せかいでいちばんのしあわせ

せかいでいちばんのしあわせ

押入れの上の段に、菓子の空き箱がひとつある。

蓋に、油性ペンで「みずき」とだけ書いてある。

中身は、子ども用の手袋が七組。

いちばん小さいのは、私の今の手のひらに載ってしまう。

いちばん大きいのは、小学校の中学年くらいだろうか。

どれも同じ生成りの毛糸で、同じ形をしている。

ただ、どれも右手の親指だけが、ほんの少し太い。

その理由を、私は二十八になるまで知らなかった。

※

私が育ったのは、讃岐の東のはずれ、海沿いの小さな町だ。

手袋の町だった。

大きな工場が二つ、小さな縫製場が数えきれないほどあって、朝になると、あちこちの家からミシンの音が聞こえた。

音の高さが家ごとに違うので、目をつぶっていても、どのあたりを歩いているのか分かった。

冬になると、町のどこを歩いても、羊毛の匂いがした。

湿った毛と、機械の油と、糊の混ざった匂いだ。

今でもその匂いがすると、私は反射的に、右の手のひらを開いてしまう。

手袋を差し出されるのを待つ癖が、まだ残っている。

母は、そのうちのひとつで働いていた。

手袋づくりには、工程がいくつもある。

裁つ人。

指を縫う人。

甲を合わせる人。

母の仕事は、いちばん最後に、親指を付けることだった。

父はその工場で、革を裁つほうをしていた。

二人が並んで働いていたところを、私は写真でしか知らない。

母の指には、いつも小さな傷があった。

針の先が滑ると、爪の脇に赤い点ができる。

母はそれを舐めて、また縫った。

家に帰ってきても、右手の中指には金物の指ぬきが嵌まったままのことがあった。

「おかあさん、ゆびわ」

「これはお仕事のやつ」

「みずきもほしい」

母は笑って、私の指に嵌めてくれた。

ずり落ちて、畳の上で二度跳ねた音を、いまでも覚えている。

日曜の午後、母はよく、私の手を紙の上に置かせた。

鉛筆で、指の形をなぞる。

くすぐったくて、私は毎回、手を引っ込めた。

「動かしたら、合わんようになるよ」

「なにが」

「なんでもない」

母はそのたび、紙を裏返して、また新しい線を引いた。

※

母が入院したのは、私が幼稚園の年中に上がった春だった。

病気の名前を、父は最後まで私に言わなかった。

幼稚園から帰ると、隣の八重さんの家に預けられる日が増えた。

八重さんは母と同じ工場の人で、口が悪かった。

「あんたのお母さんはな、仕事はええけど、しゃべるのが遅い」

「なんで」

「考えすぎるんや。考えとる間に、こっちは三枚縫うとる」

そう言いながら、八重さんは私に、いつも茹でた素麺を出した。

夏でも冬でも素麺だった。

母の見舞いに行けたのは、月に一度か二度だ。

病院の廊下は、消毒の匂いと、床のワックスの匂いがした。

母はベッドの上で、たいてい何か書いていた。

私が入っていくと、あわてて、それを枕の下に入れた。

「なに書いとるん」

「お仕事」

「おかあさん、お仕事おやすみやろ」

「そうやね」

母は笑って、それ以上は何も言わなかった。

いちど、母がベッドの上で、私の右手を取ったことがある。

手のひらではなく、親指だけを、指の付け根から爪の先まで、ゆっくりなぞった。

「みずきの親指、大きうなったね」

「ふとった?」

「太ったんとちがう。育ったんよ」

母は、枕元のノートに何か書きつけた。

数字だったと思う。

私はそのとき、窓の外の給水塔を数えていて、母の手元を見ていなかった。

あのノートが、その後どこへいったのかは分からない。

※

母が亡くなったのは、その年の冬だ。

私は五歳で、告別式のことは断片しか覚えていない。

覚えているのは、父が私の手をずっと握っていて、その手が、途中から冷たくなっていったことくらいだ。

四十九日が済んだ夜、父が茶の間で、一枚の紙を私の前に置いた。

白い便箋だった。

ひらがなばかりが並んでいた。

