せかいでいちばんのしあわせ

押入れの上の段に、菓子の空き箱がひとつある。

蓋に、油性ペンで「みずき」とだけ書いてある。

中身は、子ども用の手袋が七組。

いちばん小さいのは、私の今の手のひらに載ってしまう。

いちばん大きいのは、小学校の中学年くらいだろうか。

どれも同じ生成りの毛糸で、同じ形をしている。

ただ、どれも右手の親指だけが、ほんの少し太い。

その理由を、私は二十八になるまで知らなかった。

私が育ったのは、讃岐の東のはずれ、海沿いの小さな町だ。

手袋の町だった。

大きな工場が二つ、小さな縫製場が数えきれないほどあって、朝になると、あちこちの家からミシンの音が聞こえた。

音の高さが家ごとに違うので、目をつぶっていても、どのあたりを歩いているのか分かった。

冬になると、町のどこを歩いても、羊毛の匂いがした。

湿った毛と、機械の油と、糊の混ざった匂いだ。

今でもその匂いがすると、私は反射的に、右の手のひらを開いてしまう。

手袋を差し出されるのを待つ癖が、まだ残っている。

母は、そのうちのひとつで働いていた。

手袋づくりには、工程がいくつもある。

裁つ人。

指を縫う人。

甲を合わせる人。

母の仕事は、いちばん最後に、親指を付けることだった。

父はその工場で、革を裁つほうをしていた。

二人が並んで働いていたところを、私は写真でしか知らない。

母の指には、いつも小さな傷があった。

針の先が滑ると、爪の脇に赤い点ができる。

母はそれを舐めて、また縫った。

家に帰ってきても、右手の中指には金物の指ぬきが嵌まったままのことがあった。

「おかあさん、ゆびわ」

「これはお仕事のやつ」

「みずきもほしい」

母は笑って、私の指に嵌めてくれた。

ずり落ちて、畳の上で二度跳ねた音を、いまでも覚えている。

日曜の午後、母はよく、私の手を紙の上に置かせた。

鉛筆で、指の形をなぞる。

くすぐったくて、私は毎回、手を引っ込めた。

「動かしたら、合わんようになるよ」

「なにが」

「なんでもない」

母はそのたび、紙を裏返して、また新しい線を引いた。

母が入院したのは、私が幼稚園の年中に上がった春だった。

病気の名前を、父は最後まで私に言わなかった。

幼稚園から帰ると、隣の八重さんの家に預けられる日が増えた。

八重さんは母と同じ工場の人で、口が悪かった。

「あんたのお母さんはな、仕事はええけど、しゃべるのが遅い」

「なんで」

「考えすぎるんや。考えとる間に、こっちは三枚縫うとる」

そう言いながら、八重さんは私に、いつも茹でた素麺を出した。

夏でも冬でも素麺だった。

母の見舞いに行けたのは、月に一度か二度だ。

病院の廊下は、消毒の匂いと、床のワックスの匂いがした。

母はベッドの上で、たいてい何か書いていた。

私が入っていくと、あわてて、それを枕の下に入れた。

「なに書いとるん」

「お仕事」

「おかあさん、お仕事おやすみやろ」

「そうやね」

母は笑って、それ以上は何も言わなかった。

いちど、母がベッドの上で、私の右手を取ったことがある。

手のひらではなく、親指だけを、指の付け根から爪の先まで、ゆっくりなぞった。

「みずきの親指、大きうなったね」

「ふとった?」

「太ったんとちがう。育ったんよ」

母は、枕元のノートに何か書きつけた。

数字だったと思う。

私はそのとき、窓の外の給水塔を数えていて、母の手元を見ていなかった。

あのノートが、その後どこへいったのかは分からない。

母が亡くなったのは、その年の冬だ。

私は五歳で、告別式のことは断片しか覚えていない。

覚えているのは、父が私の手をずっと握っていて、その手が、途中から冷たくなっていったことくらいだ。

四十九日が済んだ夜、父が茶の間で、一枚の紙を私の前に置いた。

白い便箋だった。

ひらがなばかりが並んでいた。

