お母さんと呼んだ日

新しい母の手は、いつも青かった。

爪のまわりも、指の節も、手相の溝まで、藍色に染まっていた。

小学二年の秋、父の後妻として家に来た千鶴さんは、町はずれの紺屋で働く、藍染の職人だった。

四国の、吉野川の水が育てた藍の町。

千鶴さんが初めてうちに来た日のことは、断片だけ覚えている。

玄関で深く頭を下げた、細い肩。

風呂敷包みひとつの、少ない荷物。

「千鶴です。よろしゅうね」

畳に手をついたその指先が藍色なのを見て、七つの私は、挨拶も忘れて見入ってしまった。

父は製材所勤めの無口な人で、「困ったことがあったら千鶴さんに言いなさい」と、それだけ言った。

あとで知ったことだが、千鶴さんと父を引き合わせたのは、実母の従姉だったという。

「昌代ちゃんの子を任せられる人は、あの人しかおらん」と。

大人たちの間で、そんな橋が架けられていたことを、子供の私はもちろん知らなかった。

うちの町では、藍を建てる甕の匂いが、路地の奥までうっすら漂っていた。

千鶴さんは、意地悪なんてひとつもしなかった。

ごはんはおいしかったし、寝る前には必ず部屋の灯りを見に来てくれた。

それでも私は、いつまで経っても「お母さん」と呼べなかった。

「おばちゃん」も違う気がして、結局、呼びかけの言葉をぜんぶ飲み込んで、「ねえ」で済ませていた。

「ねえ、明日、体操服いるんだけど」

「ねえ、プリントにハンコもらわなきゃ」

千鶴さんはそのたび、はい、と笑って振り向いた。

名前のない呼びかけに、名前を呼ばれたみたいな顔で。

正直に言えば、理由のひとつは、あの青い手だった。

実母の手は、白くて、薬の匂いがした。

病室のベッドの上から、私の頬を挟んだ、冷たい手。

五歳の私に残っている実母の記憶は、ほとんどそれだけだった。

だから余計に、千鶴さんの藍色の手が、知らない世界の手に見えた。

手を繋ぎそうになると、私はランドセルの肩紐を握って、ごまかした。

千鶴さんは、それに気づいていたと思う。

いつからか、私に触れる前には、必ず流しで長いこと手を洗うようになったから。

洗っても、藍は落ちないのに。

千鶴さんは、数字をぜんぶ私で覚える人だった。

自転車の鍵のダイヤルも、紺屋の道具箱の錠も。

「忘れんように、あんたの誕生日にしとるんよ」

帳面の隅の走り書きまで、私の誕生日の四桁が並んでいた。

「そんなの、覚えにくいでしょ」

「いっちゃん忘れんけんね、この数字が」

私の誕生日当日は、もっと徹底していた。

朝からばら寿司を仕込み、夜には近所の和菓子屋の栗まんじゅうが箱で出てきた。

「ケーキと違うん」と言うと、千鶴さんは少し慌てて、「あんた、去年、生クリームを残しとったけん」と答えた。

一年前の、まだ他人だった頃の私の皿を、この人は覚えているのだった。

意味が分からなくて、私は返事をしなかった。

小学三年の運動会の前の晩、千鶴さんは夜なべをして、鉢巻きを縫ってくれた。

自分で染めた藍の布で、端に小さく私の名前を刺繍した、世界に一本の鉢巻きだった。

「藍はな、強い色なんよ。汗にも日にも負けんけん」

私は、ありがとうも言わずに受け取って、机の奥に仕舞った。

当日、頭に巻いたのは、みんなと同じ、買った白い鉢巻きだった。

徒競走は、二等だった。

ゴールの先で、千鶴さんが誰より大きく手を叩いているのが見えて、私はわざと、そっちを見ずに列へ戻った。

お昼のお弁当には、私の好きなものばかりが詰まっていた。

卵焼きを口に入れながら、白い鉢巻きの結び目が、なんだか一日じゅう、ゆるい気がしていた。

応援席の千鶴さんが、それを見てどんな顔をしたのか、私は見なかった。

見なかったことに、していた。

学校で「家族の絵」の宿題が出たときは、白い画用紙を三日眺めて、結局、父と私だけを描いた。

余った右側の空白が、自分でも持て余すほど広かった。

