私はおばあちゃんの子だよ

祖母の指には、いつも潮と糸の匂いがしみついていました。

年老いてからは関節がいくつも曲がり、爪のあいだには細かな糸くずが入り込んでいて、私は子どもの頃から、その節くれだった指を握るのが何より好きでした。

私は幼い頃に両親が別れ、海沿いの小さな町で、母方の祖母にひとり引き取られて育てられました。

町は坂の多いところで、家々は急な斜面にしがみつくように建ち、どの窓を開けても、その向こうには鈍い灰色の海が広がっていました。

朝になると漁船のエンジン音が谷あいにこだまし、昼には潮が引いて磯の匂いが立ちのぼり、夕方には路地という路地から魚を焼く煙がのぼる、そういう町でした。

祖母は浜の網元から繕い物を一手に請け負う、町でただ一人のお針子でした。

塩で傷んだ前掛けも、潮風に擦り切れた合羽も、漁師たちの破れた仕事着も、祖母の手にかかると、不思議と新しいもののように甦りました。

夜、裸電球の下で祖母が針を運ぶ音は、しゅっ、しゅっ、と規則正しく、幼い私にとっては、それがそのまま子守唄のようなものでした。

都会で生まれた私は、この町では何もかもが周りと違っていました。

言葉のなまりも、着ているものの仕立ても、足元のゴム長靴の色さえ、近所の子たちとはどこか揃いませんでした。

祖母はそのことを誰よりも気にかけ、この子がこの町でうまくやっていけるだろうかと、口には出さずとも、いつも案じていたのです。

はじめの頃、私は夜になると母を思い出して泣きました。

そんなとき祖母は、決まって私を背負って、暗い浜辺まで歩いてくれました。

「ほら、海の音をお聞き。あれはね、世界中の悲しいことを、ぜんぶ引き取ってくれているんだよ」

波の音を聞いているうちに、私はいつのまにか眠ってしまうのでした。

冬になると、町には北西の風がまともに吹きつけ、海は荒れて、白い波頭が牙のように立ちました。

そんな夜は、祖母が火鉢に網をのせて、小さな餅を焼いてくれました。

「ほら、よく焼けた。熱いから気をつけてお食べ」

ふくらんだ餅に醤油をたらすと、香ばしい匂いが、せまい部屋いっぱいに広がりました。

祖母は自分の餅を、いつもそっと私の皿にのせてくれました。

「おばあちゃんは、おまえが食べるのを見ているだけで、もうお腹がいっぱいになるんだよ」

祖母とふたり、火鉢を囲んで餅を頬張った冬の夜のことを、私は今でも、いちばん豊かな時間として思い出します。

私が小学校へ上がる、その春のことでした。

入学の前の晩、祖母は夜が更けてもなお、針を動かしていました。

はぎれを丁寧に継ぎ合わせ、色とりどりのお手玉を、いくつもいくつも縫っていたのです。

赤い布には小豆を、青い布には乾いた数珠玉を入れ、ひとつずつ手のひらで重さを確かめながら、口をきっちりと閉じていきました。

「同じ組になる子に、ひとつずつ配ろうね」

祖母はそう言って、私の頭をそっとなでました。

「みんなが、おまえの友だちになってくれますようにって、お願いしながら縫ったんだよ」

その手は節くれだっていて、けれど驚くほど温かかったことを、今でもはっきりと覚えています。

私はできあがったお手玉を畳の上にずらりと並べ、どれが一番かわいいかと、祖母と二人、夜更けまで品定めをしました。

今になって思えば、あれは祖母なりの、不器用で精一杯の祈りだったのでしょう。

入学の朝、祖母は集団登校の集合場所まで、私と手をつないで坂を下りてくれました。

そして集まった近所の子の母親たちに、一人ずつ、深く頭を下げて回ったのです。

「うちの孫を、どうぞよろしくお願いします。よその子と違うところもありますが、仲良くしてやってくださいね」

小さなお手玉を、両手で包むようにして、ひとつずつ手渡していました。

