三頭の象

桜の散る音を、聞いたことがあるでしょうか。

私はあの日、確かに聞いたのです。閉園まで半年と決まった岸ヶ丘動物園の、象舎の裏手で。花びらが古い石碑を打つ、雨よりもずっと静かな音でした。

手提げ袋の中には、古い帳面が一冊入っていました。昨年の冬に九十六歳で亡くなった祖父の周吉が、戦争の頃に付けていた飼育日誌です。表紙の墨文字はほとんど掠れて、「象舎日誌」という五文字だけが辛うじて読み取れました。

遺品の整理をしていた母が、箪笥の底から油紙に包まれたそれを見つけたのは、四十九日の少し前のことでした。

帳面は掌に乗るほどの小ささで、紙は飴色に焼け、頁の角はどれも柔らかく丸くなっていました。何百回もめくった指の跡だと、後になって気づきました。

母も私も、祖父の若い頃のことをほとんど知りません。尋ねても「昔のことじゃ」と笑って、漆喰のついた手で湯呑みを持ち上げるだけの人でした。

「お父さん、動物園で象の係をしていたなんて、一度も言わなかったのにねえ」

母はそう言って、帳面を私に持たせました。「あんた、確かめてきてくれない。本当のことだったのか」

祖父は無口な人でした。左官の仕事一筋で、手の甲はいつも漆喰で白く乾いていて、孫の私にも余計な話はほとんどしませんでした。ただ、テレビに象が映ると、音も立てずに席を立つ人でした。

子供の頃、その背中を不思議に思いながら、誰も理由を訊けませんでした。その理由を、私はこの帳面で知ることになります。

岸ヶ丘動物園が閉園すると新聞で読んだのは、ちょうどその頃です。老朽化と入園者の減少。記事の隅に、戦時中に犠牲になった動物たちの慰霊碑が、この春で建立六十年を迎えるとありました。

祖父の四十九日が明けた最初の日曜、私は始発に近い電車に乗りました。

窓の外を、満開の桜が流れていきました。祖父はこの景色を、どんな気持ちで見ていたのだろう。膝の上の帳面が、行きの二時間、ずっと重く感じられました。

動物園に着くと、門の前の桜並木が満開でした。平日の朝で、人影はまばらでした。

日誌の最初の頁は、昭和十四年の春から始まっていました。

「本日、象三頭来園。亜細亜より船と汽車を乗り継ぎて。いずれも子象なり。町の衆、駅より行列をなして従う」

当時の岸ヶ丘動物園は、城下町の外れの丘に出来てまだ十年足らずの、小さな動物園だったそうです。象が来るというので小学校は午後を休みにし、駅から動物園までの道は黒山の人だかりになったと、町史にも残っています。

三頭には名前が付きました。雄の暴れん坊がゴロー。身体の大きい、心の優しい雌が八重。一番小さくて人懐こい雌が、鈴。

鈴という名前は、芸の稽古で使う真鍮の鈴を、この子だけが初めから上手に鳴らしたので付いたのだと、日誌の隅に小さな字で書き添えてありました。

祖父はそのとき二十一歳。志願して象係になったばかりの、いちばんの新米でした。

「鈴、本日も余の帽子を取りて逃げる。追えば走る。皆笑う。象に遊ばれる係は余のみなり」

固い文語の行間から、若い祖父の困り顔が透けて見えるようでした。

「鈴、稽古中に居眠りをす。立ったまま眠る象を初めて見る。起こすに忍びず、余も柵にもたれて少し眠る」

象舎の頁には、匂いまで書いてあります。干し草と藁の、日向くさい匂い。冬の朝の、湯気の立つ蒸かし芋の匂い。「象の鼻の先は人の掌より温かし」という一行もありました。

朝の仕事は、水汲みから始まったようです。天秤棒で何往復もして水槽を満たし、藁を敷き替え、大きな身体を竹箒で擦ってやる。「八重の背を洗う。気持ちよさげに目を細む。象の睫毛は存外に長し」という行に、私は何度も指を置きました。