千鶴さんは冷蔵庫にその絵を貼って、「上手やねえ」と、空白ごと褒めた。

参観日には、もっとひどいことをした。

廊下に並んだ母親たちの中で、千鶴さんの手は、遠目にも青かった。

「あれ、おまえの母ちゃんの手? 青っ」

男子にからかわれて、私はとっさに言った。

「お母さんじゃないもん」

言った瞬間、教室の戸口に千鶴さんが立っていた。

聞こえたかどうかは、分からない。

千鶴さんはその日の帰り道、いつもと同じように、給食の話を訊いてきた。

いつもと同じすぎる声だった。

夕方の吉野川の土手を、二人分の影が、手を繋がないまま並んで歩いた。

途中、千鶴さんが立ち止まって、川を見た。

「ええ川やろ。うちはこの川で、仕事を覚えたんよ」

「ふうん」

「あんたも、いつか好きになるとええね。この川」

そのときの私は、鼻を鳴らしただけだった。

あの一言が、後の私の人生をまるごと言い当てていたことを、まだ知らない。

それでも、覚えている。

熱を出した冬の夜、目を覚ますたび、枕元に千鶴さんがいたこと。

うとうとしながら、額に乗る手のひらを、拒まなかったこと。

藍の匂いのする手は、実母の薬の匂いとは違ったけれど、同じくらい、静かだった。

明け方に一度、廊下の突き当たりの流しで、千鶴さんが手を洗っているのを見た。

石鹸を泡立てては流し、爪の間を軍手用のブラシでこすり、また泡立てる。

長い、長い手洗いだった。

熱でぼんやりした頭でも、それが私の額のためなのだと、分かってしまった。

洗っても落ちない色を、あの人は私のために、毎晩落とそうとしていた。

布団に戻って、私は寝たふりをした。

翌朝、額に乗った手に、藍とかすかな石鹸の匂いがした。

何か言えばよかったのに、私はやっぱり、目をつぶっていた。

紺屋の仕事場に、一度だけ連れて行ってもらったこともある。

土間にずらりと並んだ藍甕の、発酵する泡のこと。

「藍は生きもんなんよ」と、千鶴さんは甕を覗きながら言った。

「毎日世話して、機嫌をとって、それでも急かしたら、ええ色は出んの」

「人とおんなじやね」

台風の晩には、千鶴さんは合羽を着て、紺屋まで甕の様子を見に行った。

「藍が風邪ひくけん」と、本気の顔で言うのだった。

「うちのことは、ほっとくのに」

口を尖らせた私に、千鶴さんは目を丸くして、それから、今まで見たことのない顔で笑った。

「あんたも、見に来る?」

あの晩、雨音の中で二人で覗いた甕の泡を、私はまだ覚えている。

生きている藍は、暗がりの中で、静かに呼吸をしていた。

帰り道、合羽の袖から出た青い手が、傘を私のほうへ傾けているのに気づいた。

千鶴さんの右肩は、ずぶ濡れだった。

何か言おうとして、やっぱり言えなくて、私は傘の柄を、そっと真ん中へ押し返した。

それが、あの頃の私にできた、精一杯だった。

そう言って、ちらりと私を見て笑った。

急かさない、と決めている人の笑い方だった。

川では、染め上がった布を晒す。

広げた反物が流れに揺れて、水の中で藍が空の色に変わる瞬間を、千鶴さんは何より大事にしていた。

「川がな、最後の仕上げをしてくれるんよ」

土手の上から見るその姿は、遠くて、きれいで、やっぱり少しだけ、知らない人だった。

小学四年の夏休み、千鶴さんが、川へ遊びに行こうと言い出した。

「布晒しのついでよ。あんたは泳いどったらええけん」

気は進まなかったけれど、断る理由もなくて、私は渋々ついて行った。

川原に着くなり、私は千鶴さんを放って、水に入った。

膝、腰、胸。

あの日の水は、いつもよりぬるくて、いつもより静かだった気がする。

夢中で潜って、顔を上げて、もう一度潜って。

次に足を着こうとしたとき、底が、なかった。

声は、水の中では、音にならなかった。

手を伸ばした先で、夏の光が、水面にちらちらと砕けていた。

