小さな勇気が呼んだ奇跡

公開日: 家族 | 心温まる話

ケーキ

俺がケーキ屋で支払いをしている時だった。

自動ドアが開き、まだ幼稚園児くらいの女の子が一人で入ってきた。

場違いなほど小さなその姿に、店内の空気が少し張りつめた。

女の子は極度に緊張しているのか、頬を赤らめ、真剣な眼差しで店員に向かってこう言った。

「けえきください」

声は小さかったが、その必死さは伝わってきた。

対応したのは、アルバイトらしい女子高生の店員。

「一人で来たの? ママは?」

そう優しく尋ねると、女の子はどもりながらも一生懸命に言葉を繋いだ。

「きょう……ママのおたんじょうびなの。びっくりさせたくて……わたしのおこづかいで、ケーキをかいにきたの」

一生懸命に伝え終えたその顔は、真剣そのものだった。

店員は少し驚いた表情を見せた後、にっこり笑って答えた。

「そっか、えらいね。どんなケーキが欲しいの?」

女の子は迷わず言った。

「あのね、いちごがのってるの!」

――その時、俺の胸はざわついた。

女の子は手ぶらで、財布も見当たらない。
恐らくポケットに小銭を直接入れてきたのだろう。

きっと金額は足りないに違いない。

店員も気づいたのか、ショーケースを指差しながら言った。

「これがいちごがのってるケーキの中で、一番安いんだ。380円だけど、お金足りるかな?」

女の子は真っ赤な顔で、ポケットに手を突っ込み、小銭を取り出して数え始めた。

俺は心の中で祈った。どうか、足りますように。

「100えんが、ふたつ……50えんがひとつ……10えんが、いち、に、さん……」

数え終わった額は――280円。

あと100円足りなかった。

「……」

店員は困ったように、でも誠実に事情を説明した。

それは当然だった。アルバイトの女子高生に、大岡裁きのような判断はできない。

赤の他人の俺が金を出すのも違う。
この子が自分のお金で買ってこそ意味があるからだ。

女の子は、泣き出しそうなのを必死にこらえていた。

小銭を握ったまま目をこすり、声を出さずに嗚咽をこらえながら、出口に向かって歩いていった。

だが――その時。

足元をよく見ていなかったせいか、自動ドアのマットにつまずき、前のめりに転んだ。

その拍子に、握りしめていた小銭が派手な音を立てて店内に転がった。

「カラン、カラン!」

その音は、奇跡の合図のように響いた。

女の子は慌てて小銭を拾い集めた。

俺も思わず一緒に拾ってあげて、すべてを手に戻してやった。

「ちゃんと全部あるかな? 数えてごらん」

そう促すと、女の子は小さな手で一生懸命に並べ、数え始めた。

「100えん、200えん、300えん……あれ? 350、360、370、380えん……ある!」

驚きと喜びで声を弾ませる女の子。

俺は微笑んで言った。

「きっと最初に数え間違えてたんだね。ほら、これでケーキが買えるよ」

女の子は顔を輝かせて、元気いっぱいに答えた。

「うん! ありがとう!」

そのままショートケーキを一つ買い、大事そうに両手で受け取った。

小さな体に似合わないほど大きな使命感を背負ったその姿は、とても凛々しかった。

俺はその背中を見届け、胸の奥に温かいものを抱きながら店を後にした。

――母のために、自分の全てを懸けて。
その純粋な想いが呼び込んだのは、確かに小さな奇跡だったのだ。

女の子はケーキの箱を胸に抱え、嬉しそうに走って帰っていった。

その小さな背中を見送りながら、俺の心には温かい余韻が広がっていた。

――そして、その日の夜。

母親の誕生日を迎えた家では、女の子が「ママ、おたんじょうびおめでとう!」と声を張り上げ、ケーキの箱を差し出していた。

驚いた母親は思わず涙ぐみ、女の子を抱きしめた。

「どうして一人で……? ありがとう……本当にありがとう」

母親の胸に顔をうずめた女の子は、誇らしげに笑っていた。

小さな体に似合わぬほど大きな勇気と優しさが、母親にとっては何よりの贈り物になったのだ。

その瞬間、二人の間にはケーキ以上に甘く温かな絆が生まれていた。

――380円の小さな奇跡は、確かにそこにあった。

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