当時の私は、ひらがなを覚えたてだった。

指で押さえながら、声に出して読んだ。

みずきが おかあさんの おなかに きてくれた あの ひから ずっと

おかあさんは せかいで いちばんの しあわせを みずきから もらって います

おかあさんの だいすきな だいすきな みずきへ

こんどは みずきが せかいで いちばん しあわせに なってね

読み終わってから、私は父に訊いた。

「おかあさん、かんじ、わすれたん」

父は何も答えなかった。

台所に立って、水を出しっぱなしにしていた。

※

小学校に上がった冬、父が押入れから手袋をひとつ出してきた。

生成りの毛糸で、指が五本ちゃんと分かれていた。

その頃の子どもの手袋は、たいてい親指と四本指だけのものだった。

五本に分かれた手袋を着けている子は、学年に私しかいなかった。

「これ、どこで買うたん」

「買うとらん」

父はそれだけ言って、私の袖口を引き下ろした。

翌年の冬も、その次の冬も、父は同じように押入れから手袋を出した。

不思議なことに、毎年ちょうど、手に合った。

三年生のとき、友達に「毎年おそろいやな」と言われた。

おそろいではない。

そう言い返せばよかったのに、私は黙っていた。

手の甲を机の下に隠して、その日の休み時間をやり過ごした。

同じ形の、少しずつ大きい手袋だった。

四年生の冬に、私は父に、もう手袋はいらないと言った。

クラスで五本指を着けているのが恥ずかしかったからだ。

父は「そうか」とだけ言った。

その年から、押入れの箱は開かなくなった。

※

それから二十三年、私と父の二人暮らしが続いた。

父は不器用な人だった。

卵焼きは、いつも真ん中だけが半熟で、端が焦げていた。

参観日には、必ず作業着のズボンのまま来た。

それでも、私が高校を出るまで、朝の弁当を一度も休まなかった。

手袋の仕事は、少しずつ細くなっていった。

工場が閉じ、父は別の会社の倉庫に移った。

町から、朝のミシンの音が減っていった。

母のいた縫製場が閉まった日、私は高校一年だった。

最後の日に、八重さんが機械の油を拭いているのを、道から見た。

誰も見ていないと思っていたのだろう。

八重さんは、テーブルの角を、何度も何度も拭いていた。

その年の秋、進路のことで父と揉めた。

私は県外の大学に行きたいと言い、父は地元で働けと言った。

言い合いになって、私は「お母さんがおったら分かってくれた」と言ってしまった。

父は黙って、台所へ立った。

それから三日、家の中でひとことも交わさなかった。

四日目の朝、弁当の卵焼きが、初めてきれいに巻けていた。

端も焦げていなかった。

私は、その卵焼きを、教室でひとりで食べた。

あとで八重さんに聞いた話では、父はその三日間、毎晩、八重さんの家に来ていたらしい。

卵の巻き方を教わっていたのだという。

「あんたの父さんな、フライパンを三回焦がした」

「なんで教えたん」

「頼まれたけん。しゃべるのが遅いんは、あの人も一緒や」

結局、大学へは行かず、高松の会社に入った。

それを後悔したことは、一度もない。

私は高校を出て、高松の会社に勤めた。

去年の春、同じ会社の人と、一緒になる約束をした。

その報告をした晩、父は「そうか」とだけ言って、それから三十分、黙って新聞を見ていた。

読んでいなかったと思う。

ページを、一度もめくらなかったから。

相手を家に連れてきた日、父より先に、八重さんが上がり込んできた。

そして、彼の手を取って、ひっくり返した。

「手が薄いな。力仕事はせんな?」

「事務です」

「ほな、みずきの荷物は持てんな」

彼が困った顔をすると、八重さんは初めて笑った。

「冗談や。持たんでええ。この子は自分で持つけん」

父は、そのやりとりの間、ずっと台所で湯を沸かしていた。

沸いてからも、しばらく火を止めなかった。

※

荷物を整理したのは、今年の五月の連休だった。