増水のあとの川底が、えぐれていたのだと、あとから聞いた。

口から空気が抜けて、喉の奥が、クッ、と鳴った。

水面の光が遠くなって、耳の奥で自分の心臓だけが鳴って、それから、すっと苦しくなくなった。

薄れる視界の端で、藍色のものが、水を割って伸びてきた。

青い、手だった。

気がつくと、私は病院のベッドにいた。

「一度、心臓が止まりかけたんだぞ」

父が、涙声で言った。

ベッドの横に、千鶴さんの顔がなかった。

「……ねえは?」

呼び名にならない呼び名で、私は訊いた。

父は一呼吸置いて、ゆっくり教えてくれた。

服のまま飛び込んだ千鶴さんは、私を岸の浅瀬まで押し上げて、そのまま自分は流されたこと。

下流で引き上げられて、今も、目を覚まさないこと。

あとから聞けば、千鶴さんは、泳ぎの得意な人ではなかったらしい。

それでも、ためらった跡は、どこにもなかったという。

土手で見ていた釣りの人が、「反物を放り出して、一直線やった」と教えてくれた。

あの人が布より先に投げ出したものを、私はひとつしか知らない。

次の日、私は千鶴さんの病室へ行った。

たくさんの管と機械に囲まれて、千鶴さんは眠っていた。

布団の上に出た手だけが、いつもと同じに、青かった。

私はその手を、初めて、自分から握った。

ざらざらして、固くて、あちこちにひび割れのある手だった。

毎日藍を建てて、布を絞って、洗って、その合間にうちのごはんを作ってきた手だった。

どうして今まで、この手を知らない人の手だなんて思えたのだろう。

藍は、あたたかかった。

握り返しては、くれなかった。

千鶴さんは、それから一度も、うちに帰って来なかった。

通夜には、紺屋の親方が来て、棺の上に、染め上がったばかりの反物をそっと掛けた。

「こいつが、いちばんええ色に染めた布や」

親方は、それだけ言って、あとは黙っていた。

藍の布を掛けられた千鶴さんは、川で布を晒すときと同じ、遠くてきれいな人に見えた。

父は式のあいだじゅう、私の手を強く握っていた。

その手の震えで、大人も泣くのだと、初めて知った。

四十九日が済んで、父と二人で、千鶴さんの物を整理した。

箪笥の一番下から、藍染の布で装丁された、分厚いノートが出てきた。

小さな真鍮のダイヤル錠が、ついていた。

父が、自分の誕生日を合わせた。開かない。

千鶴さんの誕生日。開かない。

結婚記念日。開かない。

「……私の」

父の手から錠を受け取って、私は自分の誕生日を合わせた。

日記の錠は、私の誕生日で開いた。

最初のページは、うちに来る前の日の日付だった。

『うちみたいなもんが母親になれるんか、正直、怖い。ほやけど、写真で見たあの子の顔が、もう可愛い』

『明日から、あの子の家に行く。呼んでもらえんでもええ。そばにおれたら、それでええ』

一冊まるごと、私のことばかり書いてあった。

熱を出した夜のこと。

「ねえ」と呼ばれるたび、嬉しくて、台所で一人で笑ってしまうこと。

熱を出した夜のページには、こう書いてあった。

『手ぇが青いままで、額を触ってええんか、ようけ迷った。今度から、もっとよう洗おう』

あの明け方の長い手洗いは、日記の中でも続いていた。

『今日も「ねえ」って呼ばれた。名前みたいで、ええ響きよ』

運動会のページで、私は息が止まりそうになった。

あの日、応援席から見えていたのは、白い鉢巻きだけではなかったのだ。

『鉢巻き、使うてもらえんかった。そらそうよ、急かしたらいけん。藍とおんなじ。ええ色が出るまで、うちは待てる』

『ほやけど、二等はすごい。うちの子は、足が速い』

うちの子、という四文字を、私は指でなぞった。

一度も呼ばせてあげられなかった人が、紙の上では、とっくに私の母だった。

参観日のページには、こうあった。

『青い手、ごめんね。今度から、よう洗うけんね。ほやけど、この色はうちの誇りでもあるんよ。難しいなあ』