当時の私は、ひらがなを覚えたてだった。

指で押さえながら、声に出して読んだ。

みずきが おかあさんの おなかに きてくれた あの ひから ずっと

おかあさんは せかいで いちばんの しあわせを みずきから もらって います

おかあさんの だいすきな だいすきな みずきへ

こんどは みずきが せかいで いちばん しあわせに なってね

読み終わってから、私は父に訊いた。

「おかあさん、かんじ、わすれたん」

父は何も答えなかった。

台所に立って、水を出しっぱなしにしていた。

小学校に上がった冬、父が押入れから手袋をひとつ出してきた。

生成りの毛糸で、指が五本ちゃんと分かれていた。

その頃の子どもの手袋は、たいてい親指と四本指だけのものだった。

五本に分かれた手袋を着けている子は、学年に私しかいなかった。

「これ、どこで買うたん」

「買うとらん」

父はそれだけ言って、私の袖口を引き下ろした。

翌年の冬も、その次の冬も、父は同じように押入れから手袋を出した。

不思議なことに、毎年ちょうど、手に合った。

三年生のとき、友達に「毎年おそろいやな」と言われた。

おそろいではない。

そう言い返せばよかったのに、私は黙っていた。

手の甲を机の下に隠して、その日の休み時間をやり過ごした。

同じ形の、少しずつ大きい手袋だった。

四年生の冬に、私は父に、もう手袋はいらないと言った。

クラスで五本指を着けているのが恥ずかしかったからだ。

父は「そうか」とだけ言った。

その年から、押入れの箱は開かなくなった。

それから二十三年、私と父の二人暮らしが続いた。

父は不器用な人だった。

卵焼きは、いつも真ん中だけが半熟で、端が焦げていた。

参観日には、必ず作業着のズボンのまま来た。

それでも、私が高校を出るまで、朝の弁当を一度も休まなかった。

手袋の仕事は、少しずつ細くなっていった。

工場が閉じ、父は別の会社の倉庫に移った。

町から、朝のミシンの音が減っていった。

母のいた縫製場が閉まった日、私は高校一年だった。

最後の日に、八重さんが機械の油を拭いているのを、道から見た。

誰も見ていないと思っていたのだろう。

八重さんは、テーブルの角を、何度も何度も拭いていた。

その年の秋、進路のことで父と揉めた。

私は県外の大学に行きたいと言い、父は地元で働けと言った。

言い合いになって、私は「お母さんがおったら分かってくれた」と言ってしまった。

父は黙って、台所へ立った。

それから三日、家の中でひとことも交わさなかった。

四日目の朝、弁当の卵焼きが、初めてきれいに巻けていた。

端も焦げていなかった。

私は、その卵焼きを、教室でひとりで食べた。

あとで八重さんに聞いた話では、父はその三日間、毎晩、八重さんの家に来ていたらしい。

卵の巻き方を教わっていたのだという。

「あんたの父さんな、フライパンを三回焦がした」

「なんで教えたん」

「頼まれたけん。しゃべるのが遅いんは、あの人も一緒や」

結局、大学へは行かず、高松の会社に入った。

それを後悔したことは、一度もない。

私は高校を出て、高松の会社に勤めた。

去年の春、同じ会社の人と、一緒になる約束をした。

その報告をした晩、父は「そうか」とだけ言って、それから三十分、黙って新聞を見ていた。

読んでいなかったと思う。

ページを、一度もめくらなかったから。

相手を家に連れてきた日、父より先に、八重さんが上がり込んできた。

そして、彼の手を取って、ひっくり返した。

「手が薄いな。力仕事はせんな?」

「事務です」

「ほな、みずきの荷物は持てんな」

彼が困った顔をすると、八重さんは初めて笑った。

「冗談や。持たんでええ。この子は自分で持つけん」

父は、そのやりとりの間、ずっと台所で湯を沸かしていた。

沸いてからも、しばらく火を止めなかった。