冬、八重が腹を壊して三日三晩唸った夜には、祖父は象舎に泊まり込んだようです。

「八重の腹に湯たんぽを当て、夜通し摩る。明け方、鼻にて余の頬を撫でる。礼のつもりか。象は恩を知る生き物なり」

台風の夜の頁もありました。「風雨強し。象舎の戸が鳴るたび、鈴が余の袖を鼻で引く。子供と同じなり。一晩、声をかけ続ける」

夏には三頭を順に川へ連れて行ったそうです。「鈴、川を喜ぶこと尋常ならず。鼻にて水を吹き上げ、余に浴びせて逃ぐ。罰として本日の芋は半分と申し渡すも、結局やる」

芸当の稽古の頁は、どれも賑やかです。鈴を鳴らす。丸太を渡る。後ろ足で立ち、鼻を高く上げて万歳をする。

日曜の広場は子供の歓声で埋まり、あの気難しいゴローでさえ、拍手をもらうと得意げに耳を揺らしたそうです。

「象は拍手の意味を知っている。あれは誇らしい顔である」

日誌には餌の記録も几帳面に並んでいます。芋何貫、干し草何束、藁何把。数字ばかりの頁の隅に、時々「鈴、今日もよく食う。よく食う象は良い象なり」とあって、その朴訥さに胸を突かれました。

給金日には、祖父は決まって市場で屑芋を一袋買ったそうです。「象係の役得なり」と言い訳のように書いてあるのが、おかしくて、少し泣けました。

常連の子もいました。日誌に何度も出てくる、勝男という近所の八百屋の息子です。毎週日曜、売り物にならない屑芋を持って柵の前に立ち、鈴に食べさせるのが何よりの楽しみだったようです。

「勝男少年、本日も来る。鈴、遠目に認めて鼻を振る。芋より先に、まず子の帽子を取る。両者の挨拶なり」

芋を差し出す小さな手と、それをそっと受け取る大きな鼻。日誌のその頁にだけ、下手な鉛筆の絵が描いてありました。

読みながら、私は何度か声を出して笑いました。そして笑うたび、この帳面の終わりを知っていることが、苦しくなりました。

頁が進むにつれて、日誌の字は硬く、小さくなっていきます。

昭和十八年。男たちは次々に召集され、象の餌の芋も干し草も、切符がなければ手に入らなくなりました。広場から子供の声が減り、勝男少年も親戚を頼って山の村へ疎開していきました。

「勝男少年より葉書来る。すずはげんきですか、と仮名ばかりの五行なり。返事を書く。鈴は今日も元気で芸をしている、と」

灯火管制の夜は、象舎の電灯も消されました。「闇の中、三頭の息の音のみ。存外に静かなり。象の寝息は、潮騒に似る」

餌の配給が減るたび、祖父たちは川原で草を刈り、芋蔓を貰い歩いたそうです。「八重、芋蔓を喜ぶ。背に乗せた籠ごと食わんとして叱らる」

けれどそんな細々とした工夫も、命令の前では何の意味も持ちませんでした。

そして秋。園長室に、一枚の通達が届きます。

猛獣処分命令。

空襲で檻が壊れ、猛獣が市中へ逃げ出すのを防ぐため、あらかじめ始末せよという命令でした。

その日の頁は、それまでと様子が違います。日付と、命令の写しと、それだけ。感想が一行もないのです。書けなかったのだと思います。

町の家々から金物が供出され、動物園の鉄柵まで持っていかれそうになった、という記述もあります。「柵を取られて象が逃げたらどうするのかと掛け合い、ようやく沙汰やみとなる。守れたものが柵だけとは」