ページをめくる父の手が、途中から震えていた。

最後のほうの、夏の初めの日付。

『川で泳ぎたい言いよった。連れて行っちゃろう。あの子が溺れたら、うちが飛び込んだらええだけのこと』

『ちょっとはにかみ屋さんやけど、ほんまにええ子。命に代えても守れる自信がある』

『呼んでもらえん日も、うちはあの子の母でおるけんね』

その次の行は、実母への言葉だった。

『あの子をうちに任せてくれた昌代さん、ほんまに、ありがとうございます』

『あの子の中には、あんたがおる。ほやけん、うちは二人ぶん、大事にする』

会ったこともない実母の名前を、千鶴さんは、ずっと胸の中で呼び続けていたのだ。

私が呼び名を飲み込み続けた、その同じ年月を。

日記を閉じて、私は生まれて初めて、大きな声で「お母さん!」と叫んだ。

仏壇の前で、声が涸れるまで、ごめんね、ごめんねと繰り返した。

どれだけ泣いても、あの人はもう、はい、と笑って振り向いてはくれなかった。

呼べる相手がいるうちに呼ばなかった言葉は、こんなにも重たいまま、一生残るのだと知った。

机の奥から、あの藍の鉢巻きを出してきたのは、その夜のことだ。

三年経っても、藍の色は、少しも褪せていなかった。

汗にも日にも負けんけん、と言った声のとおりに。

私はそれを頭に巻いて、鏡の前で、一人で泣いた。

ごめんなさいの代わりに、中学の体育祭も、高校の体育祭も、私はその鉢巻きで走った。

名前の刺繍は、洗うたびに少しずつ毛羽立って、そのぶん、柔らかくなった。

あれから、三十年近くが経つ。

私は今、あの町の紺屋で、藍を建てている。

高校を出て、頭を下げて、千鶴さんの師匠だった親方に弟子入りした。

「千鶴の子か」と親方は言った。

娘です、と私は答えた。

言葉にしたのは、あれが初めてだった。

修業は、甘くなかった。

藍建ての温度を誤って甕をひとつ弱らせ、親方に頭から怒鳴られた夜、私は仕事場の隅で千鶴さんの帳面を開いた。

道具箱から出てきた、染めの覚え書き。

癖のある字で、灰の分量と水温と、その日の藍の機嫌が、几帳面に書き込まれていた。

『急かしたらいけん。待つのも仕事』

叱られた日の夜は、いつもそのページを読む。

読むたびに、あの人の声で聞こえる。

親方は五年目の春、初めて私の染めた反物を黙って検分して、一言だけ言った。

「千鶴に、見せたかったのう」

私は、はい、と答えるのがやっとだった。

私の手は、いまうっすら青い。

爪のまわりも、指の節も、あの人と同じ色に染まっている。

娘が生まれた年から、運動会の鉢巻きは、私が染めて縫っている。

端には小さく、名前の刺繍。

娘はそれを、毎年当たり前の顔で頭に巻いて、当たり前の顔で汗だくにして帰ってくる。

その当たり前が、どれほどの奇跡か、私は知っている。

いつだったか、幼い娘が、私の手を見て言った。

「おかあさんの手、青いね」

どきりとした。

三十年前、私が千鶴さんに投げた棘と、同じ形をした言葉だったから。

けれど娘は、私の指をつまんで、続けた。

「そらの色。きれいやね」

私は、しばらく返事ができなかった。

「そうやろ。おかあさんの、自慢の色よ」

やっと出た声は、少し掠れていた。

あの日、教室の戸口に立っていた人に、届けばいいと思った。

夏になると、私は川へ布を晒しに行く。

広げた反物の藍が、流れの中で空の色に変わるとき、水の底から、青い手が伸びてくる気がする。

お母さん。

胸の中でそう呼ぶと、あの日握った手のあたたかさが、今も手のひらに戻ってくる。

川がな、最後の仕上げをしてくれるんよ。

あの人の言うとおり、私の呼び名は、ずいぶん時間をかけて、この川で仕上がった。

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