手作りのアルバム

うちは、母ひとり子ひとりの、貧しい家だった。

父は、私が生まれてすぐに病で逝き、写真の一枚も残っていない。

下町の古い長屋の、日の差さない一間で、私と母は身を寄せ合って暮らしていた。

壁は薄く、冬は隙間風が入り、夏は路地の生ぬるい空気がよどんだ。

それでも母は、いつも背筋を伸ばして、針を動かしていた。

カメラを買う余裕など、もちろん、どこにもなかった。

だから母は、私の育っていく姿を、別のやり方で残そうとした。

古い晒し布に、針と糸で、私の姿を一枚ずつ縫い取ったのだ。

母は、近所の仕立て物を請け負う、お針子の内職で生計を立てていた。

昼は他人の着物を縫い、夜なべでまた他人の繕い物をする。

そして、すべての仕事を終えた夜更けに、母は最後に必ず、私の布を一枚縫った。

裸電球の下で、糸を通す母の横顔を、私は布団の中から、よく見ていた。

長屋には、似たような暮らしの家が、軒を連ねていた。

隣のおかみさんは、よく欠けた茶碗に味噌を分けてくれた。

みんな貧しかったが、その分、互いの暮らしに、そっと手を添え合っていた。

母は、よその子の繕い物まで、頼まれれば嫌な顔ひとつせず引き受けた。

「困ったときは、お互いさまよ」が、母の口癖だった。

そんな母の手は、いつも針だこで、ごつごつとしていた。

その手で頭を撫でられると、ちくりとして、けれど、たまらなく安心した。

はいはいをする私。

初めて二本の足で立った私。

熱を出して泣いている私。

母は、その日その日の私を、不器用な運針で、布の上に写し取った。

決して上手な刺繍ではなかった。

顔は歪み、手足の長さもまちまちで、ときには首が妙に長かったりした。

それでも母は、どうにかして私の今日を、形に残しておきたかったのだという。

布の隅には、母の手で、小さな文字も縫い取られていた。

「きょうは ひとりで たった」

「ねつを だして ぐずる ばんでした」

「はじめて おかあさんと よんでくれた」

そんな一行が、ひと針ひと針、たどたどしい運針で添えてあった。

平仮名ばかりの、けれど真心のこもった、母だけの記録だった。

私が熱を出した夜、母は仕事を放り出して、一晩中、私の額の手拭いを替え続けた。

朝になって熱が下がると、母は安心したのか、針箱の前で、こくりと舟を漕いでいた。

その日の布には、「ねつが さがって ほっとした あさ」と、縫い取られていた。

母は、私の苦しみも、自分の安堵も、ぜんぶ糸にして、布に残していたのだ。

今思えば、あの布の一枚一枚が、母の日記でもあったのだろう。

その布が、ひと月ふた月と重なって、母の針箱の底で、分厚い束になっていった。

年に一度、私の誕生日になると、母はその束を取り出して、二人で広げた。

「ほら、この頃はこんなに小さかったんよ」と、母は嬉しそうに笑った。

私も、自分の知らない自分の姿を見るのが、なんだか不思議で、好きだった。

それは、貧しい我が家にあった、たった一つの贅沢だった。

ところが、小学四年生の春のことだ。

学校から、友達数人を、家に連れて帰った日があった。

狭い長屋を珍しがって、友達は部屋のあちこちを覗き込んだ。

そして、押し入れの隅に積んであった、あの布の束を見つけてしまった。

止める間もなく、友達はそれを引っぱり出して、広げた。

赤ん坊の私の、歪んだ刺繍と、平仮名の文字。

友達は、それを回し読みして、げらげらと笑い出した。

「なにこれ、へたくそ」

「写真も撮れないくらい、貧乏なの?」

笑い声と、貧乏という言葉が、狭い部屋に響いた。

私は、顔から血の気が引いていくのを感じた。

ただ、笑われたくない、その一心で、私は何も言えずに、うつむいていた。

友達が帰ったあと、部屋には、私一人が残された。

