覚えていてくれたんですね
仕事帰りに乗ったタクシーの運転手さんから聞いた話です。
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ある夜、駅のロータリーでいつものように客待ちをしていると、血相を変えたサラリーマン風の男性が
「○○病院まで急ぎで!」
とタクシーに飛び乗って来ました。
男はどこかに電話をかけていましたが、相手が受け取らないようです。
ヒーヒー言いながら男は平静を保っていました。
暫くすると男の携帯電話が鳴りました。
「もしもし!母ちゃんの様子は?
そうか…。頼みがあるんだけど、受話器を母ちゃんの耳に当ててあげて!」
優しいけれども芯のある声で、男は勇気づけるように語り始めました。
「おいおい、いつまで寝てる気だよ、朝に散々、人のこと叩き起こしてた癖によ。
今、せっかく働いて、美味いもん食わしてやろうと毎日頑張ってんのに、
俺、まだなんもしてねーよ!死ぬんじゃねーよ!俺が手握るまで息してろよな」
と言って電話を切った後、男は黙りこくっていました。
しかし病院までの道のりはかなり遠かったのです。
運転手は男の苛立ちをヒシヒシと背中で感じ、信号を避けるため裏道などを利用し最善を尽くしました。
暫く走ると再び、男の携帯が鳴りました。
「もしもし…そうか…解かった…もう着くよ」
そう言って電話を切ると、男はまた黙りこくりました。
そうこうしているうちに病院に着き、男は運転手にお詫びを言い、病院の中に消えました。
※
私はタクシーから降りる間際、お金を渡し、涙ぐんでこう言いました。
「覚えていてくれたんですね。
これはあの時、払い忘れた運賃です。
ありがとうございました」