その背中が、春の白い光の中で、ずいぶんと小さく見えたのを、私は生涯忘れることがないでしょう。

学校から無事に帰り、私は土間で祖母と、その日にあったことを話していました。

「先生がね、やさしかったよ。それから、お弁当の卵焼きが、すごくおいしかった」

そう話していると、玄関先に、見知らぬ女の人がぬっと立ちました。

その朝、お手玉を渡した子の、母親でした。

「これ、お宅が配ったんでしょう。正直に言いますけど、迷惑なんですよ」

女の人は、お手玉をひとつ、框の上に音を立てて置きました。

「こんなことをされる筋合いはありませんし、なんだか気味が悪いんです」

祖母は何度も何度も頭を下げ、ただ仲良くしてやってほしかっただけなのだと、たどたどしい言葉で説明していました。

けれど、その人は最後まで表情ひとつ変えず、置いていったお手玉から目をそらすようにして、背を向けて坂を上っていきました。

私は柱の陰から、息を殺して、その一部始終をじっと見ていました。

女の人の足音が遠ざかると、祖母は框に、ゆっくりと座り込みました。

そして、肩を小さく震わせていたのです。

声を立てまいとして、それでもどうしても漏れてしまう、低い、低い泣き声でした。

私が駆け寄って背中をさすると、祖母は慌てて前掛けの裾で目元をぬぐいました。

「大丈夫だよ。なんでもないんだ」

「おまえに友だちができるか、いじめられやしないか、それを思うと、涙が勝手に出てきただけだから」

そう言って祖母は、こちらを安心させようと、無理に笑ってみせました。

その夜、私は布団のなかで、何もかも自分のせいなのだと思いました。

自分がこの家に来さえしなければ、祖母はこんなふうに泣かずにすんだのに、と。

それから祖母は、毎朝、判で押したように同じことを尋ねるようになりました。

「友だちはできたかい。いじめられてはいないかい」

私はいつも、同じ嘘を返しました。

「うん、友だちいっぱいできたよ。今日はみんなで、浜で鬼ごっこをするんだ」

本当は、私は毎日いじめられていました。

「親なし」

「おまえと口をきくと悪い子がうつるって、母ちゃんが言ってた。だからあっちへ行け」

教室ではそう言われ、上履きを隠され、机のなかにそっと小石を入れられる日もありました。

祖母が配ったはずのお手玉は、いつのまにか校庭の隅の、雨どいの下に投げ捨てられていました。

泥にまみれて色の変わったそれを、私は誰にも見られないように拾い、ランドセルのいちばん底に隠して、家まで持ち帰りました。

祖母が夜なべして縫ってくれたものを、泥のなかに置き去りにすることだけは、どうしてもできなかったのです。

けれど、いじめられているということだけは、口が裂けても言えませんでした。

そんなことを言えば、祖母がまた、あの低い声で泣くと、子ども心にもわかっていたからです。

夜ごと、私は布団を頭からすっぽりかぶって、声を殺して泣きました。

なぜ、自分だけがこんな思いをするのだろうと思いました。

なぜ生まれてきたのだろう、なぜ、と何度問うても、暗い天井は、ついぞ何も答えてはくれませんでした。

梅雨の晴れ間の、ある蒸し暑い日のことでした。

学校から帰ると、祖母が土間で私を待ち構えていて、玄関を入るなり、いきなり強く抱きしめました。

「ごめんね。ちっとも気づいてやれなくて、本当に、ごめんね」

祖母の前掛けは、いつもの潮と糸の匂いがして、その日はなぜか、少し湿っていました。

どうやら近所の人が、私が毎日いじめられている様子を見かねて、祖母にそっと話したのだそうです。

私も、わけもわからないまま、祖母の細い腕のなかで、声をあげて一緒に泣きました。