押入れの上の段から、あの菓子の空き箱を下ろした。

七組の手袋は、思っていたより重かった。

ひとつずつ広げて、畳の上に並べた。

小さいものから、大きいものへ。

並べているうちに、手が止まった。

五歳の私に、なぜ、小学校中学年の手袋が要るのか。

母は、私が着けるところを見られない手袋を、先に六組も縫っていたことになる。

そこまで考えて、私は箱の底に、薄い紙の束が敷いてあることに気づいた。

新聞紙かと思った。

違った。

便箋だった。

※

十九枚あった。

どれも、あの手紙とほとんど同じ文面だった。

ほとんど、というのは、一枚ごとに、少しずつ言葉が違っていたからだ。

いちばん下の一枚は、ずいぶん短かった。

みずきへ

おかあさんは しあわせです

それだけだった。

次の一枚には、「あのひから」が足されていた。

その次には、「だいすきな」が二度になっていた。

紙の色が、下から上へ、少しずつ白くなっていく。

古い順に、下から重ねてあったのだ。

母は、同じ手紙を、十九回書き直していた。

一枚ずつ、順に読んでいった。

三枚目までは、文が二行しかない。

五枚目で「あのひから」が入り、七枚目で「ずっと」が足された。

九枚目には、いちど入れた「うれしい」が、線で消してある。

消したあとに、小さく「しあわせ」と書き直してあった。

十二枚目から、字の大きさが少し小さくなる。

手が疲れていたのだと、私は思った。

十五枚目の隅には、鉛筆で薄く、五十音の表が書いてあった。

使える字に、丸が付けてある。

丸の数は、下の枚から上の枚へ、少しずつ増えていた。

※

私は八重さんのところへ行った。

八十を過ぎて、まだ同じ家に住んでいる。

便箋の束を見せると、八重さんはしばらく黙っていた。

それから、湯呑みを置いて言った。

「あの人な、うちに、幼稚園の先生の電話番号を訊きに来たことがある」

「先生の」

「入院しとる最中や。何しに訊くんやと言うたら、みずきが今どの字まで読めるか、毎週訊いとくんやと」

私は、便箋の束を膝の上に置いたまま、動けなかった。

八重さんは続けた。

「読める字が増えるやろ。増えたら、書き直すんやと。あの人は、あんたが一人で読める字だけで書きたかったんや」

「なんで、一人で」

「読んでやれんからやろ」

八重さんは、そこで初めて、少しだけ声を落とした。

「あの人はな、手袋も同じや。親指はいちばん最後に付けるんよ。急いだら、その手袋は一生もんにならん。それが口癖やった」

※

家に帰って、私はもう一度、十九枚を古い順に並べ直した。

並べてから、あることに気づいた。

十八枚目までの手紙には、濁点がひとつも無い。

「だいすき」も「だいじ」も、ぜんぶ避けてある。

「みずき」という私の名前でさえ、その字を使わずに済むように、「みいちゃん」と書いてあった。

そして、父が私に渡した最後の一枚。

そこには、「だいすきな」と、はっきり書いてあった。

十九枚のうち、点がふたつ付いていたのは、いちばん最後の一枚だけだった。

母は、私がまだ読めない字を、最後の最後に、ひとつだけ入れたのだ。

入れておけば、私はいつか、それを読めるようになる。

読めるようになった私が、もう一度この手紙を開くところまで、母は数えていた。

※

父にその話をしたのは、その週の日曜だった。

父は便箋を一枚ずつ見て、最後の一枚のところで、指を止めた。

「これな、俺が渡す日を、あの人が決めとった」

「いつって」

「みずきが、ひらがなを全部読めるようになった日。先生に見てもらえ、と」

父は、湯呑みの縁を親指でなぞった。

「四十九日の三日前に、幼稚園から連絡帳が来てな。全部読めるようになりました、と書いてあった」

私は、その連絡帳を探した。

仏壇の引き出しの奥に、輪ゴムでとめて入っていた。

先生の丸い字の下に、母の字で、毎週おなじ質問が書き込まれていた。

