人間としての愛

冬と春の境界(フリー写真)

1月の朝がとても寒い時に、必ず思い出す少年がいます。

当時、私は狭心症で休職し、九州の実家にて静養していた時でした。

毎朝、愛犬のテツと散歩していた時に、いつも遅刻して実家の前の中学校に通っていた少し不良な少年のことです。

その少年はいつの間にかテツと仲良くなり、私ともよく言葉を交わすようになりました。

家庭環境は複雑のようですが、よく部屋に遊びに来るようになったのです。

しかし、何を語る訳でもなく、テツと部屋でよく遊んでいました。

2月、3月と時が過ぎて行き、次第にその少年は不良のボルテージが上がり、髪も染めていました。

でも私の部屋では、いつも純粋な少年の目でテツと遊び、よく笑っています。

そんな時でした。急に部屋に遊びに来なくなり、学校にも行っていないようで心配していました。

すると突然夜中に部屋に来て、さよならを言いに来たと言うのです。

どうしたのか聞いても、うつ向いたままでテツの頭を悲しそうに撫で、部屋を出ました。

やっと暖かい春が来たのに、それから少年は来なくなりました。

「暖かくなったら遠くまでテツと一緒に散歩に行こう」

と約束をしていたのに、来なくなりました。

何があったんだろう…。

とても心配な気持ちで、何故かテツも寂しそうな顔に見える毎日を過ごしておりました。

半年が過ぎ、もうすぐ一年が経とうとしている、まだ寒い時期。

いつしかその少年のことも気にしなくなっていた、ある寒い日の夜でした。

愛犬テツが寿命を全うし、静かに眠って逝きました。

寂しさで胸が引き裂かれそうな思いでした。

『家族同然に育ったテツと別れることが、こんなにも悲しいものなのか』

と、とても落ち込んでいました。

そんな悲しみのどん底であったと思いますが、何もしたくなく、何も出来ず、何も考えられないほど、私が悲しみの底に沈んでいた時のことです。

一年前に来なくなったあの少年が、急に部屋に遊びに来ました。

その少年の顔は、以前よりもずっと明るい顔になっていました。

何があったんだろう?

とても興味を惹かれていましたが、最初にテツが亡くなったことを告げました。

少年の顔は、笑顔から一変してクシャクシャになり、周りも気にしないほど大きな声を出して泣いてしまいました。

それを見た私も、涙が溢れました。

テツとの別れを、私と同じように悲しんでくれる少年の思いに泣いてしまいました。

良かったなテツ!

お前のことをこんなにも想っていてくれた人がいたよ。

嬉しいな!

会いたかったよな!

また遊びたかっただろうな!