あのとき祖母が背負っていた痛みは、私自身のそれよりも、きっとずっと深いものだったのだと、今ならわかります。

次の朝、祖母は何も言わずに、泥で固まったお手玉をひとつひとつ解いて洗い、なかの小豆を縁側で干し、色あせた布を、新しいはぎれで継ぎ直していました。

「捨てずに、ちゃんと持って帰ってきて、えらかったね」

祖母はそうとだけ言って、また私の頭を、ゆっくりと、いつまでもなでてくれました。

その日から、私は祖母の隣に座って、針の持ち方を一から教わるようになりました。

「玉結びはね、慌てちゃだめだよ。糸に、ちゃんとお願いしながら結ぶんだ」

曲がった指で、ゆっくりと見せてくれる祖母の手つきを、私は飽きもせず、いつまでも眺めていました。

指に針を刺して血がにじむたび、祖母は自分の口でその指を含んでくれました。

その温かさを、私は今でも指先に覚えています。

祖母の繕い物は、浜の漁師たちのあいだで、ちょっとした評判でした。

ある朝、年老いた漁師が、擦り切れた仕事着を抱えて訪ねてきました。

「ばあさん、これをまた、あんたの手で直しちゃもらえねえか。この上着じゃねえと、どうも沖で力が出ねえんだ」

祖母は嬉しそうにそれを受け取り、その日のうちに、夜なべして直してしまいました。

翌朝、上着を受け取った漁師は、わざわざ獲れたての魚を一籠、置いていってくれました。

「あんたの縫い目は、丈夫で、それでいて、なんだか温けえんだよ」

その言葉を聞いたときの祖母の横顔を、私は誇らしい気持ちで見上げていました。

その年の秋、浜では大きな祭りがありました。

祖母は私のために、紺地に白い波模様の甚平を、私には内緒で、こっそり縫ってくれていました。

「町の子に負けないように、いっとう上等な反物で仕立てたよ」

祭りの晩、私は生まれて初めて、同じ組の子と肩を並べて、提灯を持って参道を歩きました。

屋台のあかりに照らされた夜の海は、昼間の鈍い灰色とはまるで別もので、金色の光をちらちらと揺らしていました。

以前、私をいじめていた子のひとりが、私の甚平をじっと見つめて、ぽつりと言いました。

「それ、いいな。どこで買ったんだ」

「買ったんじゃないよ。おばあちゃんが、縫ってくれたんだ」

そう答えると、その子はしばらく黙ったあと、「……すげえな」と、小さくつぶやきました。

たったそれだけのことが、当時の私には、飛び上がるほど嬉しかったのです。

家に帰ってそのことを話すと、祖母は針箱の前で、またしても少しだけ泣きました。

けれど今度は、笑いながら泣いていました。

「よかった。本当に、よかったねえ」

翌年から、私はその子と、毎朝一緒に坂を下りて学校へ通うようになりました。

いじめは、潮が引くように、いつのまにか消えていきました。

私が中学生になる頃には、祖母の目はずいぶん遠くなっていました。

細い針の穴に糸を通すのに、何度も手元を裸電球に近づけては、ため息をついていました。

「目さえよければ、まだまだ縫えるんだけどねえ」

そのつぶやきを聞いてから、私は学校から帰ると、まず祖母の針に、何本もまとめて糸を通してあげるようになりました。

「おまえの目は、よく見えていいねえ」

祖母はそう言って笑いましたが、私には、それが少し寂しそうな笑顔に見えました。

幼い頃に守られていた私が、今度はほんの少しだけ、祖母を支えられる側になったのだと、子ども心に思いました。

歳月は、沖を流れる潮のように、静かに、けれど確かに過ぎていきました。

私が町を出て、よその街で働くようになる頃には、祖母はすっかり年老いていました。

指の節はいっそう深く曲がり、もう細い針に糸を通すことさえ、できなくなっていました。

初めて給料をもらった月、私は祖母に、明るい色の老眼鏡を買って送りました。