胸の奥で、恥ずかしさと、惨めさが、ぐるぐると渦を巻いていた。

私は、かっとなって、その布の束を抱え込んだ。

縫い目に指をかけ、一枚、また一枚と、力任せに引き裂いた。

ぶつ、ぶつ、と、母の縫った糸が、音を立てて切れていく。

歪んだ私の顔が、平仮名の文字が、ばらばらに裂けていった。

裂いた布きれを、私は屑入れに、乱暴に突っ込んだ。

これさえなければ、もう誰にも笑われずに済む。

これさえなければ、貧乏だと、馬鹿にされずに済む。

子どもの私は、本気で、そう思い込んでいた。

破り終えると、息が上がって、手が小刻みに震えていた。

それでも、すっきりなどは、少しもしなかった。

夕方、仕立て上がった品を届けに行っていた母が、帰ってきた。

ただいま、と言いかけた母の声が、屑入れの前で、ふつりと止まった。

はみ出した布きれを見つけて、母は、その場に立ち尽くした。

そして、声を上げずに、ぽろぽろと、涙をこぼし始めた。

私は、叱られるのが怖くて、笑われたから裂いたのだと、つっかえながら言い訳した。

けれど母は、ただ首を横に振って、泣き続けるばかりだった。

その晩、母は、いつものように夕餉の支度をした。

私を叱ることも、責めることも、なかった。

ただ、いつもより口数が少なく、目が赤かった。

私も、自分のしたことの大きさが分からないまま、布団に潜って眠った。

母の悲しみの深さを、その夜の私は、まだ何も分かっていなかった。

夜中に、ふと目を覚ました。

茶の間にだけ、まだ、ぼんやりと灯りがついていた。

襖の隙間から覗くと、母が背を丸めて、何かをしていた。

屑入れから拾い集めた布きれを、畳の上に、一枚ずつ並べていたのだ。

そして、裂けた縫い目に細い糸を通し、もう一度、根気よく綴じ合わせていた。

切れて読めなくなった平仮名を、母は元の形を思い出しながら、縫い直していた。

傍らには、私が引きちぎった糸くずまでが、捨てられずに、小皿に取ってあった。

昼の仕事で疲れ切っているはずの母の指が、休むことなく動いていた。

その指は、長年の運針で、節くれだって硬くなっていた。

母の指が、震えながら、私の幼い日々を、もう一度この世に繋ぎとめていた。

裸電球の灯りの中で、母の影が、壁の上で静かに揺れていた。

私は、襖の陰で、声も出せずに、その背中を見ていた。

自分が引き裂いたものが、どれほど大切なものだったのか。

母が、何を縫い続けてきたのか。

その意味が、ようやく、子どもの胸にも届き始めていた。

けれど、声をかける勇気がなくて、私はそっと、布団に戻った。

枕に顔を埋めて、声を殺して、泣いた。

翌朝、目を腫らした母が、繕い終えた布の束を、私の前に、そっと置いた。

ひと晩かけて、母はそのほとんどを、繋ぎ直していた。

そして、申し訳なさそうに、こう言った。

「恥ずかしい思いを、させてしもうたね。ごめんね」

叱られると思っていた私は、その言葉に、かえって胸を突かれた。

母は、自分が悪いのだと、本気で詫びていた。

「でもね」と、母は繋ぎ直した布を、両手で、そっと撫でた。

「母さんはね、カメラを買うてやれんかった代わりに、これを縫うてきたんよ」

「下手くそでも、これが、母さんの、たった一つの宝物なんよ」

これは、母さんの、たった一つの宝物なんよ。

その言葉を聞いた瞬間、堪えきれずに、涙が溢れ出した。

私は布の束に顔を伏せて、ごめんなさい、ごめんなさい、と、それだけを繰り返した。

翌日、学校で、私は友達と目を合わせられなかった。

貧乏、という言葉が、耳の奥で、まだ鳴り続けていた。

家に帰る道々、私は、母の布のことばかり考えていた。

あれを縫う母の、夜なべの横顔を思い出すと、胸が締めつけられた。

それなのに私は、その大切なものを、自分の手で引き裂いてしまったのだ。

母は、節くれだった手で、私の頭を、何度も、何度も撫でてくれた。

