんといった。

二十歳で、金沢の看護学校の二年生で、夏休みに入ってすぐ、鈍行を乗り継いで来たのだという。

私は総務課長を呼び、応接室にお茶を出した。

山崎さんは、湯呑みを両手で持って、しばらく飲まなかった。

金沢から高山まで出て、そこから路線バスを二本乗り継いできたのだという。

始発で出て、着いたのが十時前。

「調べたら、この日しか、外の人が門を入れる日がなくて」

そう言って、少し笑った。

看護学校を選んだ理由も、訊く前に話してくれた。

「わたし、暗いところが平気なんです」

「夜勤のとき、廊下の電気を落として見回るでしょう」

「あのとき、みんな怖いって言うんですけど、わたしは、あんまり」

「暗いのが怖くないのは、あの晩に、暗くても手があるって知ったからだと思います」

湯呑みの湯気が、その人の顎のあたりで揺れていた。

課長は書庫から、平成十年の出動記録の綴りを持ってきた。

厚い、灰色のファイルだった。

紙が湿気を吸って、めくると波打った。

「下屋敷、八月二十四日、二時十分出動」

課長が読み上げる。

「救助、五名。うち一名、翌朝五時四十分」

「その一名が、わたしです」と、山崎さんは言った。

言い方が、あまりに静かだったので、私は自分の手のひらが冷たくなるのを感じた。

山崎さんは、家の一階にいた。

土と一緒に落ちてきた梁が、たまたま斜めに引っかかって、三十センチほどの隙間ができた。

その隙間に、六歳の体が入っていた。

右手だけが、土の外に出ていたのだそうだ。

「その手を、誰かが握ってくれていました」

「朝まで、ずっと」

課長がページをめくる音が、やけに大きく聞こえた。

記録には、隊員の名前が四人分、書いてある。

けれど、そのうちの誰も、山崎さんが探している人ではなかった。

四人とも、山崎さんが掘り出されたとき、重機の側にいた。

手を握っていた人間の名前は、どこにも書かれていなかった。

「非番の者や、消防団の人が、かなり入っとりますでな」

課長が、申し訳なさそうに言った。

「そういう者は、記録に一行しか残らんのです」

山崎さんは、うなずいた。

怒りもしなかったし、がっかりした顔もしなかった。

たぶん、何度も同じことを言われてきたのだと思う。

「顔は見ていませんけど、声は、憶えています」

「その人、話しかける前に、いつも、こんな音をさせるんです」

そう言って、山崎さんは、喉の奥で小さく、こと、と鳴らした。

私は、椅子から立ち上がっていた。

立ち上がってから、自分が立ち上がったことに気がついた。

課長が、私を見た。

私は何も言えなかった。

言ってしまえば、たぶん、取り返しがつかないような気がした。

そのとき、応接室の内線が鳴った。

受付から、来場者の忘れ物の連絡だった。

課長が受話器を取り、二言三言話して、切った。

切ってから、課長も、私を見た。

受話器の向こうから、小さく、こと、と聞こえていた。

山崎さんが、ゆっくりと顔を上げた。

「いま」

それだけ言って、あとが続かなかった。

私は廊下へ出た。

受付の窓口では、田口さんが、拾われた麦わら帽子に紙を貼っているところだった。

白い手袋のまま、糊のはみ出したところを親指で拭っていた。

「田口さん」

私が呼ぶと、田口さんは顔を上げた。

そして、私の後ろに立っていた山崎さんを見た。

それだけで、分かったのだと思う。

田口さんの手から、麦わら帽子が落ちた。

田口さんは、当時、五十四歳だった。

山岳救助隊にいて、その年の春に、腰を痛めて内勤に移ったばかりだった。

雨の晩、田口さんは非番で、家の裏の畑の水を見に出ていて、山鳴りを聞いた。

そのまま長靴で、下屋敷まで走った。

正規の隊が着く前に、田口さんはもう、土のなかから出ている小さな手を見つけていた。

「動かせんかった」

田口さんは、応接室の椅子に浅く腰かけて、そう言った。

「梁が斜めに噛んどってな。こっちが力をかけたら、その分だけ落ちる」

「重機が上がってくるのを待つしかなかった。道が二箇所、切れとったで」

だから田口さんは、握った。

握って、しゃべり続けた。

眠らせてはいけないから、名前を呼んで、歌をうたって、朝が来ることを何度も言った。

雨は降ったりやんだりして、そのたびに、土の匂いが変わった。

降っているあいだは、青い草の匂いがする。

やむと、鉄のような匂いになる。

田口さんは、その匂いが変わるたびに、上を見たのだそうだ。

斜面がもう一度動くとしたら、そのときだからだ。

無線は、谷なのでほとんど届かなかった。

ときどき、ざあっと雑音だけが鳴って、それきり切れる。

「歌は、なんでもよかったですか」と、私は訊いた。

田口さんは、少し考えた。

「知っとる歌が、三つしかなかったで」

「ぐるぐる回っとった」

山崎さんが、そこで小さく口ずさんだ。

ふるさとの、二番だった。

田口さんの肩が、そのとき初めて動いた。

「三時間くらい経つと、こっちの声が出んようになる」

「喉が、泥の粉で塞がるでね」

「それで、しゃべる前に、いっぺん喉を鳴らして、通り道をあける」

私は、十四年間、毎朝聞いていた音の正体を、そこで初めて知った。

ここから先を、田口さんは、これまで誰にも言わなかったのだと思う。

夜明けの少し前、田口さんは、その手を離した。

腰が動かなくなったのだ。