ライオンが、虎が、熊が、毒の餌で順々に倒れていきました。

「本日、獅子二頭。眠るがごとし。職員一同、檻の前に並びて合掌のほかなし」

象の番が来たのは、冬の初めでした。

まずゴローからでした。大好物の芋に毒が仕込まれましたが、ゴローは鼻先で器用に選り分けて、毒入りの芋だけをぽんと遠くへ放ってしまうのです。

「ゴロー、毒芋を放りて後、余の顔を見る。なぜ、という顔なり。余は答えを持たず」

馬用の太い注射針は、厚い皮に弾かれて、ことごとく折れました。

残された手立ては、餌を断つことだけでした。

「ゴロー、絶食十七日目。本日未明、斃る。あれほどの暴れん坊が、最後まで柵の一本も壊さなんだ」

祖父はその行の下に、一行だけ書き足しています。

「象は人を恨まぬのか。いっそ恨んでくれた方が、まだ楽であった」

八重と鈴を北の動物園へ疎開させる話も、一度は持ち上がったようです。

しかし「移送の途中で空襲に遭えば、誰が責を負うのか」という一言で、計画は潰えました。汽車の手配まで済んでいたと、日誌は悔しさを隠さずに記しています。

餌が、絶たれました。

ここからの頁は、字がほとんど震えています。

「八重、鈴、余の足音に檻の前まで寄り来る。やれる物なし。水もならぬとの達しなり。誰が決めた。誰が」

水を断てという達しが出た日、祖父は園長室へ行ったようです。何を言ったかは書いてありません。ただ「言うべきことは言うた。されど覆らず。覆るものなら、はじめから誰もこんなことはせぬ」とだけ。

痩せていく二頭は、それでも見回りの足音がするたび、よろよろと立ち上がったそうです。

げっそりと痩けた顔に、あの優しい目だけが大きく残りました。

「鈴、余の手の匂いを嗅ぐこと長し。芋の匂いの残りを探すか。手を洗いて来ればよかったと悔ゆ」

「八重、鈴の身体を鼻で支う。弱き方を、より弱き方が支う。見ておられず、されど見届けねばならぬ」

そしてある夕方、祖父の目の前で、二頭は痩せた身体を支え合うようにして、あの芸当を始めたのです。

後ろ足で立ち上がる。前足を折る。鼻を高く、高く上げて、万歳をする。

芸をすれば、また昔のように芋がもらえる。拍手の中で、湯気の立つ芋がもらえる。二頭は、それだけを信じていたのです。

「八重と鈴、本日も万歳をす。わしらの拍手を、まだ待っとる」

その晩、祖父は餌倉に飛び込み、僅かに残った藁を抱えて象舎へ走り、年嵩の係に羽交い締めにされました。

「やめえ、周吉。今やれば、苦しみが延びるだけじゃ」

「ほいでも先輩、見てつかあさい。あれは、まだ芸をしとるんです。わしらを、まだ信じとるんです」

園長は机の一点を見つめたまま、誰の顔も見なかったそうです。その夜の日誌に園長の言葉はなく、ただ「全員、象舎に近寄らず。近寄れぬなり」とだけありました。

見回りの担当を外してくれという祖父の願いは、聞き入れられませんでした。「逃げるは易し。されど、最後まで見ているのが係の務めと思い直す。誰かが覚えておらねば、この子らは二度死ぬ」

祖父にできたのは、夜更けに檻の前へ座り、二頭が眠るまで、聞こえないほど小さな声で唄をうたうことだけでした。

唄は、子守唄だったそうです。後年、母を寝かしつけるときに祖父が口ずさんでいたものと、同じ節だったのではないかと思います。母は「お父さんの唄なんて一度しか聞いたことがない」と言いました。その一度を、母は六十年覚えていました。