ことしは どこまで よめますか

いちばん最後の欄だけ、母の字はない。

そこは、空いたままになっていた。

先生の欄には、その週も返事が書いてある。

「みずきちゃん、今週で五十音すべて読めるようになりました。よくがんばりました」

その下に、赤い花丸がひとつ。

母は、その花丸を見ていない。

「なんで、毎年出しよったん」

私がそう訊くと、父は少し考えてから答えた。

「あの人が、順番を書いて置いていったけん」

箱の蓋の裏に、鉛筆で小さく数字が並んでいたのだという。

私は箱を持ってきて、蓋を裏返した。

薄くなってはいたが、たしかに残っていた。

六さい 七さい 八さい 九さい 十さい 十一さい 十二さい

七つの数字のうち、最後の三つには、線が引かれていない。

私が四年生の冬に、いらないと言ったからだ。

父は、そのことを一度も私に言わなかった。

「言うたら、あんたが着けるようになるやろ」

「あかんの」

「無理に着けるもんは、一生もんにならん、いうて」

父はそこで、初めて母の口癖を口にした。

※

七組目の手袋を、私はもう一度、明かりの下で見た。

他の六組と、どこかが違う。

しばらく分からなかった。

右の親指だった。

付け根の縫い目だけが、少しだけ荒い。

目の詰め方が、他の指と揃っていない。

翌日、それを八重さんに見せた。

八重さんは、老眼鏡を掛けて、ずいぶん長いこと黙っていた。

「これ、うちや」

「八重さんが」

「あの人が、最後に付けられんかったんが、これ一本や」

母は、七組の手袋のうち、六組半までを縫った。

最後の親指を、一本だけ残して入院が長くなった。

八重さんは、それを黙って持ち帰り、自分の家のミシンで仕上げて、また箱に戻したのだという。

「言うたら、あの人が焦る。焦って縫うたもんは、一生もんにならんけん」

八重さんは、そこで手袋を私に返した。

「下手で、すまんな」

私は首を振った。

荒い目のところを、親指の腹でなぞった。

その一本だけが、四十年近く、少しだけ温かいような気がした。

※

この秋、私は結婚する。

式に着ける手袋は、自分で縫うことにした。

八重さんに頼んで、型紙の取り方から教わっている。

八重さんの家の茶の間に、古いミシンが一台だけ残っている。

足踏みの、黒いやつだ。

「これはあかん。もう油がまわらん」と言いながら、八重さんは毎回、それを撫でる。

型紙は、私の手を紙の上に置いて取った。

鉛筆でなぞられている間、私はじっとしていられなかった。

「動かしなや。合わんようになる」

八重さんが、母と同じことを言った。

私は手を引っ込めそうになって、こらえた。

彼には、この手袋のことを話していない。

当日、控室で着けるつもりでいる。

写真には、たぶん写らない。

それでいいと思っている。

指の一本一本は、思ったよりも早く縫えた。

甲を合わせるところで、二度ほどけた。

そして今、右手の親指だけが、まだ付いていない。

糸は、母が使っていたのと同じ番手のものを、八重さんが探してくれた。

もう作っていない色だそうで、店の奥から古い箱ごと出てきた。

指ぬきは、仏壇の引き出しにあったものを使っている。

母のものは、私の指にはまだ少し大きい。

糸を通すたびに、内側で、かすかに金物の鳴る音がする。

急がないでおこうと思う。

母の手袋の親指がどれも少し太かったのは、たぶん、私の指が育つぶんを見込んでいたからだ。

先の先まで見て、いちばん最後を、いちばんゆっくり縫う人だった。

お母さん。

私、この秋に結婚するよ。

世界で一番、しあわせになるよ。

点がふたつ付いた字も、もうぜんぶ読めるようになったから。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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