電話の向こうで、祖母は子どものようにはしゃいでいました。

「これがあれば、また針が持てる。ありがとうねえ、ありがとうねえ」

その眼鏡をかけて、祖母はまた少しずつ、近所の繕い物を引き受けるようになったそうです。

私が送ったものが、祖母の手にもう一度、針を持たせたのだと思うと、胸がいっぱいになりました。

町を出る朝、バス停まで見送りに来た祖母は、手作りの巾着を私の手に握らせました。

「困ったときには、これを開けてごらん。なかにお守りが入ってるからね」

あとで開けてみると、なかには、あのお手玉がひとつ、小さく縫い直されて入っていました。

やがて祖母は物忘れが始まり、さっき話したばかりのことを、何度も繰り返し尋ねるようになりました。

私は離れて暮らしていたので、三日に一度は必ず電話をかけ、折に触れて手紙を書きました。

便箋の隅には、いつもあのお手玉の絵を、相変わらず下手なまま、小さく添えました。

祖母はその手紙を、簞笥のいちばん上の引き出しに、一通も捨てずにしまっているのだと、伯母から聞きました。

電話のたびに、祖母は決まって、同じことを言いました。

「ちゃんと食べてるかい。風邪をひいてないかい。無理をしてはいけないよ」

心配する相手が、いつまでたっても私のままだったことが、なぜだか、たまらなく胸に沁みました。

その年の暮れ、祖母が体調を崩し、私は久しぶりに町へ帰りました。

病室の窓からも、やはりあの灰色の海が見えました。

祖母は痩せた手で、私の手をそっと包みました。

「よく来てくれたねえ。寒かっただろう」

その手は、昔のように糸の匂いはしませんでしたが、変わらず温かいままでした。

「おばあちゃん、覚えてる。小さい頃、お手玉を縫ってくれたこと」

私が尋ねると、祖母は少し首をかしげてから、ふっと笑いました。

「お手玉なら、いくつでも縫ってあげるよ。おまえに、友だちがたくさんできるように」

記憶は薄れていても、その祈りだけは、祖母のなかに、ちゃんと残っているのだと知りました。

祖母が世を去る、ほんの少し前のことです。

いつものように電話で他愛のない話をしていると、祖母がふと、ためらいがちに、こう尋ねました。

「あんたは……わたしが、産んだ子だったかねえ」

私は受話器を握りしめ、ひと呼吸おいて、それから迷わず答えました。

「うん、そうだよ。私はおばあちゃんの子だよ」

少しの沈黙のあと、祖母は心の底から安心したように、ゆっくりと、噛みしめるように言いました。

「そうだったねえ。わたしが産んだ、かわいい、かわいい子だ」

血はつながっていなくても、ずっと実の子として育ててくれた祖母でした。

その記憶が静かに薄れていく、最後の最後に、私はようやく、本当に祖母の子になれたのだと思います。

祖母の葬儀の日、あの簞笥のいちばん上の引き出しから、私の手紙の束と、洗い直されたお手玉が、ひとつだけ出てきました。

泥のしみは、もうどこにも残っていませんでした。

ただ、潮と糸の、あの懐かしい匂いだけが、布のなかに、かすかに残っていました。

束ねられた手紙は、日付の順にきちんと揃えられ、便箋の隅の下手なお手玉の絵には、どれにも祖母の指のあとが、薄く残っていました。

何度も開いては、なぞるように見ていたのでしょう。

私はその手紙の束を胸に抱え、ひとり、あの浜辺まで歩きました。

冬の海は相変わらず荒れていて、白い波が、世界中の悲しいことを引き取るように、寄せては返していました。

おばあちゃん。

あなたの子で、私は本当に、本当に幸せでした。

たくさん繕って、たくさん愛して育ててくれて、ありがとうございました。

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