鈴は絶食二十日目の朝に。八重はその四日後の夕方に。

どちらも鉄柵にもたれ、鼻を高く上げた万歳の形のまま、息を引き取っていたといいます。

鈴の頁は、たった三行です。「鈴、斃る。万歳の形なり。手を、合わせるほかなし」

八重の行は、もっと短い。「八重も逝く。象舎、静かなり」。その「静かなり」の四文字が、私にはどんな長い文章より重く思えました。

「胃の腑を検むるに、水の一滴もなし」

日誌は、その頁で終わっていました。残りの頁は、何枚めくっても白いままでした。

祖父は終戦の年に動物園を辞め、郷里に戻って左官になりました。

象の話は、母にも、祖母にも、誰にも、最後までしませんでした。

ただ、母がまだ小さかった頃。夜中にふと目を覚ますと、仏壇の前で祖父が小さな鈴をちりんと一つ鳴らして、長いこと座っていたことがあるそうです。

遺品の手箱の底には、緑青の浮いた真鍮の鈴が、白い布に包まれて入っていました。芸の稽古に使った、あの鈴だと思います。

私はそれを持って、岸ヶ丘動物園に来たのでした。

象はもう、いません。最後の象が老衰で亡くなった五年前から象舎は空のままで、それがこの動物園の、長い静かな終わりの始まりだったそうです。

受付で来意を告げると、ボランティアの案内係だという小柄なお年寄りが、象舎の裏まで連れて行ってくれました。

歩きながら日誌を見せると、その人は足を止めました。表紙を撫でる指先が、小さく震えていました。

「あんた……周吉さんの、お孫さんかね」

「祖父を、ご存じなんですか」

「わしはね、勝男というんよ。子供の時分、鈴に毎週芋をやりよった。あの人はな、疎開先のわしの葉書に、嘘の返事を書いてくれた人じゃ」

鈴は今日も元気で芸をしている――疎開先に届いたその一行を、勝男さんは八十年経った今も、そらで言えるのだそうです。

「嘘じゃとわかったのは、戦後ずいぶん経ってからよ。けどなあ、わしはあの嘘に、どれだけ救われたかわからん」

「あの日からこっち、わしは象の夢ばかり見よったよ。夢の中の鈴は、いっつも芋を食いよる。なんぼでも食いよる」

勝男さんは戦後、親の八百屋を継ぎ、店を畳んでからはこの動物園で案内を続けてきたそうです。動物の慰霊碑を建てる会の発起人の名簿には、勝男さんの名前が最初に載っていました。

「周吉さんはな、戦後ここへ一度も来んかった。来られんかったんよ。けど、慰霊碑を建てる金を集めとるとき、名前のない封筒が毎年届いてな。消印が、あの人の町じゃった」

それが祖父だったのかどうか、確かめる術はもうありません。ただ、手箱の鈴と一緒に、古い郵便局の振込の控えが何枚も束ねてあったことだけ、私は知っています。

碑は象舎の裏手の、いちばん日当たりのいい場所に立っていました。

側面には、亡くなった動物たちの名が刻まれています。ゴロー。八重。鈴。指でなぞると、石は春の日を吸って、ほんのり温かでした。

象の鼻の先は人の掌より温かし――日誌のあの一行を、ふいに思い出しました。

風が吹いて、桜がいちどきに散りました。花びらが石を打つ、ささやかな音がしました。

桜の散る音というのは、本当にあるのです。

祖父もいつか、どこかの春に、この音を聞いたのでしょうか。それとも、聞く余裕のないまま、あの冬を抱えて生きたのでしょうか。

答えてくれる人は、もういません。

私は碑の前に鈴を置いて、そっと鳴らしました。

ちりん、と。

七十年遅れの、拍手の代わりに。

隣で勝男さんが帽子を取り、深く頭を下げました。「ようやっと、芸の終わりじゃなあ」と、小さな声が聞こえました。

帰り際、勝男さんは空の象舎を見上げて言いました。「動物園いうんはな、本当は約束の場所なんよ。また来るね、いう約束をしに来る場所。わしはまだ、鈴との約束を果たしに来とる途中じゃ」

門を出るとき、もう一度だけ振り返りました。桜の向こうに、空の象舎の屋根が見えました。あそこに三頭がいた春から、八十年が経ちました。

母に短い電話をかけました。本当のことだったよ、とだけ伝えると、母は電話の向こうでしばらく黙って、それから「お父さんらしいねえ」と言いました。

帰りの電車で、私は日誌の白い頁の続きに、小さく書き足しました。令和の春、鈴の音、碑に届く。祖父の文語の真似をした、たった一行です。けれどあの白い頁に何かを書けるのは、もう私しかいないのです。

八重に、ゴローに、鈴に。そして最後まで象の係だった祖父に、あの鈴の音が届いていればいいと思います。

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