生きることの大切さ

公開日: ちょっと切ない話 | 長編

夕日(フリー写真)

ガンダム芸人の若井おさむさん。

彼は幼い頃から日常的に、兄と母親から相当な虐待を受けていました。

それは彼が20代前半の頃までずっと続きました。

それに耐えかねた若井は自宅を離れ、小さな居酒屋を始めることにします。

開店費用は父親が出資してくれました。

気の小さい父親だったそうですが、父親は若井の味方でした。

実は若井がずっと家を出るのを躊躇していたのは、この父親のことを気にしていたからなのです。

心配ではあった彼ですが、生家を離れて新しい生活を始めることが出来ました。

そして「早く離婚して自分のように離れた方がいい」と父親に強く伝えました。

それから数年後のことです。

若井は、父親が兄と母親から暴力を振るわれているということを耳にします。

案の定、若井が居なくなったことで虐待する対象がなくなったため、父親に標的を移したという訳です。

若井はすぐ、一刻も早くあの場から離れた方が良いと勧めます。

前から言ってはいたのですが、なかなか決断できない父親に対し「本当にいい加減に離婚した方がいい」と強く言ったのです。

それから数日後、父親が若井の元を訪ねて来て、ついに「離婚することに決めた」と報告をします。

安堵した若井ですが、その日の夜の出来事でした。

その父親が首を吊って亡くなってしまったのです。

彼に報告して来た後、自ら命を絶ってしまいました。

父親の葬儀、親戚などが居る前で、若井は兄と母親に

「お前らが父さんを殺したんや!!」

と訴えました。

しかし母親方の親族達には全く取り合ってもらえず、何も理解されないまま葬儀はただ終わって行きます。

その後の遺産相続のことなどあったのですが、若井はもう関わりたくもないと思ったのでしょうか。

自分から父親の財産相続等の全てを放棄する旨を念書に書き、母親らに渡します。

相続は自ら放棄した若井だったのですが、居酒屋の件が残っていました。

ここで追い打ちをかけるように、あの居酒屋さえも母親方に奪われてしまいます。

あの居酒屋の出資者は父親であったため、権利は父親名義のままだったのです。

その頃にはかなり繁盛していた店だったにも関わらず、若井は全てを失ってしまいました。

若井は途方に暮れて、絶望します。

その後、若井おさむは、東南アジアの方に一人旅を始めます。

リュックの中にはロープを入れて。

彼は最後に、死に場所を探すための旅に出たのです。

約数ヶ月間、放浪した後、現地で日本人観光客と出会います。

少し話などをして、何となくふと

「今、日本では何が流行ってるんですか」

と聞いたそうです。すると、

「うーん、そうですねー。あ、ダウンタウンの松本人志さんがドラマに出てますね」

「…え?」

若井は驚きました。

彼は熱心な松本ファンで、テレビ、ラジオ、本などは欠かさずチェックしているほど大好きだったのです。

だからこそ、松本が以前から

「ドラマや映画などは絶対にやらない。笑い一本」

ということを知っていたので、とても信じられない情報でした。

もう死ぬことは決めていたのですが、そのことが気になった若井は一旦日本へ帰り、本当かどうかだけ確認しに行くことにしました。

『松本さんがドラマをやるはずがない』

またすぐ戻るつもりで、取り敢えず松本さんのドラマの件だけは確かめておこうと、一旦日本に帰国しました。

帰国してすぐにテレビを点け、ドラマが放送する時間を待ちます。

すると『伝説の教師』というドラマが放送されていました。

あの観光客が言った通り、松本人志が主演で、中居正広と一緒にドラマに出ていたのです。

『本当だった!』

と驚く若井はドラマに見入っていたのですが、この放送が第8話。

奇しくも、自殺をテーマにした話だったのです。

『自殺は絶対にしてはいけない』

というメッセージを込めた話をたまたま会った観光客から聞いて、帰って来てすぐ見た回が偶然、自殺の回だったのです。

若井おさむはテレビの前で一人号泣し、自殺を思い留まったそうです。

その後、松本人志に憧れてお笑いの道を志し、NSC(吉本お笑い養成所)に入り、芸人になりました。

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