私と少年は悲しみを共有し、泣き続けました。

どれくらい時間が経ったのか、少年がポツリポツリと語り始めました。

両親の仲が悪く、家に居たくないことから不良仲間とつるんで犯罪を犯し、昔で言う少年院に入っていたようです。

半年で出られるのに親が引き取り拒否をして、学園という親と一緒に過ごせない子供たちが生活する施設に入っていたようです。

「そうだったのか…色々あったんだね」

話を聞きながら、私は最初に思った。

『なぜ帰って来てそんなに明るい笑顔になったのか』

という疑問について、彼に聞いてみました。

多くを語る少年ではありませんが、その話を精一杯私に話してくれました。

その話があまりに私に衝撃を与え、またとてもかけがえのない素晴らしい人間の愛情を感じたので、ここで紹介をして終わります。

半年の少年院での生活が終わりましたが、両親からの引き取り拒否をされてしまい、寂しい思いのまま学園という施設に行ったそうです。

施設に長期は入れないらしく、3箇所目の施設に行った時の話です。

その施設には4歳から5歳になる小さな男の子が居て、その男の子がとてもその少年に懐いてきたそうです。

最初はびっくりし、どうして良いか分からないままで生活をしていましたが、先生から

「君になついているので、お兄ちゃんみたいにお世話をしてあげなさい」

と言われたそうです。

そして、

「他のお兄ちゃん達には懐かない子だから、大事にしてあげてね」

とも言われました。

その子供は凄く我侭らしく、手を焼いていた時のことです。

一緒にお風呂に入ると、その子供の背中に違和感を感じました。

背中に、何度も同じ所にタバコを押し当てられたような、ケロイド状のアザが沢山あったそうです。

その少年は、その子供のアザを見て涙が出てきたそうです。

こんなにちっちゃいのに、こんなに酷い目に遭ったのか。

どれだけ悲しかっただろう。

どれだけ痛かっただろう。

辛かったろうなあ…。

自分が両親からされたことに比べたら、こんなにちっちゃい子がこんなに可哀想な風になるまで…。

それを考えたら、涙が幾度も幾度も流れてきて、止まらなくなったそうです。

その子供がびっくりしてその少年に聞いたそうです。

「どうしたの、お兄ちゃん」

「ゆうくん、痛かっただろう…」

「うんにゃー覚えてないよ。痛かったかどうかも覚えてないよ」

それを聞いて少年は、涙が止まらなくなったそうです。

僕だけじゃないんだ。

僕だけが辛いんじゃないんだ。

僕だけが悲しいんじゃないんだ。

悲しいなあ、こんなに自分の心は小さかったんだ。

それからは、その少年は子供と仲良く、毎日元気に施設で頑張ったそうです。

明るく笑顔が絶えない、そう言った生活を過ごしたそうです。

そして、その少年がその施設を出る時のことです。

その子供がその少年から離れません。

「お兄ちゃん行かないで」

泣きながらその子供が、その少年にすがりついてくるそうです。

その少年もどうして良いか分からず、たただその子供の目を見つめて抱き締めるだけでした。

すると先生が、

「お兄ちゃんは今から頑張るために行くんだぞ。

大好きなお兄ちゃんが頑張るんだから、ゆうくんもここで頑張んなくっちゃね!

ゆうくんがここで頑張れなかったら、お兄ちゃんは凄く悲しいと思うよ」

するとその子供は、涙を拭き取りながら小さな声で、

「僕がんばる!お兄ちゃん僕がんばる!お兄ちゃん、僕がんばるから!」

すがりついていたその子どもは、お兄ちゃんから一歩離れて、最後は大きな声で言ったそうです。

「僕、泣かないで頑張るからね!」

その少年は堪えていた涙がもう我慢できなくなったそうです。

そして、その場に崩れてしまったそうです。

「よっしゃ!頑張ってこい!」

先生から声をかけられて我に戻り、その場を去って行ったそうです。

そう語り終わった少年の涙はキラキラ輝いていました。

大人の自分がこんなにも頼りないものなのかと、とても反省させられました。

この子たちの信頼関係、出会いと別れ、こんなにも素晴らしい人間としての愛があるのかと。

いつまでも忘れられない思い出として反省し、心を洗われるこの思い出を大切にして行きたいと感じる、1月の寒い夜のことです。

関連記事

ウェディングドレスを着た花嫁

大好きな娘へ

先日、俺の一人娘が嫁に行った。 目に入れても痛くない――。 そう自信を持って断言できるほど愛してきた、一人娘だった。 ※ 結婚式で娘は俺の前に立ち、はにかみな…

家族の手(フリー写真)

いつかの日曜日

私が4歳の時、父と母は離婚した。 当時は祖父母と同居していたため、父が私を引き取った。 母は出て行く日に私を実家へ連れて行った。 家具や荷物が沢山置いてあって、叔母の…

バスの車内(フリー写真)

悪意と善意

10歳の息子がある病気を持っており車椅子生活で、更に投薬の副作用もあり一見ダルマのような体型。 知能レベルは年齢平均のため、尚更何かと辛い思いをして来ている。 ※ …

犬(フリー写真)

盲導犬のサリー

私がかつて知っていた盲導犬のサリーの話です。 サリーはとても頭の良い犬でした。 盲導犬としての訓練を優秀な内容で終え、飼い主さんの元へ預けられました。 サリーは晴れ…

カップル(フリー写真)

二人の幸せ

私は現在20歳です。 今付き合っている彼氏とは、去年の夏にナンパされて知り合った。 彼氏の見た目はいわゆるチャラ男で、それなりに遊んでいる感じ。 絶対好きになんてなら…

親子の手

またあなたの子供になりたい

私が6歳のとき、父が再婚し、新しい母親がやって来ました。 「今日からこの人がお前のお母さんだ」と父が紹介したその日から、彼女は私を本当の子供のように可愛がってくれました。 …

母と娘

余命3ヶ月の母の“最後のおむすび”

僕がかつて看取った患者さんに、スキルス胃がんを患っていた一人の女性がいました。 余命3ヶ月と診断され、彼女はある病院の緩和ケア病棟に入院してきました。 ※ ある日の…

手を繋いで夕日を眺めるカップル(フリー写真)

ずっと並んで歩こうよ

交通事故に遭ってから左半身に少し麻痺が残り、日常生活に困るほどではないけれど、歩くとおかしいのがばれる。 付き合い始めの頃、それを気にして一歩下がるように歩いていた私に気付き、手…

たんぽぽを持つ手(フリー写真)

あした

私の甥っ子は、母親である妹が病気で入院した時に、暫くパパママと離れて実家の父母の家に預けられていました。 「ままがびょうきだから、おとまりさせてね」 と言いながら、小さな体…

小石(フリー写真)

大切な石

私の母の話です。 私には三歳年下の弟が一人います。 姉の私から見ても、とても人懐っこく優しい性格の弟は、誰からも好かれるとても可愛い少年でした。 母は弟を溺愛してお…