荷物を整理したのは、今年の五月の連休だった。

押入れの上の段から、あの菓子の空き箱を下ろした。

七組の手袋は、思っていたより重かった。

ひとつずつ広げて、畳の上に並べた。

小さいものから、大きいものへ。

並べているうちに、手が止まった。

五歳の私に、なぜ、小学校中学年の手袋が要るのか。

母は、私が着けるところを見られない手袋を、先に六組も縫っていたことになる。

そこまで考えて、私は箱の底に、薄い紙の束が敷いてあることに気づいた。

新聞紙かと思った。

違った。

便箋だった。

十九枚あった。

どれも、あの手紙とほとんど同じ文面だった。

ほとんど、というのは、一枚ごとに、少しずつ言葉が違っていたからだ。

いちばん下の一枚は、ずいぶん短かった。

みずきへ

おかあさんは しあわせです

それだけだった。

次の一枚には、「あのひから」が足されていた。

その次には、「だいすきな」が二度になっていた。

紙の色が、下から上へ、少しずつ白くなっていく。

古い順に、下から重ねてあったのだ。

母は、同じ手紙を、十九回書き直していた。

一枚ずつ、順に読んでいった。

三枚目までは、文が二行しかない。

五枚目で「あのひから」が入り、七枚目で「ずっと」が足された。

九枚目には、いちど入れた「うれしい」が、線で消してある。

消したあとに、小さく「しあわせ」と書き直してあった。

十二枚目から、字の大きさが少し小さくなる。

手が疲れていたのだと、私は思った。

十五枚目の隅には、鉛筆で薄く、五十音の表が書いてあった。

使える字に、丸が付けてある。

丸の数は、下の枚から上の枚へ、少しずつ増えていた。

私は八重さんのところへ行った。

八十を過ぎて、まだ同じ家に住んでいる。

便箋の束を見せると、八重さんはしばらく黙っていた。

それから、湯呑みを置いて言った。

「あの人な、うちに、幼稚園の先生の電話番号を訊きに来たことがある」

「先生の」

「入院しとる最中や。何しに訊くんやと言うたら、みずきが今どの字まで読めるか、毎週訊いとくんやと」

私は、便箋の束を膝の上に置いたまま、動けなかった。

八重さんは続けた。

「読める字が増えるやろ。増えたら、書き直すんやと。あの人は、あんたが一人で読める字だけで書きたかったんや」

「なんで、一人で」

「読んでやれんからやろ」

八重さんは、そこで初めて、少しだけ声を落とした。

「あの人はな、手袋も同じや。親指はいちばん最後に付けるんよ。急いだら、その手袋は一生もんにならん。それが口癖やった」

家に帰って、私はもう一度、十九枚を古い順に並べ直した。

並べてから、あることに気づいた。

十八枚目までの手紙には、濁点がひとつも無い。

「だいすき」も「だいじ」も、ぜんぶ避けてある。

「みずき」という私の名前でさえ、その字を使わずに済むように、「みいちゃん」と書いてあった。

そして、父が私に渡した最後の一枚。

そこには、「だいすきな」と、はっきり書いてあった。

十九枚のうち、点がふたつ付いていたのは、いちばん最後の一枚だけだった。

母は、私がまだ読めない字を、最後の最後に、ひとつだけ入れたのだ。

入れておけば、私はいつか、それを読めるようになる。

読めるようになった私が、もう一度この手紙を開くところまで、母は数えていた。

父にその話をしたのは、その週の日曜だった。

父は便箋を一枚ずつ見て、最後の一枚のところで、指を止めた。

「これな、俺が渡す日を、あの人が決めとった」

「いつって」

「みずきが、ひらがなを全部読めるようになった日。先生に見てもらえ、と」

父は、湯呑みの縁を親指でなぞった。

「四十九日の三日前に、幼稚園から連絡帳が来てな。全部読めるようになりました、と書いてあった」

私は、その連絡帳を探した。

仏壇の引き出しの奥に、輪ゴムでとめて入っていた。