屈んだ姿勢のまま四時間近くいて、立ち上がることも、座り直すこともできなくなった。

隣にいた消防団の若い衆に、代わってもらった。

「三十秒か、一分か、そんなもんだ」

田口さんは、膝の上で自分の右手を見ていた。

「そんなもんだが、離したことに変わりはない」

だから田口さんは、名乗らなかった。

掘り出される直前、山崎さんの指が二度、握り返してきたのだそうだ。

それを田口さんは、隣の若い衆から後で聞いた。

自分の手ではないほうの手が、その二度を受け取ったのだと思ったとき、田口さんはもう、その場に立っていられなくなった。

礼を言われる資格が、自分にはないと決めた。

決めてしまうと、あとは楽だったと、田口さんは言った。

楽だったという言い方が、私にはいちばん、こたえた。

掘り出されたところも見ずに、山を下りた。

その秋に退職して、翌年から受付の嘱託になった。

そして毎年八月一日に、白い手袋をはめて門に立つようになった。

本部の誰も、理由を知らなかった。

「あんたに、謝らんならんと思うとった」

田口さんが言うと、山崎さんは、初めて泣いた。

泣きながら、はっきり言った。

「一度も、離れませんでした」

「わたし、ずっと握られていました」

「暗くて、何も見えないので、握られているかどうかだけが、時間でした」

「その時間が、途切れたことは、一度もありません」

田口さんは、返事をしなかった。

白い手袋のまま、両手で顔を覆っていた。

手袋には、麦わら帽子の糊が、まだ少しついていた。

あとで、消防団の名簿を調べた。

その晩、田口さんと代わった若い衆は、いまは町の郵便局の局長になっている。

電話で訊くと、局長さんは笑った。

「田口さんね、代わってくれ、とは言わんかったですよ」

「おれの手の上に、あの人の手を重ねさせて、それから自分の手を抜いたんです」

「順番が逆でしょう。ふつうは抜いてから重ねる」

「あの人は、隙間をつくらんように、先に重ねさせた」

私はメモを取る手を止めた。

離した、と田口さんは十四年言い続けていた。

けれど、山崎さんの側からは、ほんとうに、一度も離れていなかったのだ。

局長さんは、最後にこう言った。

「あのとき、田口さんの声、もう出とらんかったですよ」

「歌っとるつもりで、息だけ出とった」

「それでも、口だけは動かしとった」

電話を切ってから、私は受付へ行って、白い手袋のことを訊いた。

田口さんは、少し困った顔をした。

「家内が、毎年洗って、糊をつけてくれとった」

奥さんは、六年前に亡くなっている。

「理由は、聞かんかった人です」

「八月の一日になると、黙って、枕元に置いてあった」

「あれは、たぶん、全部わかっとったんやろな」

いまは自分で洗うのだという。

糊のつけ方が下手で、毎年、指の付け根のところが硬くなるのだと、田口さんは笑った。

山崎さんは、封筒を置いていった。

なかには、看護学校の学生証のコピーと、便箋が一枚入っていた。

便箋には、六歳の字を真似たような、大きな字で、一行だけ書いてあった。

あのときの朝の色を、わたしはまだ憶えています。

田口さんは、その便箋を、受付の抽斗の、いちばん下にしまった。

抽斗には、十四年分のふれあいデーのプログラムが、日付順に重ねてあった。

誰にも見せたことのない、細い記録だった。

帰りぎわ、山崎さんが門を出るとき、私は少し離れたところで見ていた。

田口さんは、竹箒を壁に立てかけた。

白い手袋の指先を、ラジオ体操のときと同じように、まっすぐ伸ばした。

それから、背筋を立てた。

受付の嘱託がする、会釈のかわりの軽い敬礼ではなかった。

かかとを揃えて、腕を止めて、微動もしない、直立不動の敬礼だった。

山崎さんは振り返って、それを見た。

そして、まっすぐには歩けなかった。

坂の途中で一度立ち止まって、肩で息をして、また歩き出した。

田口さんは、その姿が見えなくなるまで、手を下ろさなかった。

豚汁の湯気が、まだ上がっていた。

はしご車のかごが、子どもを乗せてゆっくり降りてきていた。

その音のなかで、田口さんの腕だけが、止まっていた。

私はそのとき、この人が十四年、何を掃いていたのかを考えていた。

竹箒で毎朝掃いていたのは、庁舎の前の道ではなかったのだと思う。

あの晩、自分が三十秒だけ空けたと信じていた、その隙間だったのだ。

誰にも見えない隙間を、十四年、毎朝掃いていた。

そして今日、掃くべきものが、初めからなかったと知らされた。

次の年から、田口さんは八月一日に手袋を持ってこなくなった。

かわりに、ふつうの日にも、白い手袋をはめるようになった。

「もう、特別な日にせんでもよくなったで」

そう言って、笑った。

電話を取るときの咳払いは、いまも変わらない。

こと、と鳴る。

私はそれを聞くたびに、暗い土のなかで、その音だけを頼りに朝を待った六歳の子どものことを思う。

声が出なくなっても、口を動かし続けた人のことを思う。

そして、握っていた手を離した、と十四年思い込んでいた人が、その日ようやく、まっすぐ立てるようになったことを思う。

指の先まで伸ばして立つというのは、あの人にとって、たぶん、ずっと祈りだったのだ。

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