泣かんでええ、もう、ええんよ、と、優しく言いながら。

布を綴じる母の指は、糸を引くたびに、小さく上下した。

針の穴に糸を通すとき、母はいつも、灯りに目を細めていた。

通らないと、唇を湿らせて糸の先をより合わせ、また挑む。

その仕草を、私は何百回となく、布団の中から眺めて育った。

母にとって縫うことは、暮らしを支える手段であり、私への愛の言葉でもあった。

その手のひらの温もりを、私は今でも、はっきりと覚えている。

貧しさは、確かに、子ども心には恥ずかしいものだった。

けれど母は、その貧しさの中でこそ、いちばん豊かなものを縫い続けていた。

お金で買える写真の代わりに、時間と、まなざしと、祈りを、糸に込めて。

あの朝、私は、貧しさよりも恥ずかしいものなど、何一つないのだと知った。

母が縫い続けてくれたものこそが、世界で一番、誇らしいものだったのだ。

裂いた布の縫い目は、今もその束に、いびつな線になって残っている。

母が繕い直したその不揃いの縫い目こそが、あの夜の母の祈りそのものだ。

母は、お金も、写真も、何も持っていなかった。

けれど、何も持たない母が縫い続けた一針一針こそが、私の受け継いだ、いちばんの財産だった。

それは、どんな立派なアルバムよりも、温かく、揺るぎないものだった。

それからの母は、相変わらず、夜なべで針を動かし続けた。

ただ、あの日を境に、私はもう二度と、母の布を恥じることはなかった。

友達に何を言われても、あれは母の宝物なのだと、胸の中で言い返せるようになった。

私が中学に上がる頃、母の目は、細かい運針で、ずいぶん弱っていた。

それでも母は、私の節目節目を、震える手で、布に縫い続けてくれた。

入学の日、初めて給料をもらった日、私が独り立ちして家を出た日。

母の最後の一枚には、「ひとりで やっていけるね もう だいじょうぶ」と、縫い取られていた。

母は、私が一人前になるのを見届けるように、静かに逝った。

葬儀のあと、簞笥を片づけていて、私はあの分厚い布の束を見つけた。

裂けて、繕い直された、いびつな縫い目のある束を。

私はそれを胸に抱いて、誰もいなくなった長屋で、声を上げて泣いた。

あの夜、母がひと針ひと針、繋ぎ直してくれた意味が、今こそ、痛いほど分かった。

私は今も、あの分厚い布の束を、簞笥のいちばん奥に、大切にしまっている。

繕い跡のある一枚を広げると、たどたどしい刺繍の私が、こちらを見上げて笑っている。

隣には、平仮名で、あの日の私の様子が、母の字で綴られている。

写真の一枚もない我が家に、母は、糸で描いた何十枚もの私を、残してくれた。

私にも、やがて子が生まれた。

初めて我が子を抱いたとき、私の手は、写真を撮るより先に、針箱を探していた。

母の血が、こんなところにも流れているのかと、おかしくなった。

結局うまくは縫えなかったけれど、私は今でも、子の節目を、自分の手で何か残そうとしてしまう。

母が遺した一針一針が、私の中に、確かに受け継がれている。

形に残すというのは、きっと、忘れたくないという祈りなのだ。

母は、その祈り方を、貧しさの中で、私に教えてくれていたのだ。

恥じて裂いてしまった、あの日の幼い私に、今なら、言ってやれる。

長屋はとうに取り壊され、今はもう、跡形もない。

あの日の路地も、隙間風の鳴る一間も、写真には残っていない。

それでも、母が縫ってくれた布の束だけは、私の手元に確かにある。

目を閉じれば、裸電球の下で針を動かす、母の横顔が浮かぶ。

ちくちくと、布を綴じていく、あの音まで聞こえてくる気がする。

それは、世界でいちばん豊かな、母の手だったのだと。

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