先生の丸い字の下に、母の字で、毎週おなじ質問が書き込まれていた。

ことしは どこまで よめますか

いちばん最後の欄だけ、母の字はない。

そこは、空いたままになっていた。

先生の欄には、その週も返事が書いてある。

「みずきちゃん、今週で五十音すべて読めるようになりました。よくがんばりました」

その下に、赤い花丸がひとつ。

母は、その花丸を見ていない。

「なんで、毎年出しよったん」

私がそう訊くと、父は少し考えてから答えた。

「あの人が、順番を書いて置いていったけん」

箱の蓋の裏に、鉛筆で小さく数字が並んでいたのだという。

私は箱を持ってきて、蓋を裏返した。

薄くなってはいたが、たしかに残っていた。

六さい 七さい 八さい 九さい 十さい 十一さい 十二さい

七つの数字のうち、最後の三つには、線が引かれていない。

私が四年生の冬に、いらないと言ったからだ。

父は、そのことを一度も私に言わなかった。

「言うたら、あんたが着けるようになるやろ」

「あかんの」

「無理に着けるもんは、一生もんにならん、いうて」

父はそこで、初めて母の口癖を口にした。

七組目の手袋を、私はもう一度、明かりの下で見た。

他の六組と、どこかが違う。

しばらく分からなかった。

右の親指だった。

付け根の縫い目だけが、少しだけ荒い。

目の詰め方が、他の指と揃っていない。

翌日、それを八重さんに見せた。

八重さんは、老眼鏡を掛けて、ずいぶん長いこと黙っていた。

「これ、うちや」

「八重さんが」

「あの人が、最後に付けられんかったんが、これ一本や」

母は、七組の手袋のうち、六組半までを縫った。

最後の親指を、一本だけ残して入院が長くなった。

八重さんは、それを黙って持ち帰り、自分の家のミシンで仕上げて、また箱に戻したのだという。

「言うたら、あの人が焦る。焦って縫うたもんは、一生もんにならんけん」

八重さんは、そこで手袋を私に返した。

「下手で、すまんな」

私は首を振った。

荒い目のところを、親指の腹でなぞった。

その一本だけが、四十年近く、少しだけ温かいような気がした。

この秋、私は結婚する。

式に着ける手袋は、自分で縫うことにした。

八重さんに頼んで、型紙の取り方から教わっている。

八重さんの家の茶の間に、古いミシンが一台だけ残っている。

足踏みの、黒いやつだ。

「これはあかん。もう油がまわらん」と言いながら、八重さんは毎回、それを撫でる。

型紙は、私の手を紙の上に置いて取った。

鉛筆でなぞられている間、私はじっとしていられなかった。

「動かしなや。合わんようになる」

八重さんが、母と同じことを言った。

私は手を引っ込めそうになって、こらえた。

彼には、この手袋のことを話していない。

当日、控室で着けるつもりでいる。

写真には、たぶん写らない。

それでいいと思っている。

指の一本一本は、思ったよりも早く縫えた。

甲を合わせるところで、二度ほどけた。

そして今、右手の親指だけが、まだ付いていない。

糸は、母が使っていたのと同じ番手のものを、八重さんが探してくれた。

もう作っていない色だそうで、店の奥から古い箱ごと出てきた。

指ぬきは、仏壇の引き出しにあったものを使っている。

母のものは、私の指にはまだ少し大きい。

糸を通すたびに、内側で、かすかに金物の鳴る音がする。

急がないでおこうと思う。

母の手袋の親指がどれも少し太かったのは、たぶん、私の指が育つぶんを見込んでいたからだ。

先の先まで見て、いちばん最後を、いちばんゆっくり縫う人だった。

お母さん。

私、この秋に結婚するよ。

世界で一番、しあわせになるよ。

点がふたつ付いた字も、もうぜんぶ読めるようになったから。

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